(本日も、雪)
昭和のころに較べ、人は本を読まなくなった。
その背景には「教養主義の衰退」があると指摘されている。
以前は世界や己自身の存在を考え、深く知ろうとしたら、まず書物=印刷物に向かう人びとが多かった。
ところが、映画、TV、マンガが、既存のメディアにかわって、「情報」の主流に躍り出、ネットの普及によって、本離れ=古典的な教養主義の衰退に、ますます拍車がかかった。
そういうことを、いろいろな批評家、社会学者が分析し、論評している。
日本人の二人に一人は、1年間まったく本を読まないそうである。
ヨーロッパ、アメリカはそれほどではあるまいが、日本人のポピュリズムと他者志向性は際立っているとおもえる。
「世の中で話題になっているから、そういう映画を視、マンガを読む」
「いま一番売れているそうだから、自分もそれを買う」
「ものを買うとき、売上げランキングがいつも気になる」
民主主義は多数者による支配なので、ポピュリズムと他者志向性はそこから発しているのだろう。
友人に「おまえは教養主義者だ」と時折批判される。古い世代に属し、アナログ人間である。そういう流儀を、いま風に改造しようとは考えない(^^;)
わたしと同じ人間は、少数ながら生き残っている。
だれしも「知的好奇心」を持っている。それがどういった方向へ向かうか?
いまさら出世しようとは思わないし、古めかしい教養主義にしがみついているわけでもない。
俗にいう上昇志向がまったく存在しないわけではないが、基本的には知的好奇心がおもむくまま、「愉しいから」本を読んでいる♪
さて、というわけで、<最近読みおえた本の感想>をまとめて書いておこう。
■「超マクロ展望 世界経済の真実」水野和夫 萱野稔人(集英社新書)2010年刊
これはわたしにとって、かなりエキサイティングな本だった。
文句なしにおもしろく、ほぼ一気読み。
2010年の刊行なので、そろそろ賞味期限がきれているかと心配した。しかし、そんなことはまったくない。
水野さんは、経済と金融を専門とする批評家。気鋭の哲学者・社会学者で売り出し中の萱野さんとの対談だが、座はほぼ水野さんがリード、それに対し、萱野さんがコメントを返している。
以前読んだ「資本主義の終焉と歴史の危機」(集英社新書)からは大きな影響をうけた。
世界経済、金融のウォッチャーとしては、中谷巌さんや榊原英資さんよりこの人の言説のほうが核心を衝いている・・・と思われる。
評価:☆☆☆☆
■「カール・マルクス 『資本主義』と闘った社会思想家」佐々木隆治(ちくま新書)2016年刊
哲学・思想の分野では、マルクスの再評価がすすんでいて、関連本が多数出版されている。
その中から、これを選んで読むことにした。
マルクスの抜粋ノート「新MEGA」の翻訳者、研究者のお一人だからである。
自分の思想構築のため、断片的にマルクスの思想=ことばを援用するのではなく、渾身でマルクスに立ち向かおうとしている姿勢を評価したいからである。
資本主義をその根本に立ち返って批判しようとすれば、マルクスの存在を無視するわけにはいかない。
そういう新しい世代が育っているということだろう。
とくに第3章「資本主義とどう闘うか 晩期マルクスの物質代謝の思想」は注目すべき論攷。
21世紀に生きるわれわれに対し、マルクスがどんなメッセージをつたえているのかを探っている。
決して難解ではないが、歯応え十分、わたしが100%読みこなし得たかいささか心許ないが・・・(@_@)
評価:☆☆☆☆
■「成長なき時代のナショナリズム」萱野稔人(角川新書)2015年刊
残念ながら、この本が一番つまらなかった。
なんというか「世渡り上手」が書いた本のように思われる。
問題提起し、それに応える。そして、結局当たりさわりのない結論へ導いていく。
「超マクロ展望 世界経済の真実」で萱野さんに注目したってのに、腰が据わっていない。
したがって、最後の2-30ページは飛ばし読み。
右顧左眄し過ぎて、あまりにも平凡な、だれでもがかんがえそうな思考回路にはまってしまう。
「落としどころ」はそこですか・・・といってみたい不満を感じた。
「パイが拡大しないという社会の現実」にどう向き合うかを論じている。
要するに、この成長なき時代に、われわれ一人ひとりがどう対応すべきかを、極めて「わかりやすく」、社会学者風に解説している本。
TV討論会みたいなもので、萱野さんならではの観点が稀薄である。右からも左からもバッシングされたくないという態度が、透かし見える。
たしかにナショナリズムについて論じるのは、現下の世界情勢の中にあっては、「出口が見えない」という意味で慎重な態度がもとめられてはいるが・・・。
評価:☆☆☆
昭和のころに較べ、人は本を読まなくなった。
その背景には「教養主義の衰退」があると指摘されている。
以前は世界や己自身の存在を考え、深く知ろうとしたら、まず書物=印刷物に向かう人びとが多かった。
ところが、映画、TV、マンガが、既存のメディアにかわって、「情報」の主流に躍り出、ネットの普及によって、本離れ=古典的な教養主義の衰退に、ますます拍車がかかった。
そういうことを、いろいろな批評家、社会学者が分析し、論評している。
日本人の二人に一人は、1年間まったく本を読まないそうである。
ヨーロッパ、アメリカはそれほどではあるまいが、日本人のポピュリズムと他者志向性は際立っているとおもえる。
「世の中で話題になっているから、そういう映画を視、マンガを読む」
「いま一番売れているそうだから、自分もそれを買う」
「ものを買うとき、売上げランキングがいつも気になる」
民主主義は多数者による支配なので、ポピュリズムと他者志向性はそこから発しているのだろう。
友人に「おまえは教養主義者だ」と時折批判される。古い世代に属し、アナログ人間である。そういう流儀を、いま風に改造しようとは考えない(^^;)
わたしと同じ人間は、少数ながら生き残っている。
だれしも「知的好奇心」を持っている。それがどういった方向へ向かうか?
