縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

大円団の三本締め・・・環状集落と年輪

2020年11月19日 06時57分48秒 | ぬなかわヒスイ工房

個展を成功裡に終えて、一切を撤収して元のガランとした空間に戻ったギャラリーは、ツワモノどもの夢の跡。

私は梱包作業、プロデューサーの天川彩さんとスタッフの恭ちゃんは売上集計作業にと、4日間の怒涛の日々にケジメを付ける。

何人の人が来て話したのか?夢の中のできごとのように感じる。

麗しき女性からお花まで頂きましたぞ・・・

「大首飾り」複製プロジェクトでお世話になった、國學院大學の内川先生が激励に来てくださいました。

私の荷物を宅急便で送り出し、売上集計が終わったら、いよ~っ!と大円団の三本締め。

打上げで中華料理屋さんに行ったら、天川彩さんの友達のWAHAHA本舗の佐藤正宏さんが偶然に隣の席におられ、合流する幸運に恵まれた。

落語談義から始まり、私の好きな小沢昭一さんや三木のり平さんの思い出話しなど貴重な話しを聴けたのだけど、佐藤さんの演劇論が私のヒスイ加工論とまったく同じで「そうでしょ!」と、我が意を得たりと膝を打ち過ぎて青アザになったくらいだ( ´艸`)
 
最も印象に残っている話しは、縄文時代の環状集落について「樹の年輪の中央は死んでいるけど、周りは生きて大きくなっていく。俺は死んで材木として使ってもらえばいい」という佐藤さん独自の解釈で、その感性の鋭さに感嘆した。
万葉集や古事記の研究家として高名な、文学者の三浦祐之先生も来てくださいましたが、先生のお人柄の良さに悪ノリして勾玉イヤリングを付けてもらって記念撮影(笑)
 
橋・箸・柱の語源は、端と端を繋ぐ役割に由来していると梅原猛が書いているけども、私と世界を繋ぐ架け橋はヒスイと縄文、そしてヌナカワ姫。
 
個展会場に来てくれた方々の多くは、それらの関連で知遇を得たお友達だから、私にとってのヒスイは天橋立、天磐舟。
 
東京糸魚川会の方々もたくさん来てくださったので、地縁も忘れてはなりませぬ。
三浦祐之先生からは、例えばヌナカワ姫の時代のヒスイの固有名詞はヌだと思いますなどなど、知りたかった疑問をご教示頂いた上にご著書まで頂きました!
 
7年前に3畳間の狭い工房を自分ひとりで建て、5年目に「大首飾り」を作るために6畳間に増築したが、来客が増えたので手狭になってきた。
 
六畳間だと来客は4名が限度だし、狭いから作品を常に収納しているので見せることができず、個展会場では何度も工房に遊びに来た人から「えっ、こんなの作っていたんですか?!」と驚かれたりもして、作品群を常設展示する必要を実感した。
 
今後はもっと多くの方々が訪ねて来るだろうから、接客の合間に脳内で増築の可能性を考え始めた。
 
来年は9年目だから9畳間に増築するゾ!と帰りの新幹線の中で決意・・・2ヶ月くらいは仕事できなくなるが、作品が常設展示できて応接間がある工房を作りますぞ。
 
2、3年ごとくらいに増築を繰り返す計画性の無さに笑ってしまうが、脱皮!
 
 


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