
富山県高岡市関本町に瑞龍寺(ずいりゅうじ)があります。
高岡山瑞龍寺は曹洞宗のお寺で、山門、法堂、仏殿は国宝に指定されています。富山県にある国宝はこの瑞龍寺だけだそうです。加賀藩2代藩主・前田利長の菩提寺で、利長の義弟で3代藩主になった前田利常によって建立されました。
文禄3年(1594)に加賀藩2代藩主・前田利長は金沢に織田信長・信忠の追善のため、宝円寺を建立しました。44歳の若さで家督を異母弟の利常に譲り、隠居して金沢から富山に移りました。富山城の炎上を機に高岡に移り、ここに新たに高岡城を築き、法円寺(宝円寺を改称)を、慶長18年(1613)に高岡に移しました。
翌、慶長19年(1614)に利長は没し、後を継いだ3代藩主・前田利常は、法円寺を利長の菩提寺としたのです。そして利長の法名瑞龍院に因んで寺名を「瑞龍院」と改め広山恕陽(こうざんじょよう)を開山としました。のちに寺名を「瑞龍寺」とさらに改称しています。
瑞龍寺の造営は正保年間(1644-1648)から、利長の50回忌の寛文3年(1663)までの約20年の歳月を要したそうです。加賀藩お抱えの大工頭・山上善右衛門嘉広が棟梁となり、山門、仏殿、法堂(はっとう)が一直線に並ぶ伽藍を完成させました。左右に回廊をめぐらし諸堂を対称的に配置したのは、中国の径山万寿寺にならったものといわれています。
延享3年(1746)の火災で山門を含む伽藍の前半部分の多くの堂宇を焼失しました。山門が再建されたのは約70年後の文政3年(1820)でした。瑞龍寺は江戸時代を通して加賀藩より300石の寺領を安堵され、庇護されました。
瑞龍寺の仏殿、法堂、山門が国宝に指定され、総門、禅堂、大茶堂、高廊下、北回廊、南東回廊、南西回廊が国の重要文化財に指定されています。寺宝の紙本墨書後陽成院宸翰御消息も国指定重要文化財です。
前田利長、前田利家、織田信長、同室正覚院、織田信忠を祀る5つの石廟が回廊の左奥にあり、富山県の文化財に指定されています。瑞龍寺の寺域は3万6千坪もあり、周囲に壕をめぐらし、諸堂は江戸初期の禅宗寺院建築として高く評価されています。
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