旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

瑞泉寺山門

2025年01月24日 | 旅 歴史

 富山県南砺市井波に瑞泉寺があります。
 瑞泉寺の山門(大門)は、三間一戸、入母屋造り、本瓦葺きです。間口20.3m、奥行15.5m、高さ17.4mの総ケヤキ造り、八脚二重門です。真宗寺院建築の山門形式を代表する建造物で、昭和40年(1965)に富山県の有形文化財に指定されています。
 宝暦12年(1762)、瑞泉寺は全焼し、京都の本山(東本願寺)から肝煎(きもいり)方大工・柴田新八郎などが派遣されて各伽藍の再建が進められました。山門の工事は天明5年(1785)に始まりました。
 その工事中に本山である東本願寺が全焼してしまったのです。そちらを再建するために本山派遣の大工たちは引き上げてしまいました。そのため、地元の大工・松井角平が棟梁を受け継ぎ、文化6年(1809)上棟式を行ない、見事に山門を完成させたそうです。
 山門の各所には数々のすぐれた彫刻や文様が施されています。正面にある唐狭間(からさま)の彫刻「波に龍」は京都の前川三四郎の作です。中国民間伝承に登場する8人の仙人「八仙」が彫られている蟇股(かえるまた)は、地元井波の名工の手によって彫られています。

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瑞泉寺本堂

2025年01月23日 | 旅 歴史

 富山県南砺市井波に瑞泉寺があります。
 瑞泉寺の本堂は単層入母屋造り、銅板葺き、平入、間口25間(46m)、奥行23間半(43m)、面積590坪(1950㎡)です。明治12年(1879)、火災により焼失し、明治18年(1885)に再建された建物です。
 瑞泉寺本堂は北陸地方の真宗寺院の中でも最大級の木造建築物で、棟梁は井波出身の松井角平恒広があたり、向拝などには井波彫刻が随所に施されています。本尊は阿弥陀如来、両脇壇には宗祖・新鸞上人や先門主の御影があり、右余間壇には後小松天皇尊牌が安置されています。

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瑞泉寺

2025年01月22日 | 旅 歴史

 富山県南砺市井波に瑞泉寺があります。
 瑞泉寺は南北朝時代の永和年間(1375-1379)に本願寺5世・綽如(しゃくにょ)上人が巡錫で当地を訪れた際、霊地と悟り草庵を設けたのが始まりといわれています。後小松天皇から「周圓上人」の号と聖徳太子南無佛木像、聖徳太子絵伝(8巻)を賜り、明徳元年(1390)に堂宇を造営し「瑞泉寺」の勅号を賜りました。そして後小松天皇の勅願所として繁栄しました。
 綽如上人は瑞泉寺を拠点に浄土真宗を広め、2世の如乗(巧如上人の子)、3世蓮乗(蓮如上人2男)が続き、北陸地方で数多くの信者を得ました。北陸地方の一向宗の中心となり、加賀、越中、能登の一向宗の370ものお寺を束ねる一大拠点となりました。
 文明13年(1481)には領主である越中福光城主・石黒光義と天台宗の惣海寺の連合軍に勝利し、砺波地方一帯を支配しました。しかし天正9年(1581)に織田信長が越中に侵攻し、佐々成政の兵火により灰燼に帰しました。
 その後、城端北野に移りましたが、豊臣秀吉の越中侵攻で佐々成政が没落すると、現在地に堂宇を再建しました。天正19年(1591)に領主となった前田家から庇護され、万治3年(1660)に本堂を再建しています。
 明治12年(1879)、火災で山門(大門)を残して主要な伽藍が消失してしまいました。その後、明治18年(1885)に本堂が再建され、大正7年(1918)に太子堂が再建されています。瑞泉寺には寺宝が多く、紙本墨書後花園天皇宸翰消息と紙本墨書綽如上人勧進状が国の重要文化財に指定されています。
 また、絹本著色聖徳太子絵伝8幅が国の重要美術品に認定され、瑞泉寺境内は南砺市の史跡に指定されています。山門(大門)と、本尊で平安時代後期に造られた木造阿弥陀如来立像(檜の寄木造り)は富山県の重要文化財に指定されています。

