旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

本陽寺

2007年06月02日 | 旅 歴史
 上田市中央6-3-3(鍛冶町)にある本陽寺です。この寺は小諸城主であった仙石秀久(ひでひさ)が文禄5年(1596)に亡くなった夫人のため建てられた寺です。仁王門は元禄5年(1692)の建立です。
 元和8年(1622)上田へ移封の際、息子である仙石家上田城主初代の忠政(ただまさ)が、小諸から寺と墓を移したそうです。秀久夫人の法名「本陽院殿槃室妙栄大禅定尼」が寺の名前になったそうです。本陽寺客殿の東側境内地の一角に上田城主仙石氏一族の墓がひっそりと並んでいます。
 墓一角の東北隅に立派な宝形造の覆屋があります。三代城主となるはずだった忠俊の墓です。病気のため28才で他界したそうです。前面左右には、10基の石灯籠が並んでいます。忠俊の宝篋印塔ひは「春光院殿梅心日香大居士」という法名が書かれています。仙石秀久の墓は同じ上田市の芳泉寺に廟の中に納められています。三代城主には政明(まさあきら)がなりました。

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2 コメント

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投稿ありがとうございます (歴史好きな管理人)
2010-09-08 20:54:03
仙石秀久は石川五右衛門を捕まえたことで有名ですが、徳川秀忠に信頼された武将として歴史に残っています。本陽寺の中の仙石氏一族の墓は予めお願いしておけば案内してもらえると思います。
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仙石秀久と本陽院 (天池治彦)
2010-09-04 23:06:36
仙石秀久の不屈の精神力とばっかいして返り咲いた武将はなかなかいなくてしかも「無」の旗をかかげ悟った。大いに評価してもいい人物である。大きな失敗もしたが大きな成功もした。その奥方である本陽院についても内助の功により秀久を支えたに違いない。子孫も大名として続いた。この二人のドラマを見てみたいものだ!
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