いまさら出世しようとは思わないし、古めかしい教養主義にしがみついているわけでもない。
俗にいう上昇志向がまったく存在しないわけではないが、基本的には知的好奇心がおもむくまま、「愉しいから」本を読んでいる♪
さて、というわけで、<最近読みおえた本の感想>をまとめて書いておこう。
■「超マクロ展望 世界経済の真実」水野和夫 萱野稔人(集英社新書)2010年刊
これはわたしにとって、かなりエキサイティングな本だった。
文句なしにおもしろく、ほぼ一気読み。
2010年の刊行なので、そろそろ賞味期限がきれているかと心配した。しかし、そんなことはまったくない。
水野さんは、経済と金融を専門とする批評家。気鋭の哲学者・社会学者で売り出し中の萱野さんとの対談だが、座はほぼ水野さんがリード、それに対し、萱野さんがコメントを返している。
以前読んだ「資本主義の終焉と歴史の危機」(集英社新書)からは大きな影響をうけた。
世界経済、金融のウォッチャーとしては、中谷巌さんや榊原英資さんよりこの人の言説のほうが核心を衝いている・・・と思われる。
評価:☆☆☆☆
■「カール・マルクス 『資本主義』と闘った社会思想家」佐々木隆治(ちくま新書)2016年刊
哲学・思想の分野では、マルクスの再評価がすすんでいて、関連本が多数出版されている。
その中から、これを選んで読むことにした。
マルクスの抜粋ノート「新MEGA」の翻訳者、研究者のお一人だからである。
自分の思想構築のため、断片的にマルクスの思想=ことばを援用するのではなく、渾身でマルクスに立ち向かおうとしている姿勢を評価したいからである。
資本主義をその根本に立ち返って批判しようとすれば、マルクスの存在を無視するわけにはいかない。
そういう新しい世代が育っているということだろう。
とくに第3章「資本主義とどう闘うか 晩期マルクスの物質代謝の思想」は注目すべき論攷。
21世紀に生きるわれわれに対し、マルクスがどんなメッセージをつたえているのかを探っている。
決して難解ではないが、歯応え十分、わたしが100%読みこなし得たかいささか心許ないが・・・(@_@)
評価:☆☆☆☆
■「成長なき時代のナショナリズム」萱野稔人(角川新書)2015年刊
残念ながら、この本が一番つまらなかった。
なんというか「世渡り上手」が書いた本のように思われる。
問題提起し、それに応える。そして、結局当たりさわりのない結論へ導いていく。
「超マクロ展望 世界経済の真実」で萱野さんに注目したってのに、腰が据わっていない。
したがって、最後の2-30ページは飛ばし読み。
右顧左眄し過ぎて、あまりにも平凡な、だれでもがかんがえそうな思考回路にはまってしまう。
「落としどころ」はそこですか・・・といってみたい不満を感じた。
「パイが拡大しないという社会の現実」にどう向き合うかを論じている。
要するに、この成長なき時代に、われわれ一人ひとりがどう対応すべきかを、極めて「わかりやすく」、社会学者風に解説している本。
TV討論会みたいなもので、萱野さんならではの観点が稀薄である。右からも左からもバッシングされたくないという態度が、透かし見える。
たしかにナショナリズムについて論じるのは、現下の世界情勢の中にあっては、「出口が見えない」という意味で慎重な態度がもとめられてはいるが・・・。
評価:☆☆☆