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池波正太郎ふれあい館

2025年01月21日 | 旅 歴史

 富山県南砺市井波に池波正太郎ふれあい館があります。
 池波正太郎ふれあい館は、池波正太郎の作品や人柄、地元の人達との結びつきを知ることができる小さな博物館で、八日町通り沿いのよいとこ井波の中にあります。正太郎の父方の先祖が井波から江戸へ出た宮大工であった縁でこの館が生まれました。
 「鬼平犯科帳」「剣客商売」「仕掛け人藤枝梅安」などの人気時代小説を執筆した池波正太郎と井波のつながりや井波の人達と交わした書簡や自筆絵画、色紙、写真、さらには著書本、池波正太郎氏愛用の品々を展示しています。

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旧井波駅駅舎

2025年01月20日 | 旅 歴史

 富山県南砺市北川に井波町物産展示館(旧井波駅駅舎)があります。
 旧井波駅駅舎は井波町が寄付金を集め、全国的にも珍しい純ヒノキ造りの、木造仏閣院風の建物にしました。木造平屋建て、入母屋造り、瓦葺き、間口9.5間、奥行3.5間、建築面積253㎡で、正面と背面に千鳥破風があり、屋根上部には宝形造りの楼閣を乗せ仏閣建築風の意匠となっています。
 この駅舎は、井波を代表する宮大工・松井角平によって建てられています。宝形屋根の楼閣の金色の屋根飾りや、千鳥破風の拝みに懸魚(けぎょ)が下がり、楼閣隅木に風鐸があるなど特色ある建物になっています。平成8年(1996)には駅舎が登録有形文化財に登録されました。

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井波町物産展示館(旧井波駅駅舎)

2025年01月19日 | 旅 歴史

 富山県南砺市北川に井波町物産展示館(旧井波駅駅舎)があります。
 井波町物産展示館は昭和9年(1934)に建築された旧加越線の駅舎で、瑞泉寺後小松天皇500回御正忌法要を記念して建てられたものです。かつて富山県東礪波郡井波町(現在の南砺市)にあった加越能鉄道加越線の駅でした。
 昭和47年(1972)、加越線の廃止により廃駅となり、駅舎は井波町に返還されました。それ以降は井波町物産展示館として、木彫刻品などの展示に使われ、バスターミナルとしても活用されています。

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髙瀬神社本殿と拝殿

2025年01月18日 | 旅 歴史

 富山県南砺市高瀬に高瀬神社があります。
 髙瀬神社の本殿と拝殿は国費で昭和17年(1942)より工事が始まりましたが、昭和20年(1945)の終戦でGHQの指令により中止となりました。地方の有志によって昭和22年(1947)に流造りの本殿、翌年に入母屋造りの拝殿、更に昭和62年(1987)に唐破風の向拝殿が完成しました。

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髙瀬神社手水舎

2025年01月17日 | 旅 歴史

 富山県南砺市高瀬に高瀬神社があります。
 髙瀬神社の手水舎は昭和45年(1970)に伊勢神宮より下付され、外宮から移築されたものです。中にある水鉢は、新潟県只見川上流から運ばれた自然石でつくられた「洗心」の禊場であります。石の裏には「水神」の文字が刻まれているそうです。

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髙瀬神社大鳥居

2025年01月16日 | 旅 歴史

 富山県南砺市高瀬に高瀬神社があります。
 髙瀬神社の大鳥居は昭和60年(1985)、昭和天皇の在位60年を祝って、故・西田東作氏(株式会社ゴールドウイン創業者)の寄進で建立されました。大鳥居の中には奉写された大祓詞が収められており、鳥居をくぐる人々の罪やけがれを祓い清めています。

