「糸魚川翡翠展2024」は、価値がないと省みられることのない端材からの作品つくりに力をいれた。
黄緑色の勾玉はロウカン(琅玕)と尊称される最上級品。淡い蒼の勾玉はイリコンヒスイの不純物のない大トロ部分。濃い蒼の勾玉はコバルトヒスイ。
現在はどれも流通しない希少な原石だから、小さな欠片も大事にとっておき、ここぞという時に作品化する。わたしは希少なヒスイの端材で短冊形のストラップをつくっても作品とはいえないと考える。
またこれ見よがしに希少な原石を安売りするのはもったいない話で、世阿弥さんは、得意な演目こそ「ここぞという時」のためにとっておけと戒める意味で、「秘すれば花」という言葉を遺しているではないか。
能登半島が二度の激甚災害の被害をうけ、世界中で極右政治やポピュリズムが如実になった今年が「ここぞという時」だろう。
災害で保管場所がなくなった輪島漆器も、災害関連ゴミ扱いしてはかわいそうだ。
最澄が天台宗の教理にすえた「一隅を照らす」を、自分の仕事やボランティア活躍に反映させているつもり。
昨今流行りの善と悪、真実とフェイクといった二元論では、部屋の角に暗い闇ができる。個人では強烈なライトで照らすことは無理でも、小さな灯りで部屋の隅にできた闇を照らし、差別やイジメを見過ごさずに寄りそう・・・最澄さんって優しいな、と思う。
これから上京だ。「一隅を照らす」仲間が増えてくれたら幸い。
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