以前に引用した記憶があるが、
幕末の長州藩が輩出した志士のひとりに高杉晋作がいて、
その辞世の句(実際には辞世ではないという説がある)はたいへんよく知られている。
「おもしろきこともなき世をおもしろく」が上の句。
「すみなすものは心なりけり」が下の句。
あー、昔トイレに貼ってあったので知ってる・・・などと混ぜっ返さないで欲しい(^^;)
五十数年人間をやっていると、年に数回は「なんだかつまらねえなあ。おもしろいことないかなあ」とため息をつきたくなる日がある。そういうとき、よくこの句を思い起こす。
こころ弾まず、頭上に暗雲がたちこめているようなとき、ふと眼に飛び込んできた植物に心を動かされる。植物は街撮りのときにも、必ず何枚かは撮影している。街の中だから、庭先の花だったり、畑の野菜だったり、街路樹のたたずまいだったり。
植物とは何か?
植物はわれわれ動物と鉱物を結びつける存在である。
動物は結局のところ、植物に依存している。
鉱物とは、この地球のことでもある。冷たく硬質で拒否的。それを包み込んで動物のために環境を用意してくれるのが、植物にほかならない。しかし、むろん、きれい事だけですまされはしない。音もなく押し寄せてくる緑の脅威――雑草。
農家は一年を通じて、この雑草とのたたかいに明け暮れている。
鉱物ほどではないが、人間は植物には容易に感情移入できない。だれもが讃歎をおしまない美しい花ならともかく。
しかし、植物だって、人間と同じように「美しい花」だけではないのだ。
あるいはその花も、いずれ「枯れ姿」をさらすときがくる。
この一枚を見ながら、写真とはなんだろうと考えたりする。
あるいは、こっちの一枚を眺めながら、すぐに羽ばたいて飛び去ってしまうチョウの似姿へと連想がつながる。
おもしろきこともなき世をおもしろくすみなすものは心なりけり
わたしにとっては、まさにこの心境を実証するのがこれらの「植物図譜」であるようにおもわれる。
幕末の長州藩が輩出した志士のひとりに高杉晋作がいて、
その辞世の句(実際には辞世ではないという説がある)はたいへんよく知られている。
「おもしろきこともなき世をおもしろく」が上の句。
「すみなすものは心なりけり」が下の句。
あー、昔トイレに貼ってあったので知ってる・・・などと混ぜっ返さないで欲しい(^^;)
五十数年人間をやっていると、年に数回は「なんだかつまらねえなあ。おもしろいことないかなあ」とため息をつきたくなる日がある。そういうとき、よくこの句を思い起こす。
こころ弾まず、頭上に暗雲がたちこめているようなとき、ふと眼に飛び込んできた植物に心を動かされる。植物は街撮りのときにも、必ず何枚かは撮影している。街の中だから、庭先の花だったり、畑の野菜だったり、街路樹のたたずまいだったり。
植物とは何か?
植物はわれわれ動物と鉱物を結びつける存在である。
動物は結局のところ、植物に依存している。
鉱物とは、この地球のことでもある。冷たく硬質で拒否的。それを包み込んで動物のために環境を用意してくれるのが、植物にほかならない。しかし、むろん、きれい事だけですまされはしない。音もなく押し寄せてくる緑の脅威――雑草。
農家は一年を通じて、この雑草とのたたかいに明け暮れている。
鉱物ほどではないが、人間は植物には容易に感情移入できない。だれもが讃歎をおしまない美しい花ならともかく。
しかし、植物だって、人間と同じように「美しい花」だけではないのだ。
あるいはその花も、いずれ「枯れ姿」をさらすときがくる。
この一枚を見ながら、写真とはなんだろうと考えたりする。
あるいは、こっちの一枚を眺めながら、すぐに羽ばたいて飛び去ってしまうチョウの似姿へと連想がつながる。
おもしろきこともなき世をおもしろくすみなすものは心なりけり
わたしにとっては、まさにこの心境を実証するのがこれらの「植物図譜」であるようにおもわれる。