東京都港区芝公園に増上寺があります。
三縁山(さんえんざん)増上寺は明徳4年(1393)に現在の紀尾井町付近に創建された浄土宗の大本山です。徳川将軍家の菩提寺として有名です。慶長3年(1598)の江戸城拡張に伴い現在の所に移転してきました。
天正18年(1590)、徳川家康が江戸入府の折、たまたま増上寺の前を通りかかり、源誉存応上人と対面したのが菩提寺となるきっかけになったと伝えられています。また増上寺には檀林と呼ばれる学問所(及び養成所)もおかれ、関東18檀林の筆頭となりました。
元禄14年(1701)3月に江戸下向した勅使が増上寺を参詣するのをめぐって畳替えをしなければならないところ、高家の吉良義央が勅使饗応役の浅野長矩に畳替えの必要性を教えず、これが3月14日の殿中刃傷の引き金になり、忠臣蔵の仇討のきっかけになりました。
太平洋戦争中の空襲によって徳川家霊廟、五重塔をはじめとした遺構を失う大きな被害を受けました。プリンスホテルが進出するにあたって、所沢にできた狭山不動尊に徳川2代将軍秀忠の台徳院霊廟の門だった勅額門や御成門、丁子門などを移築してしまったのは残念です。
下記のサイトにもお立ち寄りください!
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天正18年(1590)、徳川家康が江戸入府の折、たまたま増上寺の前を通りかかり、源誉存応上人と対面したのが菩提寺となるきっかけになったと伝えられています。また増上寺には檀林と呼ばれる学問所(及び養成所)もおかれ、関東18檀林の筆頭となりました。
元禄14年(1701)3月に江戸下向した勅使が増上寺を参詣するのをめぐって畳替えをしなければならないところ、高家の吉良義央が勅使饗応役の浅野長矩に畳替えの必要性を教えず、これが3月14日の殿中刃傷の引き金になり、忠臣蔵の仇討のきっかけになりました。
太平洋戦争中の空襲によって徳川家霊廟、五重塔をはじめとした遺構を失う大きな被害を受けました。プリンスホテルが進出するにあたって、所沢にできた狭山不動尊に徳川2代将軍秀忠の台徳院霊廟の門だった勅額門や御成門、丁子門などを移築してしまったのは残念です。
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