観光地には「観るモノ」を期待してしまうが、富山の県境にある糸魚川市上路地区は「山姥の里」として、古来から知られる「感じるモノ」を味わう観光地。
というより昔ながらの名所旧跡。
天下の険「親不知」を迂回する山道の途中にある小さな集落でもあり、中世にここを訪れた一休禅師が「上路の山姥伝説」を伝え聞き、都で広めて世阿弥が謡曲「山姥」を創作した・・・らしい(笑)
昼なお暗い森の中にひっそりと祀られた山姥神社。
蝉時雨がこれほど似合う場所もなく、陰々と山姥の哀れが浸み込んでくる。
謡曲の多くは旅人が、旧跡や何事かのいわくありげな土地を訪れた際、土地にに呪縛された亡霊と出会い、亡霊が切々と我が身を物語りし、旅人が謡で鎮魂する構造になっているが、亡霊が成仏したのかどうかは未定のまま終わる。
「上路の山姥の里」は、今も山姥が語り掛けて来るようで、中世そのままに「山姥の里」は脈づいている。
だから観光バスで賑々しく訪れる場所ではなく、できれば独りでひっそり訪れたい旧跡。
無理やり観光客を集める不自然な観光施策ではなく、こういう所や天津神社などで謡曲「山姥」を上演する機運を作ってこそ文化的ではないだろうか。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます