う~ん、これはノンフィクション・ノベルではなく、ノンフィクションそのもの。
蘭学者・大槻玄沢が表した「環海異聞」に基づいて、本書の内容を現代の読者に向けてアレンジしている。
最初の方では漂流記がどんなものであるか、6編もの“漂流もの”を書いてきた吉村さんが、江戸期の漂流を、全体として概観している。
しかし、すぐに若宮丸の漂流の紹介がはじまり、彼らの“世界一周”の旅の紹介に移る。
《日本にはイギリスの海洋文学にあたるものがない、といわれてきたが、江戸時代に漂流して帰還した者たちから聴取した、何作もの「漂流記」こそ、日本独自の海洋文学ではないのか。ここに、1793年、奥州石巻を出港し、難破してロシア極東沿岸に漂着した「若宮丸」の漂流聞書き『環海異聞』がある。極寒の辛苦に耐えてロシアに10年、生き残った津太夫ら四人の水夫は、鎖国日本へ開港を促すロシアの使節船に乗船し、日本人初の世界一周の旅に出る。夢に何度も見た故国の地を踏んだ彼らを待っていたのは、厳しい取り調べだった。しかし、彼らは『環海異聞』という貴重な証言を残してくれた……。
これまで、六篇の「漂流小説」を書いてきた私(著者)は石巻に赴き、200年前、「若宮丸」が出発したかもしれない港を遠望する高台に立ち、深い感慨にふけるのである。》BOOKデータベースより
巻末に「主な日本船漂流年表(江戸時代)」が掲げられている。
1695年大坂の淡路屋又兵衛船(15人乗り)を筆頭に、11件の漂流のあらましが紹介される。これらは生還を果たした者たちが、聞書きを遺しているものが多い。「環海異聞」は、さきにも書いたように、大槻玄沢が奥州石巻の漂流船・若宮丸の事件を生存者から聞き取ったもの。
石碑も遺されていることを知り、吉村さんそれを見に出かけ、写真を撮影している。生存者多十郎(太十郎)が着ていたといわれる服や墓碑があるというので、そこにも足を運んで、撮影している。いつもこういう熱意には読者として心を動かされる。書斎の作家ではないのだ。
「この漂流はフィクションではなく、実際にあったことなのですよ」という、吉村さんのつぶやきが聞こえる。
あとがきで「これまでの一応の総決算として漂流記そのものについて書いてみようかと思った」と、執筆の動機を率直に述べておられる。
したがって、本書は漂流記、漂流譚の総括だということである。それを知ると、吉村さんのいろいろな感慨に近づくことができる。
心理的にも物質的にも、社会から切り離された人間の脆弱さ。極限状況にさらされたとき、そのことが端的に、否応なしに露呈する(ノω・、)
ふだんあれやこれや不平不満を唱えている人こそ、国家や社会や肉親や知り合いにもたれかかり、甘えているのであろう。
小説家でいえば、葛西善蔵、太宰治の作品などに、その“甘え”の一典型を見ることができる。
本書のラストを筆者はこう締めくくる。
《学者たちの真摯な研究によって、漂流記の土壌は豊かなものになっている。漂流記は、日本独自の海洋文学なのである。》
なお、吉村昭は、
「大黒屋光太夫」
「漂流」
「島抜け」
「アメリカ彦蔵」
・・・等をノンフィクション・ノベルとして書いている。
この「漂流記の魅力」は、これらの締めくくりとなるエッセイである。ノベライズしなかったためか、やや迫力に欠ける。むろん、それを承知の上で、吉村さんはこの新書の執筆をすすめた。本文のみ185ページという薄い本なので、2時間そこそこで読める。
漂流記は日本独特な海洋文学であると20代のとき見抜いた吉村昭、恐るべし♪
評価:☆☆☆☆