7.1(火)
卒業生のIさんからお中元が届く。いつものようにヨック・モックのお菓子の詰め合わせ。ありがとうございます。家族全員で奪い合うようにいただきました。また夏が来たことを実感するひとときです。でも、気を使わないで下さい。・・・・あっ、決して、他の卒業生の方々に何らかのメッセージを伝えようとしているわけではありません。断じてそうではありません。天地神明に誓ってそうではありません。ちなみに我が家は全員カルピスが好きです。
7.2(水)
梅雨の晴れ間。3限の授業を終えて、「メーヤウ」でインド風ポークカリー(★3つ)を食べていたら、後から来て隣に坐ったサラリーマン風の客が通常メニューでは一番辛い(★4つ)インド風チキンカリーを注文した。なんだか悔しい。
調査実習は来週からいよいよインタビュー調査が実際に始まる。学生はみんな緊張している。初対面の方から人生の物語を聞くわけだから緊張するのはあたりまえである。ただし、最初の1ケースをやれば、緊張は大分ほぐれるはずだ。健闘を祈る。夜、高田馬場の居酒屋「俺んち」でコンパ。前夜祭のようでもあり、出陣式のようでもあった。私は一次会で失礼したが、電車の中でまた眠ってしまい(ビールを一杯とカシスソーダを一杯で)、蒲田を通り越して、川崎まで行ってしまった。
7.3(木)
7限の授業が始まる前にカップヌードルを食べただけだったので、蒲田に着いたらお腹が減っていることに気がついた。電車の中で読んでいたJ.P.ホーガン『星を継ぐもの』が息をもつかせぬ展開になっているところだったので、どこかで食事でもしながら続きを読もうと、「つけ麺大王」に入ってレバニラ炒め定食(千円)を注文する。出てきたものを見て、びっくりした。量が並大抵ではないのである。通常のレバニラ炒めの二倍はある。これまでの私の人生の中で出会ったレバニラ炒めの中で量的には第1位である。おまけにスープの量も通常の1.5倍はあり、飯の量も大盛りである。ここは肉体労働者の食欲を満たすことを基準にしている店なのかもしれない。出て来たときは、こんなに食べられるだろうかと思ったが、そこはレバニラ炒め、ご飯が進む。食べ終わるまでにかなり時間がかかったが、その分、『星を継ぐもの』を何頁も読み進めることができて楽しかった。ラーメン屋とか牛丼屋ではこういう真似はできない。
今週から夏のTVドラマが始まる。私は気になるドラマの初回はひとわたり見ることにしている(それでふるいにかけて、2回目以降も見るドラマを選定する)。今夜は『高原にいらっしゃい』と『Dr.コトー診療所』の2本を、大学から妻に電話して、ビデオに録っておいてもらって(家を出るときバタバタして予約録画をセットできなかったのだ)、深夜、『高原にいらっしゃい』をとりあえず見た。これは山田太一の脚本でずいぶん昔に田宮次郎主演でやったドラマのリメイク版である(脚本は山田の脚本を原作にして別の脚本家が新たに書いたもの)。今回、主役を演じるのは佐藤浩一。旬の俳優である。驚いたのは、昔と同じホテルが使われていたこと。同じものを新たに建てたのだろうか? それともあのホテルはずっと現役で営業していたのだろうか? このドラマ、山田太一の原作に敬意を払って、来週も見ることにする。
7.4(金)
「ゆうれい貸します」は今夜で最終回。鶴田真由演じる幽霊も成仏できてなによりである。彼女を次にTVで見られるのは、8月23日(土)の午後1時からのwowwowドラマ「交渉人」である(彼女のホームページの日記に撮影中の模様が書かれている)。さて、金曜の夜は、鶴田真由と並んで私の好きな女優である稲森いづみ主演のNHK・TV夜の連続ドラマ「ブルーもしくはブルー」の1週間分(4回)をまとめて再放送する日だ。稲森が1人2役を演じており、彼女のファンには「一粒で二度美味しい」ドラマである。
7.5(土)
寝たのが午前4時で、起きたのが午前7時。どうも毎回、土曜は寝不足状態で大学に出ることになってしまう。午前中は大丈夫なのだが、昼食後、いつも睡魔に襲われ、研究室で居眠りをしているのだが、今日はいろいろな人が研究室にやってきてウトウトしている閑がなかった。懐かしかったのは、5年前に文学部の社会学専修を卒業したKさんの突然の訪問であった。昼飯後の散歩から戻ってきたら、研究棟前のベンチに彼女が座っていて、「あれ、どうしたの?」と尋ねると、私を待っていたのだと言う。彼女はいま外資系の大手コンピューターメーカーでシステム・エンジニアをしているのだが、近々、アメリカの大学院への留学(組織行動学の勉強)を考えていて、そのために必要な推薦状の依頼に来たのである。会社は休職扱いになるそうだが、2年間、給料(同世代ではかなりよい方であろう)はストップするわけで、これはかなりの決断である。それに彼氏とも離れてしまうわけで・・・・ということを私が言おうとしてやめたのを察して、「ちょうどきりもいいので」と彼女は笑って言った。なるほどね。
