週明けの能登行きのまえの準備で、上越市に買い物ついでに居田ケ浜(コタガハマ)に寄ったら、能登から漂着したらしき浮き球をひろった。
かっての居田ケ浜は上杉謙信の軍港があった深い湾であったが、江戸時代の高田平野内陸活断層の地震で隆起して港としての機能を失い、現在は遠浅のサーフィンポイントとして知られている。
能登の気多大社と同じくケタ・コタの類似地名がつけられ、付近に居田神社もあるので、弥生時代後期くらいに山陰勢力の越後の橋頭保であったらしいことが伺え、関川をさかのぼれば広大な高田平野を経由して善光寺平まで平坦な地形がつづく。
登山家の野口健さんが「輪島漆器販売義援金プロジェクト」をXで紹介してくれたことが契機になったようで、私の知らないSNSでも情報が拡散されるようにもなり、ちょっと怖い感じがする。一時期はプレッシャーからか不整脈や胃痛に悩まされたが、ひらきなおったのか峠は越えたようだ。
そのなかで穴水から大量の輪島漆器救出の依頼もあったが、現在のところは販売希望の木箱入りの「家具膳」が20箱以上の情報が寄せられていて、わたし独りで捌けるのかも心配だ。
今回の能登行きでは各地の漆器販売希望の被災者と面談して状況の把握に努めることと、漆器販売ボランティアの掘り起こしがメインになりそうだ。
ヒスイと縄文が好きだと突然に訪ねてきた東京の中村さんが、輪島に漆器業者の工房長屋を仮設住宅でつくるプロジェクトで糸魚川のあとに能登に行き、しかも今回訪ねる予定の輪島漆器の大御所も関わっているプロジェクトと聞いて驚いた。
その面談中に訪ねてきた地元のアウトソーシング会社のS社長も、大御所のお得意先で懇意にしているとあっては能登の神様のお引き合わせとしか考えられないではないか。
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