to be with my dogs

犬と私と羊...合言葉は「自然体」

言いなりではなく見極める

2011年08月21日 | 日々の出来事

とある場所であったワンコさんが、スパイクカラーをつけていた。

 

飼い主さんは、その使い方を心得ているとは思えないくらい、むやみにリードを引いていた。

その様子がかなり気になったのだか、友人でも直接の知り合いでもなかったので、

そのまま見て見ぬふりをしたのでした。

何度か見かける機会があったのですが、最後にお会いした時には、

たびたび引かれるスパイクの痛みに犬が逆切れして咬みついてました。。。

なぜ、それを使用しているのか、話を聞くと、トレーナーが

「同犬種に使用したら、上手くいったので。。。」ということらしい。

私は、この飼い主さんが自分の犬をどうしたいかじゃなくて、言われるがままだったことに

ちょっと不愉快な気分になった。

犬を飼うことや、犬をしつけることに不慣れな人であれば、

闇の中を歩いているようなもので、差し伸べられた手に誘導されてしまうのは、

多少は仕方のないことだと思う。

だけど、道具のもらたす効果と副作用ぐらいはきちんと勉強して

「なぜ、それを愛犬の首につけなければいけないのか?」必要性を理解してから

使用すべきだと私は思う。

それが自分の犬に必要か必要じゃないかは、飼い主が一番わかるのだと思うから。

守ってくれるべき飼い主が、人のいいなりだったら、どんなに犬はがっかりするだろう。。。

考えただけでも悲しくなりますよ。

それでいて飼い主さんによっては、強制訓練をして「犬をダメにされちゃった~」とか

「犬が辛そうだったから良くなかった」みたいな、

文句と後悔の念を切々と語っている人がいるけど、

自分の犬に何が必要で、何を施したら良いのか、きちんと相談できていれば、

訓練の方法やトレーナーに対するクレームや後悔は起こらない問題だと思うのです。

厳しいことを言うようだけど、自己責任ですよ。

単なる無責任を他者のせいにしているとしか私には見えないのです。

そして、その説明だったり、きちんと納得のいく答えや結果をだせないような

トレーナーは未熟なんですよ。

もちろん、この飼い主さんのことを批判する前に、このような未熟なトレーナーが

仕事をしていること自体、不愉快でした。

 

理論的にこうすればこうなるとか、それはそれで高尚な理論として大事かもしれない。

私は結果を伴わない理論は、それは仮説でしかないと思う。

「こうすれば、究極!、こうなるだろう。。。」って言うのは教えるべきではないと思う。

一緒に成長する?おカネをいただくってことはそういうことじゃないんですよ。

「使ってみて良かったから、効くだろう。。。」じゃ、ダメなんですよ。

プロとして恥ずかしい。。。

上手くいく場合もあれば、そうでない場合もある、

合う場合もあれば、合わない場合もある。。。私はそれでは納得できません。

何故、上手くいかないのか、合わないのか、そこを考えなければ何も変わらない。

 

ストイックなようだけど、世の中「結果」なんです。

過程や努力は誰もが認める「結果」がでて、初めて認められるものじゃないでしょうか。

誰かに認められるためにやってるんじゃないから。。。確かにそうです。

でも、誰もが納得のいく結果が出て来なければ、

やはり自分で自分を認められないのではないでしょうか。

 

犬を単にビジネスの対象として考えるなら、高尚な理論と机上の空論を並べ立てて、

飼い主の気を引く言葉で巧みに操ればOKなんでしょうね~。

私は、そんなの認めない!



最新の画像もっと見る

post a comment

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。