香港の『りんご日報』こと
蘋果日報(アップルデイリー)
が今日6月24日をもって、26
年の歴史に幕を閉じました。
1995年にカジュアルファッシ
ョンの製造販売で富を築いた
黎智英(ジミー・ライ)が日刊紙
を創刊したとき、私は香港に
住んでおり、新しい新聞の誕
生をよく覚えています。
それまでの中国語紙が一気に
古臭く見えた斬新でカラフル
なシャレた紙面構成と、他紙
が多用する赤とはうらはらに
爽やかな青をコーポレートカ
ラーにした斬新な紙面でした。
仕事柄経済紙ばかり読んでい
ましたが、オフィスには同僚
が買ってきた読みさしがいつ
もその辺に置いてありたまに
手に取ったりしていました。
りんご日報の廃刊はひとつの
時代の終了の象徴であること
は間違いないことでしょう。
他国なら歴史の教科書に載る
ような出来事だと思います。
『2021年:りんご日報廃刊』
そしてふと昔の香港の写真を
眺めたくなり、その数の少な
さに愕然としました。
(※家の近所だった飲茶屋)
「いつでも来られる」
と信じきっていた上、あまり
に見慣れた光景に写真に残す
までもなく過ごしていました。
(※おなじみダブルデッカー)
そしてふと思ったのが、
「また行くことがあるだろうか」
と今まで1度も考えたことが
なかったことが頭をよぎり、
移住から17年の月日の長さ
がリアルに感じられました。
黄色いビルは移住前3ヵ月間
暮らしたサービスアパート。
私たち一家は17年前ここか
ら空港に向かったのです。
蘋果日報(アップルデイリー)
が今日6月24日をもって、26
年の歴史に幕を閉じました。
1995年にカジュアルファッシ
ョンの製造販売で富を築いた
黎智英(ジミー・ライ)が日刊紙
を創刊したとき、私は香港に
住んでおり、新しい新聞の誕
生をよく覚えています。
それまでの中国語紙が一気に
古臭く見えた斬新でカラフル
なシャレた紙面構成と、他紙
が多用する赤とはうらはらに
爽やかな青をコーポレートカ
ラーにした斬新な紙面でした。
仕事柄経済紙ばかり読んでい
ましたが、オフィスには同僚
が買ってきた読みさしがいつ
もその辺に置いてありたまに
手に取ったりしていました。
りんご日報の廃刊はひとつの
時代の終了の象徴であること
は間違いないことでしょう。
他国なら歴史の教科書に載る
ような出来事だと思います。
『2021年:りんご日報廃刊』
そしてふと昔の香港の写真を
眺めたくなり、その数の少な
さに愕然としました。
(※家の近所だった飲茶屋)
「いつでも来られる」
と信じきっていた上、あまり
に見慣れた光景に写真に残す
までもなく過ごしていました。
(※おなじみダブルデッカー)
そしてふと思ったのが、
「また行くことがあるだろうか」
と今まで1度も考えたことが
なかったことが頭をよぎり、
移住から17年の月日の長さ
がリアルに感じられました。
黄色いビルは移住前3ヵ月間
暮らしたサービスアパート。
私たち一家は17年前ここか
ら空港に向かったのです。