二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

吉村さんが小説家吉村昭になるまで ~「戦艦武蔵ノート」を読む

2022年01月21日 | 吉村昭
■吉村昭「戦艦武蔵ノート」岩波現代文庫(2010年刊 原本は図書出版社1970年刊行)

とにかくやたらおもしろかった・・・と書くと、やや語弊があるかもしれない。戦艦武蔵とともに、兵隊さんや将校その他、1000人を超える人たちが海の藻屑と消えたのだから。
とはいえ、おもしろかったのは確か。
こういう本を執筆していたんだねぇ、吉村さん♪
わたしは断片やメモ、短いエッセイを集めただけの雑録だと錯覚し、読みたいとは思ってはいなかった。

ところがそうではなく、吉村昭がノンフィクション作家となった舞台裏を、赤裸々に語った貴重な取材日記・長編エッセイなのである。
吉村さんの生の声が、随所に鏤められていて、ファンにはこたえられない“こぼれ話”が盛りだくさん。
読む前と読んだあとでは、小説家吉村昭に対するイメージが、ちょっとだが、確実に変わる。

《「あいつら、ウソ言ってやがらぁ。」自分がみた、本当の戦争を伝えるために「武蔵」を書くのだ――。厖大な物資と人命をかけて造られた史上最大の戦艦「武蔵」。その建造から沈没に至るまでを支えた人々の巨大なエネルギーとは、なんだったのか。『戦艦武蔵』執筆の経緯を綿密にたどった取材日記。(解説=最相葉月)》BOOKデータベースより引用

「戦艦武蔵」は画期的な一冊であったのだ。この小説の俗にいえば誕生秘話といった趣がある。「戦艦武蔵」は大昔に読んだため(たぶん30代のはじめころ)、ほとんどうろ覚え状態なので、もう一度読もう・・・という気にさせてくれた。

吉村昭という、類稀なノンフィクション作家が、どういったプロセスをへて誕生したのか!? その間のいきさつが、裏と表をふくめてあっけらかんと真率に書かれている。
インパクトは相当なものがある。少なくともわたしにとってはね(。-д-。)
戦争・・・あの戦争に対するこの人の立ち位置がよくわかる。
単純に肯定しているのでもなく、否定しているのでもない。ではどう考えているのか?
その事情が縷々述べられ、あわせて「なぜこんな小説をかいたのか」があぶり出される。そして率直な語り口の奥から、等身大の吉村昭が鮮明に姿を現すのだ。




  (右は文春文庫版)


ポストイットをたくさん挟んだが、どこから引用したらいいか迷っている。

《そこに結論めいたものが生まれた。戦争に対する見方は、その年齢と広い意味での教養によって、千差万別なのだ・・・と。そしてさらに、教養というものがかぎられた日本人にしか与えられていなかったことを考え合わせると、生まれ育った時代的風土、戦争を経験した折のその年齢的風土によって峻厳な差異があるのだということも。だから私の眼にした戦争は、あくまで私の年齢が見た戦争であり、それは決して普遍性をもったものではないのだろう。
私と同じ年代のものが(私は昭和二年生まれ)、今まで戦争について口をひらかない意味を、私はよく理解することができる。一言にして言えば、戦争中の私たちは、決して戦争を罪悪とは思わなかったし、むしろ、戦争を喜々と見物していた記憶しかない。》(本書6ページ)

《まず私は、「武蔵」を素材にした作品を書く上で視点となるべき特定の人物を設定させることは不可能であるのを知っていた。建艦計画から建造へと、「武蔵」は、多くの人々から他の人々へとバトンタッチされ、しかもそれらの人々は、ごく少数の人をのぞいてあたかも盲人が象をなでるように、ごく限られた部分部分にしかふれていない。そしてさらに「武蔵」が戦艦として戦場を移動し沈没するまでの過程にも同じようにさまざまな人々が接触しては離れてゆき、「武蔵」に一貫してふれつづけた人は、一人としていないのである。つまり、私は「武蔵」そのものを作品の主人公としなければならないことに気がついていたのである。》(同20ページ)

「戦艦武蔵」は吉村昭が吉村昭となった、記念すべき一冊である。400字詰め原稿用紙に420枚。書き終えたあと彼は腰が抜けてしまって歩けなくなり、奥様の津村節子さん(同じく小説家)に助け起こされたのだそうである。
出版後、東京目白にある椿山荘で、「戦艦武蔵の会」が開催されるが、そのメンバーを眺め、一驚しない読者はいないだろう。
▽「武蔵」建造関係
建造主任付         古賀繁一
営業部軍艦課長       森 米次郎 
長崎駐在造船監督官造船中佐 梶原正夫
ほか3名
▽海軍関係
「大和」「武蔵」基本設計者  松本喜太郎
艤装員海軍少佐        早坂正隆  
造船大尉           福井静夫
▽「武蔵」乗組関係
二代目艦長海軍大佐     古村啓蔵
海軍機関中尉        浅見和平
軍医長海軍軍医大佐     村上三郎
ほか6名
さらに三菱重工広報室関係、一般関係等、合計33名の名がしるされている。
インタビューをたびたびしにいったしつこさ・失礼を詫び、一夕これら生き残っている関係者を招いて、ささやかな酒宴を開催したのだ。

吉村さんはこの関係者に出来上がった本を読んでいただき、記述に誤りがあったら指摘して欲しいとお願いしている。それが「戦艦武蔵」を書いた償いであり、また誇りでもあるということである。

「戦艦武蔵ノート」は「戦艦武蔵」だけでなく、吉村文学を読み解く上での重要なキーワードがあまた刻み込まれている。
本書を読み終えたあと、わたしは新刊書店へ出かけ、「戦艦武蔵」の最新版を新たに買った。
最後のページには、「令和2年11月10日 第81刷」としるされている。
本書のある場面で10万部売れたことをよろこんでおられるが、81刷は何万部にあたるのだろう。一回5千部なら40万部、1万部なら81万部が世に普及したことになる。

読むならベストセラーよりロングセラー!!
その確信を深める読書体験であった。






評価:☆☆☆☆☆

※ネット検索によって多くの写真をお借りしています。著作権など問題がありましたらご連絡下さいませ。

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