二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

渡辺照宏の二冊を読む ~「お経の話」と「日本の仏教」

2021年02月28日 | 哲学・思想・宗教

■渡辺照宏「お経の話」岩波新書(1967年刊)


ずいぶん昔、高校の終わりころだと思うが、表面づらだけは読んでいる。むろん内容が理解できたわけではない。文字を追っただけ(´?ω?)
だけど、多少は記憶のへりに引っかかっているものがある。

たとえば、
《諸行無常 諸の行は無常なり。
是生滅法  これ生滅を法となす。
生滅滅已  生滅にして滅し已(おわら)らば
寂滅為楽  寂滅して楽となる。》

・・・という「涅槃経」の一節など。これが空海(じっさいには数百年ののちに作られた)のいろはうたになぞらえて謳われているのは、ここから仕入れた知識。

《色は匂へど 散りぬるを
わが世誰ぞ 常ならむ。
有為の奥山今日越えて
浅き夢見じ
酔ひもせず。》

友人の一人に高野山真言宗の寺の次男坊がいて、彼にそそのかされた。
「渡辺照宏を読め! 岩波新書なら安いし、おもしろいからね」
そういわれて「仏教」と「お経の話」を読んだ。それが仏教書を読んだ最初なのではないか?
その古い本が、本の山のなかから出てきた。半世紀ぶり・・・なのだ。
それで読み返したが、いま読んでも十分通用する。

岩波新書では、本書は現在でも新本で買うことができる。賞味期限切れになってしまった部分が、多少はある。何しろ54年も前の刊行なので、その後、仏教研究は着々とすすんでいる。
般若経 華厳経 維摩経 勝鬘経
法華経 浄土経典 密教経典
これらの経典が、ごくあっさりと要約されている。紙幅に限りがあるため、きわめて急ぎ足なのが物足らないが、やむをえないだろう。文章は論理的で、歯切れがよい。

著者はとっくの昔に亡くなっているが、本書のほか「仏教 第二版」「日本の仏教」はまだに現役だとはすごいことだ! 岩波のロングセラーは何冊もある。息の長いご商売をしているわけだ。
近ごろは、初刷りだけで消えていく内容のあまりない新書の、何と多いことだろう(`ω´*)


評価:☆☆☆☆




■渡辺照宏「日本の仏教」岩波新書(1958年刊)


わたしが買ったのは、2019年刊行、第72刷りのもの。まさにロングセラーとえる一冊である。他の新書で50年60年のロングセラーって、存在するのだろうか!? 

岩波新書は1938年の創刊で一番の老舗、
つぎがずっと遅れて中公新書1962年、
講談社現代新書が1964年。
ちくま新書は1994年、文春新書が、1998年となるそうである。
岩波といえば学閥に依存したアカデミズムといわれたりするが、それゆえの強靭な生命力を持っているのも確かだ。
渡辺さんは中村元さんより少し上のお生まれで、東大のインド哲学科の出身である。

この本は、梅原猛さんの連続講演を聞きにいっていた高校時代か、そのあとで一度読んでいる。半分ほど読みすすめてから、ぼんやり思い出した(ノω`*) 
使命感に燃えているというか、とても“硬派な”味わいがおもしろいのでびっくりさせられる。有名な宗祖を、バッサリ、バッサリほぼ撫で斬り。
岩波新書としてはめずらしく歯ごたえ十分な一冊である。

とくに目を惹くのは、日蓮批判。
わたしは本書を読んだことで、若いころから、日蓮嫌い、創価学会嫌いになったのだろう。その対極にある存在として、良寛を褒めたたえている。
インド発祥の仏教は、中国で驚くような変貌を遂げた。中国の人びとは、何でも鵜呑みにしてしまう日本人と違って、必ず中国流に置き換える。現在もそうだが、これは表音文字をもたないことと多少関係があるのではないだろうか。

渡辺照宏さんは、仏教における歴史的人物を、4つの類型に腑分けしておられるが、このあたりの省察は、いま読んでも秀逸なものがある。
第1類:道昭 行基 良弁 空海etc. 
第2類:叡尊 忍性etc.
第3類:法然 親鸞 日蓮etc.
第4類:空也 一遍etc.

このうち、第3類に分類される人たちは「観念的遊戯にふけっていただけ」と手厳しく、小気味よい。
いつものように本稿が長くなってしまうため、内容には立ち入らないが、親鸞への揶揄と、道元の高評価は注目に値する。

またピクニック気分でお寺さんへ出かけることを戒めているのも、硬派の硬派たる所以だろう。
《宗教と娯楽のけじめがつかないのも日本人の特徴の一つ》(76ページ)と。
「まあ、そんなに目くじら立てても・・・」とお茶を濁して事足れりとする、ある意味ずるい先生方が多いなか、渡辺さんは、あえて日本の仏教に一石を投じたといえる。
インドには日本でいう宗派は存在しないのだそうだが、これもいわれてはじめて気がついたこと。
《義浄の報告によれば、大乗は中観と瑜伽(または唯識)の二派のみで、この二派を区別するのは哲学上の意見の相違である。中国や日本でいう宗派のようなものは、インドには影も形もないと言って差支えない。》(142ページ)

過去には活況を呈した時代もあったのに、仏教は現在、一般的に葬祭儀礼、または行楽に訪れる場所と化している。
本書が刊行されたのは1958年と旧いが、いまでも十分通用する・・・どころではない! その見識は、本気で日本の仏教界に警鐘を鳴らしているという意味で、エキサイティングですらある。

それにしても学ばなければならないことの、何と多いことだろう(;^ω^)


評価:☆☆☆☆☆

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