夜、一昨日ビデオに録っておいた吉岡秀隆主演のTVドラマ『Dr.コトー診療所』の初回を観る。『北の国から』ならぬ『南の島から』といった感じの美しい風景がふんだんに盛り込まれている。丁寧に作られていて、『ブラックジャックによろしく』に続いて、今期も医者物が期待できそうだ。
J.P.ホーガン『星を継ぐもの』を読了。SFにもいろいろなタイプがあるが、これは最先端の科学知識を総動員しての謎解きの面白さで読ませるタイプのSF(別の言い方をすると、人間ドラマは皆無といっていい)。ホーガンはコンピューターの営業をやっていた人で、この作品でデビューしてたちまち「現代ハードSFの巨星」となった。
7.6(日)
DVDでコン・リー主演の映画『きれいなおかあさん』(スン・ジョウ監督、1999年)を観た。なんだ? この日本語のタイトルは! 内容は、離婚して女手一つで聴覚障害のある男の子を育てる母親の物語。あの美しいコン・リーが化粧らしい化粧をせずに頑張るおかあさんを演じている。だから『ほんとは、きれいなおかあさん』が正しい。
7.7(月)
ちょっとした用事があって、父と2人で日本橋まで出かける。父は大正12年の生まれで、この8月で80歳になる。ここ数年で、ずいぶん耳が遠くなり、足も弱った。私が意識してゆっくり歩いても、ついてこられない。だから私はときどき立ち止まらなくてはならない。横断歩道を渡るときも、青の途中では渡れない。信号が赤になるのを待ち、再び青になってから渡り始めないとならない。父の歩調に合わせて歩いていると、そして立ち止まっていると、いつもより街の風景を眺める時間が多くなる。ビルの上の空を仰ぎ見ることが多くなる。
蒲田パリオ(東口駅ビル)の熊沢書店は夜10時まで営業をしている。素晴らしい(有隣堂も栄松堂も8時まで)。閉店時間だけでなく、文庫の充実ぶりも素晴らしい。今日は創元SF文庫に入っているJ.P.ホーガンの『ガニメデの優しい巨人』、『巨人たちの星』、『内なる宇宙』上下を購入。すべて昨日読み終わった『星を継ぐもの』の続編(巨人たちの星シリーズ)である。
夜、TVドラマ『僕だけのマドンナ』の初回を観る。脚本が贔屓の岡田恵和なので、観ないわけにはいかないが、マドンナ役の長谷川京子はそれほど魅力的な女優ではない。『スターの恋』でハム会社のOL役でドラマデビューしたときは好感をもったが、続く『天体観測』で憂い顔の美人系の役に転身してしまってからは、「どう、私、女優よ」という感じが鼻についてしまって、いただけない。モデル出身の女優といえば、小雪がそうだが、彼女も最初は台詞棒読みのひどい演技しかできなかったが、精進を重ねて、ようやく主役を張れる女優になった。長谷川京子の場合は、主役を張るのが明らかに早すぎる。今回のマドンナの役は、6年前の(やはり岡田恵和が脚本を書いたTVドラマ『ビーチボーイズ』に出演していた頃の)稲森いづみが最適だと思うね。
今夜の『SMAP×SMAP』特別編は、今年の1月から3月に放送されていたTVドラマ『僕の生きる道』の後日談。ドラマの出演者16名に矢田亜希子が「もしあと一日の命だったら、あなたは何をしますか」とインタビューしていたが、これは是枝裕和監督の映画『ワンダフルライフ』からヒントを得たものであろう。久保先生役の谷原章介が「まず部屋の掃除をする」と答えていたのが印象に残った。確かに自分の部屋の状況というものは自分の精神状態を如実に表わしている。私も、原稿に取り掛かるときは、まず、書斎の掃除をする。そうだ、明日の午前中は、書斎の掃除をしよう。
7.8(火)
調査実習の授業のインタビュー調査の最初の1件が今日あった。夜、担当のHさんに首尾はどうだったかと電話で聞いたら、「よいインタビューができました!」と弾んだ声が返ってきた。それはよかった。で、インタビューはちゃんとテープに録れていたか聞いたら、「まだ、聞いてません」と言うのでガックリする。おいおい、それは一番最初に確認することでしょ。私は録音したつもりで録れてなかった(テープが終わっているのに気づかないでインタビューを続けていて)という愕然とする経験を何度かしている。あれは、論文を書き終えて、そのファイルを保存せずにソフトを終了してしまったときと同じくらいショックである。おそらく全部で100ケースを越すであろう今回の調査では、念のため録音機器を2つ同時に使っているのだが、レコーダーはちゃんと動いていたとしても、喫茶店などでインタビューをやる場合、周囲の雑音のために会話がクリアーに録音されないかもしれないという危惧がある。とにかく調査が終わったら、まっさきに録音状態を確認することを、明日の授業で徹底させなければ。・・・・でも、まあ、最初のケースが無事に終わって、よかった。
