旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

浜離宮お伝い橋

2022年02月13日 | 旅 歴史

 東京都中央区に浜離宮恩賜庭園(はまりきゅうおんしていえん)があります。
 浜離宮恩賜庭園にある「お伝い橋」は平成9年(1997)に再築された橋です。橋の長さは117.8mで高知県産の総檜造りです。宝永4年(1707)、松平綱重の長男の綱豊(後の6代将軍徳川家宣)が、園内大改修を行ったときこの橋を架けたそうです。

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http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/


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浜離宮潮入の池

2022年02月12日 | 旅 歴史

 東京都中央区に浜離宮恩賜庭園(はまりきゅうおんしていえん)があります。
 浜離宮恩賜庭園には潮入の池があります。海水を引き、潮の満ち干によって池の趣を変えるもので、海辺の庭園で多く用いられていた様式です。旧芝離宮恩賜庭園、清澄庭園、旧安田庭園なども昔は潮入の池でしたが、現在、実際に海水が出入りしているのは、この庭園だけです。

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浜離宮庚申堂鴨場

2022年02月10日 | 旅 歴史

 東京都中央区に浜離宮恩賜庭園(はまりきゅうおんしていえん)があります。
 庚申堂鴨場は安永7年(1778)に造られた鴨の遊猟施設です。他にも新銭座鴨場があります。11代将軍家斉は大いに活用したそうです。幕末から明治の初め荒廃しましたが、再整備され昭和19年(1944)まで使われたそうです。
  鴨場が使われた離宮時代は園内に鷹部屋や鷹師宿舎、鷹匠小屋、調理所などがあったそうです。鴨場が利用されたのは冬鳥が飛来する晩秋から翌年の春先でした。現在、鴨場の施設が見られるのは全国でわずか5箇所しかないそうです。

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浜離宮樋の口山

2022年02月09日 | 旅 歴史

 東京都中央区に浜離宮恩賜庭園(はまりきゅうおんしていえん)があります。
 小高い丘の「樋の口山」の上からは、レインボーブリッジや対岸の風景が眺められます。

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浜離宮水門

2022年02月08日 | 旅 歴史

 東京都中央区に浜離宮恩賜庭園(はまりきゅうおんしていえん)があります。
 庭内にはいくつもの水門があります。浜離宮の池は海水を取り入れて、潮の干満により水位を上下させ、庭園の趣きに変化を生ずるように作られた「潮入の池」です。昔からこの堰で海水の出入りを調整しています。  

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浜離宮将軍お上り場

2022年02月07日 | 旅 歴史

 東京都中央区に浜離宮恩賜庭園(はまりきゅうおんしていえん)があります。
 浜離宮の将軍お上り場は、将軍が隅田川から浜御殿に来られた時や、舟遊びをして休息のために立ち寄られた時などに乗降された船着場です。現在も原形が保たれています。 
 明治元年(1868)、最期の将軍となった第15代将軍徳川慶喜は、大阪から軍艦海陽丸で江戸に入り、このお上り場から上陸して、騎馬で江戸城へ帰還したそうです。

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浜離宮灯台跡

2022年02月06日 | 旅 歴史

 東京都中央区に浜離宮恩賜庭園(はまりきゅうおんしていえん)があります。
 浜離宮には灯台があり、東京湾に灯りを灯していました。現在はありませんが、灯台の礎石が残されています。

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浜離宮恩賜庭園

2022年02月04日 | 旅 歴史

 東京都中央区に浜離宮恩賜庭園(はまりきゅうおんしていえん)があります。
 浜離宮恩賜庭園は隅田川の河口にあります。この地は、将軍家の鷹狩場で、承応3年(1654)、4代将軍家綱の弟で甲府宰相の松平綱重が将軍から拝領して下屋敷を建てました。
 その後、綱重の長男の綱豊が6代将軍家宣となったのを契機に、この屋敷は将軍家のものとなり、御浜御殿と称されました。その後、歴代の将軍によって造園、改修工事が行われ、11代将軍家斉の時にほぼ現在の規模の庭園になったようです。
 明治3年(1870)、宮内庁の所管になり浜離宮とと改称され、皇室遊宴の地にあてられていました。関東大震災や空襲によって、大手門、御茶屋など数々の建造物や樹木が被害を受けましたが、江戸時代の代表的な大名庭園は残りました。
 昭和20年、東京都に下賜され、翌年、公園として一般に有料で開放されました。昭和23(1948)年には国の名勝、史跡に指定され、昭和27年(1952)には周囲の水面を含めた面積32.4ヘクタールが旧浜離宮庭園で国の特別名勝及び特別史跡に指定されました。