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髙瀬神社

2025年01月15日 | 旅 歴史

 富山県南砺市高瀬に高瀬神社があります。
 髙瀬神社は昭和41年(1966)に南砺市の史跡に指定されています。続日本紀の中に高瀬神として記され、延喜式神名帳にも記されていることから、農耕地として朝廷にとって重要な所だと考えられていたようです。また高瀬神社の御旅所跡も同じく南砺市の史跡に指定されています。

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髙瀬神社

2025年01月14日 | 旅 歴史

 富山県南砺市高瀬に高瀬神社があります。
 髙瀬神社は延長5年(927)の「延喜式神名帳」に小社として列せられ、礪波郡の式内社7座の筆頭に記載された古社です。越中国一宮として古くから人々から崇敬されてきました。(越中国一宮を名乗る神社は射水神社、気多神社、雄山神社などもあります)
 日本海沿岸と関連が深い大己貴命(大国主命)が祭神で能登や伏木の気多社も同じ祭神です。奈良時代の宝亀11年(780)に従五位下に叙され、平安時代の貞観元年(859)には正三位に昇進しています。射水神社と同時・同階で、共に越中国最高位の神社として朝廷の崇敬を受けていました。
 中世には越中国の一向宗徒の支配下に入り、戦国時代の戦乱により荒廃しました。江戸時代には加賀と越中藩主・前田氏の崇敬を受け、手厚く保護されました。明治6年(1873)に県社、大正12年(1923)に国幣小社に列せら、戦後は別表神社となっています。

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旧富山県立農学校本館

2025年01月01日 | 旅 歴史

 富山県南砺市苗島(なわしま)に旧富山県立農学校本館(厳浄閣)があります。
 旧富山県立農学校本館は福野高等学校入口の右手に残されています。明治36年(1903)に建てられた木造2階建て、寄棟造り、桟瓦葺きで、建築面積は333.3㎡の和洋折衷の建物です。設計施工は砺波市太田出身の藤井助之丞が手懸けています。
 コロニアル様式という木造下見板張りペンキ塗り、縦長の上げ下げ窓の西洋建築のデザインを基本としています。正面屋根中央部に半円形屋根の特徴ある塔屋が付いています。ポーチの上の窓はギリシャ風の飾り窓になっています。
  建物の床は高く、玄関の開き扉の上は、半円形の欄間となっています。明治42年(1909)には皇太子(後の大正天皇)の御座所としても利用されました。昭和62年(1987)「富山県の建築百選」に選定され、平成9年(1997)には国の重要文化財に指定されています。

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旧富山県立農学校本館

2024年12月31日 | 旅 歴史

 富山県南砺市苗島(なわしま)に旧富山県立農学校本館(厳浄閣)があります。
 富山県立南砺福野高等学校は富山県簡易農学校として、明治27年(1894)に発足しました。権正寺の島巌氏が遺言で農学校建設を願って家財全部を時の石川県令(県知事)に寄付したことから始まりました。昭和43年(1968)、移築と修復工事を終えた旧本館は、時の吉田知事により巖浄閣と命名されました。

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万福寺本堂

2024年12月30日 | 旅 歴史

 富山県砺波市苗加に万福寺(まんぷくじ)があります。
 万福寺の本堂は木造平屋建て、入母屋造り、桟瓦葺き、平入です。間口6間、正面に1間の向拝が付けられています。外壁は真壁造り白漆喰仕上げです。本尊の阿弥陀如来が祀られています。

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万福寺山門

2024年12月28日 | 旅 歴史

 富山県砺波市苗加に万福寺(まんぷくじ)があります。
 万福寺の山門は県内に残っている城の門としては最も古い遺構です。切妻造り、本瓦葺き、2間一戸、薬医門形式、潜戸付きです。妻飾りなども室町時代から桃山時代の作風も見られる貴重なもので昭和40年(1965)に富山県の有形文化財に指定されています。
 万福寺の山門は昭和29年(1954)に台風によで倒壊しました。翌年復元されましたが、その時発見された墨書から貞享5年(1688)の建立であることと、「城主荒木六兵衛大手之門」ともあり、大手門のあった場所に新たに建立されたか、大手門の部材を用いて再建したものと推察されます。

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