東京都千代田区九段北に靖国神社(やすくにじんじゃ)があります。
明治2年(1869)、明治維新政府が幕末から戊辰戦争にかけての犠牲者や戦没者を慰霊するために招魂社(しょうこんしゃ)を九段坂上の火除地3番丁原に設け設けました。これが靖国神社のが始まりです。
明治12年(1879)靖国神社と改称されました。神社の場所は、幕末時代の歩兵屯所のあった所で、広大な敷地の中には馬場もあったそうです。
「靖国神社」は、「国を安らかでおだやかな平安にして、いつまでも平和な国につくりあげよう」という気持ちを込め、明治天皇によって命名されたということです。
靖国神社の御祭神は、嘉永6年(1853)以降(戊辰の役、佐賀の乱、西南戦争、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、満州事変、支那事変、第二次世界大戦)の戦死者・殉職者、246万6500余柱といわれています。
靖国神社は、明治以来国営化されていましたが、第2次世界大戦での敗戦以降、新たな宗教法人として全国遺族、崇敬者の手によってお祀りされるようになりました。
参道のほぼ中央にある大村益次郎の銅像は明治26年(1893)の設立です。日本で最初の西洋式銅像でした。上野の山にたてこもる彰義隊討伐に際して江戸城から指揮を執る勇姿と伝えられています。
大村益次郎は緒方洪庵の適塾で蘭学を学びます。安政3年(1853)に宇和島藩主伊達宗城(だてむねなり)に招聘され、宗城の参勤にしたがって上京し、麹町に鳩居堂という学塾をひらきました。
その後桂小五郎、周布政之助らの知遇を得、長州藩へ帰り出仕します。四境戦争の折には石州口の参謀を務め、約700人の兵で7500人の幕府軍を破ります。戊辰戦争時は軍防事務局判事として江戸の治安回復を命じられました。
明治新政府では兵部大輔を務め、新政府軍の軍政・軍令を統括し、天皇直属の中央常備軍編成に尽力しました。明治2年(1869)に、兵制改革に反対する長府藩士神代直人らに京都で襲われ重傷、敗血症で46歳の生涯を閉じました。
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