7.9(水)
思い切って告白するが、私の今日の朝食はビフテキだった。朝からビフテキを食う人間を世間はきっと許さないだろう。成金趣味か、精力絶倫か、はたまた過食症か・・・・とにかく何かよからぬラベルを貼られるに決まっている。実は、昨日のわが家の夕食のメニューがビフテキだったのだが、私はあいにくと学校の用事が長引いてしまい、家で夕食をとることができなかった。それで、夕食に私が食べるはずだったステーキ肉を今朝調理してもらって食べたというわけだ。私は朝が遅いので(今日も起きたのは10時だった)、お腹はけっこう空いている。だが、一日の最初の食事がビフテキというのは、観念的な部分でためらいがある。塩鮭と味噌汁とご飯という日本人の典型的な朝食イメージとのギャップに戸惑ってしまう。「こんなことをしていいのか」という自責の念がある。作家の石川淳は肉が好きで、朝からビフテキ(ローストビーフだったかな)を食べていたという記事を読んだ記憶がひょっこり蘇って、あの石川淳と同じなら恥ずかしくないと自己弁護をしたりする。とにかくいまひとつ味わって食べることができなかった。慣れの問題だと思う。昼食は3限の授業が終わってから「てんや」の天丼を食べた。490円の安価な天丼ではあるが、天丼は天丼である。朝食がビフテキ、昼食が天丼。もし夕食が鰻丼であれば、三冠達成である。夕方、研究室を出る前に、いつものように自宅に「いまから帰ります」コールをして、「今日の夕食は何?」と聞いてみた。妻の返事は「今夜はね、余りものを片付けちゃおうと思って・・・・」であった。事実、帰宅してみると、皿数こそ多いものの、メイン料理らしいメイン料理のない、飲茶のような食卓であった。次のチャンスに期待しよう。
7.10(木)
私の研究室には冷蔵庫があって(もちろん備え付けではなく自分で買ったのである)、常にアクエリアスと爽健美茶のペットボトルが入っている(前者は自分用で後者は学生・来客用)。爽健美茶を学生・来客に出す場合、以前はガラスのコップを使っていたが、割れたり、洗うのが面倒であったりして、いまではコンビニで10個100円で売っている透明なプラスチックのコップを使っている(紙のコップは検尿を連想してしまうので使わない)。本来、このプラスチックのコップは使い捨て用で、実際、私も使い捨てているのだが、問題は、一回の使用で使いすててよいものかどうかということである。たいては1回で使い捨てるのだが、学生がいっぺんに4、5人も研究室に来た場合、いかに一個10円のコップとはいえ、その数のコップを1回の使用で捨てるのはなんだか資源の無駄使いのような気がしてならないのである。洗って再利用してもいいのではないか、いや、そうすべきなのではないか、という思いが湧き上がって来るのを禁じることができない。実は、今日もそういう場面があって、学生たちの考えを尋ねたところ、みな再使用肯定派であった。もっとも彼らはそのとき新しいコップで爽健美茶を飲んでいたところだったので、自分たちが使ったコップが誰かに再利用されるのを肯定しているだけで、自分たちが再利用のコップで飲むことを想定したわけではないかもしれない。彼らが研究室から出て行った後、テーブルの上に残されたコップをどうすべきかでしばし思案し、結局、洗って再利用することにした。
夕食は自宅近くの「洋食の店 暢(のぶ)」という数ヶ月前に開店した洋食屋で食べた。初めて入る店である。夜、10時半頃で、ドアのところに営業中の札が下がってはいたものの、店内はやや暗く、客もいなかったので、「よろしいですか?」と聞いてから入った(なんだか池波正太郎みたいだ)。メニューの中の「暢さん定食」(750円)というのを注文する。店内にはビートルズの曲が控えめな音量で流れていた。マスターは私と同年輩の人のようだ。「暢さん定食」はハンバーグ、プレーンオムレツ、コロッケ、オニオンリング、サラダ(レタス、たまねぎ、トマト)、そして付け合せにちぎりこんにゃく。どれも美味しい。1つ1つが丁寧に調理されている。衣はサクサク、中はアツアツ。弁当の冷めたフライを食べなれている身には新鮮な感動がある。近所にこういう洋食屋さんが誕生したことを喜びたい。
7.11(金)
