マジッド・マジディ監督のイラン映画「少女の髪どめ」は、イランに移民したアフガン難民の少女と、少女に淡い恋心を抱きつつ、やがてアフガン難民への無償の愛に目覚めていく貧しいイラン青年の物語。
内戦、ソ連侵攻、タリバン支配で村が壊滅したアフガン難民は、隣国に逃れても労働許可がなく、違法で低賃金な肉体労働で命を繋ぐ。
少女もその一人で、家族を養うために男装して、建設現場や冷たい河の中から石を拾って日銭を稼ぐ。
最初は男の子だと思って邪険にする粗野なイラン青年を狂言回しにし、アフガン難民の悲惨な生活が淡々と描かれていく。
映画の中で少女は、肉体労働の苦痛に顔をゆがめることはあっても、感情を一切顔に出すことも口を開くこともない。
過酷な運命を「アッラーの導くままに」と言わんばかりに、従容と受け入れるアフガン女性を象徴しているのかのようだ。
ラスト近く、アフガンに残った親戚の面倒をみるため、少女の家族はタリバン残党がはこびる故郷に戻ることを決意する・・・民族衣装に身を包み、チャドル(顔の覆い)を被る時の少女の顔は、誇りに満ちている。
世界で最も女性差別が酷いとも伝え聞くアフガン、興味と勇気があったら検索すれば正視に堪えない画像が出てくる。
鼻と耳を削がれた女性、硫酸を顔にかけられた女性などなど・・・あの少女はアフガンで無事に生きているのか?と切なくなってくる。
「教えられなかった戦争」のフィリピンもそうだが、アフガン難民問題も出口が見えない闇。
主人公のイラン青年はイラン人の良心、闇の一隅を照らす微かな灯明。
多弁に過ぎることなく、淡々と映像を紡いでいく手法をとるマジッド・マジディ監督は、インドのサタジットレイ監督や黒澤、小津安二郎監督に匹敵する偉大な映画人だ。
最近の日本映画は、大仰な表情やリアクション、セリフで説明し過ぎるから浅薄で観ていられない。
多くの人に観て頂きたい映画。
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