ネット情報を都合よく切り張りした、我田引水の解釈でモノゴトを語る人はおおく、またトンデモ説ほど拡散しやすい。
ヌナカワ姫の子供とされている諏訪明神(タケミナカタ)の伝説が、糸魚川に見当たらないのはなぜだ?
文献を丹念に読み込んで論考した本書に、そのヒントがありそうだ。
初期の諏訪大明神は、複数の神様コンプレックスであったのが、鎌倉幕府の中枢にいた諏訪円忠がタケミナカタ推しのキャンペーン活動をした結果、諏訪明神とはタケミナカタ!と知名度を獲得していったのですな。
糸魚川の碩学、青木重孝氏も、市内の諏訪系神社は尚武の気風が奨励された鎌倉時代の創建なのだと「糸魚川市史」に書いていることと符合がいく。
神社の名前や由来書きも、実は明治以降の国家神道の時代以降に書き替えられていることが多く、奴奈川神社もヌナカワ姫命とヌナカワ彦命を祀る「柳形神社」「柳形明神」と呼ばれていた。
柳形とはイズモ勢力から逃げてきたヌナカワ姫が「お隠れになった稚児ケ池」の小字であることがわかっていたが、明治末に「糸魚川町、柳形村、奴奈川村が合併した」という文献を発見した。
丁寧に時系列で調べていくと迂闊な解釈はできなくなるのが普通だよねw
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