ある日突然に昔の冠婚葬祭では、白いご飯が特別なご馳走だったと気付いた。
通常の四つ脚膳(正式名称は宗和膳)より二回りほど小さく、脚の下部がつながって窓あきになったタイプの用途がわからなかったのだが、正体は飯ビツ専用の膳ではないか?
戦前の日本では白米が食えない、あるいは食ったことのない庶民は多く、麦めしや大根めしに代表される雑穀・豆・野菜で増量したカテ飯が常食だった。
臨終の枕頭で米をいれた竹筒をシャカシャカとふって「白マンマだぞう!」と聴かせ、安らかに逝かせる風習もあった。
そんな庶民にとって冠婚葬祭で椀飯振舞い(おうばんぶるまい)される白マンマ・銀シャリは特別なご馳走であったに違いなく、だからこそ飯ビツは畳のうえに直置きせず、わざわざ専用の膳に鎮座させていたのではないか?
地元の人でさえ用途がわからなくなっていた輪島漆器であっても、7ヶ月も付き合っていると断片的な情報と情報がつながって気付きになる。
ご飯を粗末にしちゃバチがあたりますナ。
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