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銀座

2022年02月03日 | 旅 歴史

 東京都中央区に銀座があります。
 この銀座には老舗のデパートや専門店が集中しています。銀座和光は、宝飾品や時計、ハンドバッグ、服飾品、ルームアクセサリー、食品などの高級品を取り扱う専門店です。時計塔の建物は銀座4丁目のシンボルとして昔から親しまれています。かつては時計台は10カ所ありましたが関東大震災によって壊れ、和光の時計台のみとなっています。
和光ビル
 慶長8年(1603)、江戸に幕府を 開いた徳川家康は、それまで駿府(静岡)にあった銀貨鋳造所を現在の銀座2丁目に移転させました。これが銀座の起こりです。新両替町から銀座という町名に変わったのはは明治2年(1869)です。、明治10年(1877)には国策によってレンガ街が誕生します。このレンガ街を明治政府はビジネス街にしようとしたのです。
 銀座通りに日本初の街路樹が植えられたのは明治7年(1874)でした。銀座は元々、埋立地のため根腐れをおこさない柳が植えられるようになり風に揺れる風情のある緑がやがて銀座のシンボルとなり、歌や詩歌にも登場するほどになりました。
 数多くの百貨店やビルの合間に老舗の洋食店などが佇む銀座です。高級ブランドショップがひしめくとともに、伝統文化が今も息づいています。

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永代橋

2022年02月02日 | 旅 歴史

  東京都中央区新川~江東区永代に永代橋(えいたいばし)があります。
 永代橋は、隅田川にかかる橋で、西岸は中央区新川1丁目、東岸は江東区佐賀1丁目、永代1丁目に継っています。元禄15年(1702)、赤穂浪士の吉良上野介屋敷への討入りでは、上野介の首を掲げてこの永代橋を渡り、泉岳寺へ向ったそうです。
 元禄11年(1698)、江戸幕府5代将軍徳川綱吉の50歳を祝して、現在の橋よりも100m程上流に永代橋は架橋されたそうです。上野寛永寺根本中堂造営の際の余材が使われ、当時としては最大規模の長さ110間(約200m)、幅約3間(約6m)の大橋が造られました。
 明治30年(1897)、道路の橋としては日本初の鉄橋として、鋼鉄製のトラス橋が架橋され、明治37年(1904)には東京市電による路面電車も敷設されました。関東大震災では、橋底の木材が炎上し、多くの焼死者、溺死者を出しました。大正15年(1926)に震災復興事業の第1号として現在の永代橋が再架橋されました。
 永代橋はドイツ ライン川に架かっていたルーデンドルフ鉄道橋をモデルにした荘重な橋です。現存最古のタイドアーチ橋で、橋長184.7m、幅員25.6m、新たな鋼材を使って最大支間を実現した鋼アーチ橋でもありました。
 「帝都東京の門」といわれたこの永代橋は、我が国の橋梁技術史上、高い価値がある橋梁として、清洲橋、勝鬨橋とともに、平成19年(2007)、国の重要文化財に指定されました。

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靖国神社

2022年02月01日 | 旅 歴史

東京都千代田区九段北に靖国神社(やすくにじんじゃ)があります。
 明治2年(1869)、明治維新政府が幕末から戊辰戦争にかけての犠牲者や戦没者を慰霊するために招魂社(しょうこんしゃ)を九段坂上の火除地3番丁原に設け設けました。これが靖国神社のが始まりです。
 明治12年(1879)靖国神社と改称されました。神社の場所は、幕末時代の歩兵屯所のあった所で、広大な敷地の中には馬場もあったそうです。
 「靖国神社」は、「国を安らかでおだやかな平安にして、いつまでも平和な国につくりあげよう」という気持ちを込め、明治天皇によって命名されたということです。
 靖国神社の御祭神は、嘉永6年(1853)以降(戊辰の役、佐賀の乱、西南戦争、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、満州事変、支那事変、第二次世界大戦)の戦死者・殉職者、246万6500余柱といわれています。
 靖国神社は、明治以来国営化されていましたが、第2次世界大戦での敗戦以降、新たな宗教法人として全国遺族、崇敬者の手によってお祀りされるようになりました。
 参道のほぼ中央にある大村益次郎の銅像は明治26年(1893)の設立です。日本で最初の西洋式銅像でした。上野の山にたてこもる彰義隊討伐に際して江戸城から指揮を執る勇姿と伝えられています。
 大村益次郎は緒方洪庵の適塾で蘭学を学びます。安政3年(1853)に宇和島藩主伊達宗城(だてむねなり)に招聘され、宗城の参勤にしたがって上京し、麹町に鳩居堂という学塾をひらきました。
 その後桂小五郎、周布政之助らの知遇を得、長州藩へ帰り出仕します。四境戦争の折には石州口の参謀を務め、約700人の兵で7500人の幕府軍を破ります。戊辰戦争時は軍防事務局判事として江戸の治安回復を命じられました。
 明治新政府では兵部大輔を務め、新政府軍の軍政・軍令を統括し、天皇直属の中央常備軍編成に尽力しました。明治2年(1869)に、兵制改革に反対する長府藩士神代直人らに京都で襲われ重傷、敗血症で46歳の生涯を閉じました。

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