縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

「動乱」は右傾化プロパガンダ映画なのか?・・・「永遠のゼロ」「男たちの大和」の系譜

2022年01月08日 11時53分55秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画
「永遠のゼロ」「男たちのヤマト」など、ヒットしても史実を歪曲して戦争を美化していると評価もされる戦争映画は、1980年公開の「動乱」からではないだろうか。
「動乱」では2・26事件で反乱を起こした皇統派の青年将校を、「地方の困窮が深刻化して若い女性が身売りされる現状は、君側の奸たる内閣要人を粛正する必要がある」と動機つける、純粋無垢な憂国の軍人、悲劇の英雄として描かれている。
 
しかしだ、この年の軍事費は国家財源の実に48%にまで膨れ上がっており、その事態は陸軍が内閣の審議や天皇の裁可もなく独断専行でおこした、満州事変を発端とする「満蒙は日本の生命線」というお題目の侵略戦争が泥沼化した史実は描かれていない。
 
資料をみると2・26事件の翌年から軍事費はさらに増えつづけ、1944年には85・3%にまでになっているから、軍事費削減に奔走していた大蔵大臣の高橋是清をはじめとした内閣要人を暴力で排除して、さらなる軍拡を目論んだクーデターが真相と私は認識している。
 
当時のリベラル派や海軍が、「陸軍が勝手におこした戦争」と呼んだ中国大陸での戦争は、上海事変、ノモンハン事件、日中戦争、三国同盟を経て太平洋戦争へと繋がっていった。
 
映画は興行だから、儲からないと次がない。おおくの人に観てもらうには、史実に忠実でなくても見せ場は必要になるだろう。
 
高倉健さんも吉永小百合さんも名優。「動乱」は右傾化を煽るプロパガンダ映画と評価されたが、製作現場にはそんな意図はなかったのかも知れない。
 
当時の東映の戦争映画は、「泣かせんと客が入らん・こんな脚本じゃ客は納得せん・お年寄りや女の客が喜ぶ映画を」と経営陣が現場に横槍を入れてしまうことで、結果として、売るためには史実とはかけ離れてもよしとする映画、村芝居がかったお涙ちょうだい映画、八方美人的な無思想映画になってしまう傾向があるように思える。
 
そんな映画作りの系譜のなかに「永遠のゼロ」「男たちの大和」はあるのではないか。戦争映画は商業作品であり、映像記録ではないことは忘れないで欲しい。
 
やたらに情に訴えるロマン主義で描かれた戦争映画を観て興味をもったら、自分で歴史を調べてみること。
 
太平洋戦争を起こした人々は、民族優越主義に酔い痴れ、その陶酔に同調できない人々を国賊、非国民と呼んで弾圧したことも忘れてはいけない。
 
 
 
 
 

黒い怪鳥、その名は蛇紋岩の勾玉首飾り・・・大首飾り令和の改修プロジェクト

2022年01月05日 08時26分57秒 | ぬなかわヒスイ工房
「平成の大首飾り」の時に作り、令和でロディン岩に作り替えた蛇紋岩の勾玉24点と管玉2点をつなげたら、まるで羽根を広げた怪鳥のような迫力。
蛇紋岩や滑石の出土品は、柔らかくて加工しやすいのに切削傷が残っていたり、不格好だったりの粗製品が多いように見受けられるのだが、希少な石材の代替品であったのか?
 
だとすると威信材というより、糸魚川の「天津神社境内遺跡」の出土品のように、祭祀の後に埋納するために作られたものなのだろうか?
 
こんな疑問を、個展に訪ねてきてくれた考古学者に質問したら、どうもそうとばかりは言えないらしい。祭祀で一度使って埋納する目的だけで作っていたなら、もっとたくさん出土していてもいいのにと思っていたけどネ。
「お客さんは安くヒスイを買いたいんだから、勾玉の形なんてどうでもええんだわ」と言っている同業者がいると伝え聞いたことがあるが、確かにそういうお客さんもいるだろう。
 
希少なロウカン質のヒスイで作った装身具なら、例え粗製であっても「いいヒスイを安く買いたい人」になら売れて当たり前だろうが、そこらに落ちている石で作った勾玉が売れないならば、技術は評価されていないということ。
丁寧に鏡面仕上げした蛇紋岩製の勾玉は黒光りして美しく、ヒスイを見慣れた同業者からも「なにこれ?黒ヒスイ?」と聞かれたくらいで、現代では蛇紋岩の魅力はあまり知られていない。ちなみにこの勾玉はつや消し加工をしてある。
 
ところが糸魚川の海岸や姫川にゴロゴロと転がっているありふれた蛇紋岩に縄文人は何ごとかを感じて、蛇紋岩で作った石斧をお宝のように副葬品にしている例もあるし、装身具だって作っていた。
 
ヒスイだけが糸魚川の石じゃないぜ!と言い続けてきたが、「ヒスイでなくても売れる勾玉作り」が、今年のとりくむべきテーマ。
 
 
 

「松阪市民と大首飾りの物語」を!・・・令和の大首飾りプロジェクト

2022年01月03日 09時59分39秒 | ぬなかわヒスイ工房

立てて飾って二週間経過した「大首飾り」の複製品。

本物の絹糸にかえても駄目なら、結び目を紫外線硬化タイプの接着剤で固着という対策は不要のようだ。

 
年末に「松浦武四郎記念館」の山本学芸員に経過報告をしたら、私が作った「平成の大首飾り」は今後は展示専門にして、イベントで首に掛けられるものも新規に作ったらどうかというアイデアも出てきたとのこと。
 
それなら実測図通りに作るより、ある程度は規格化して作れば「平成の大首飾り」より安上がりになるし、万が一に結び目が解けてバラバラになっても修復は容易とアドバイス。
 
もっといいのは、武四郎の誕生日に松阪市民243人を集めて、実測図通りに243点の玉類を作らせる「市民がつくる大首飾りプロジェクト」を毎年開催してはどうか?
 
各地の博物館でやっている、滑石製の勾玉つくり体験会の方式なら予算もかからず、市民に開かれた記念館になるばかりか、市民参加の文化行事として継続的に運営でき、かつ数年後には武四郎コスプレでパレードもできるとアイデアを出した。その時には玉類つくりの講師を依頼してくださいよ・・・とも。
 
ガラスケースの中に収まった歴史から、市民が触れられる歴史、市民と共に成長していく歴史へ。
 
例えば「大首飾り」つくりに参加した小学生が、20年後に「この勾玉はお父さんが作ったんだよ」と自分の子供に自慢する場面を想像してみてらどうだろう?
 
郷土出身の偉人が身近に感じられ、参加者が語り部になってくれるに違いなく、「松阪市民と大首飾りの物語」が紡がれていく。山本学芸員と夢を語り合った。