9月6日、7日に大阪市立大学で日本家族社会学会の大会があり、そこで報告をすることになっているのだが、その報告の要旨を大会事務局にメールで送る〆切が今日である。午後10時頃から作り始め(遅い!)、ついさきほど完成し、添付ファイルで送った。ただいまの時刻、7月12日午前5時。杓子定規に考えると、〆切に遅れているわけであるが、事務局の人がメールを開くのは12日の朝であろうから、セーフですよね? これから寝ても2時間しか眠れない(1限の授業があるから)。おまけに脳が簡単にはヒートダウンしそうにないから、いっそこのまま大学へ行こうかしら。今日もまた午後は研究室で居眠りだろう。
7.12(土)
1限の社会学基礎講義Aは今日が講義の最終回。前半は講義で、後半は教室の外(キャンパスの外でもかまわない)に出て「暗黙の規範を探す」というテーマでのフィールドワーク。演習ではしばしばやるのだが、講義形式の授業では初めての試み。180名の学生が出て行って(1人、2人、残っている学生がいたが、何か意図があってのことだろう)、ガランとした教室で待っていると、やがて三々五々学生たちが帰ってきたので、B6判のメモ用紙を渡して小レポートを書いて提出してもらった。課題にはオプションがあって、それは「何かちょとした逸脱した行動をやってみて、周囲の反応を観察する」というもの。もちろん万引きとか下半身露出とかの洒落にならないものはだめ。何人かの学生がこの課題に挑んでいたが、たとえば、その1つは、他の授業中の教室に入っていって、「あっ、失礼しました」と言って出てくるというもの。う~ん、ぎりぎりセーフか。でも、すぐに出てきてしまっては、教室内の教師や学生の反応は十分に観察できないと思うのだが・・・・。さきほどの教室に残っていた学生は、「先生がフィールドワークを指示したの教室に残っている自分を他の学生たちがどういう目で見るか」ということを観察していたとのこと。やっぱりね。
卒論ゼミの後、「たかはし」で昼飯(刺身定食)を食べてから、「あゆみブックス」で三浦雅士『村上春樹と柴田元幸のもうひとつのアメリカ』(新書館)を購入し、「シャノアール」でしばらく読み耽る。春樹本はうんざりするくらい出ているが、柴田元幸と組み合わせて、彼らが翻訳しているアメリカの作家の小説(と翻訳者たちとの関係性)について語っているところが本書の眼目。「二十世紀末から二十一世紀初頭にかけて登場した日本の若い作家たちって、ひょっとするとみんな村上春樹、柴田元幸の影響を受けているのではないかという気がしてくるほどだ。作風においてはもちろんだけれど、作家というもののあり方においてもっと強い影響を受けている。作家というのはこんなふうに振る舞うものだという感覚のようなもの、作家のライフスタイルのようなものにおいて影響を受けているような気がする」と三浦は書いている。そうだろうと、私も思う。
7.13(日)
『村上春樹と柴田元幸のもうひとつのアメリカ』の後半(三浦と柴田の対談)を読む。柴田が私と同じ1954年の生まれで、しかも同じ大田区の生まれであることは知っていたが、志茂田中学の出身とは知らなかった。なんだ私の出身の御園中学の隣の中学じゃないか。ただし、居住環境でいうと、志茂田中は多摩川に近い工業地帯にあり、御園中は蒲田駅に近い商業地帯にあった。この違いは、三浦が柴田に東京オリンピックの頃(小学校4年生)に街が近代的になったという感じはしたかと訊ねたときに、柴田が「それはないです。渋谷とかあっちのほうに住んでいないと見えにくかったと思う」と答えたところに表れている。とんでもない、蒲田駅周辺は東京オリンピックを境にして大きく変貌した。東口に立派な駅ビルが建ち、西口周辺が区画整理されて、現代のベトナム映画の中に見るようなゴミゴミした、しかし活気のあった、駅前市場が一掃されてしまった。街はとても清潔になった。柴田は11群を受けて、日比谷高校に進み、私は14群を受けて小山台高校に進んだのだが、志茂田中の出身で、中3の夏に大森の吉崎学園を会場にして行われた進研ゼミの講習会で親しくなり、小山台高校で再会したUさんやI君は柴田の同級生だったのか・・・。もしかしたら、あの夏期講習に彼も来ていたのかもしれない。
・・・・そんなことはいいとして、村上春樹の小説はかなり英訳されているが、柴田がリチャード・パワーズ(柴田は彼の『舞踏会へ向かう三人の農夫』を訳している)に、日本の作家では誰に共感するかと訊いたら、すぐに村上春樹と答えたという(やはり柴田が訳した『イン・ザ・ペニー・アーケード』のスティーブン・ミルハウザーもそうだという)。で、どんなところがいいのかと訊いたら、「個人の物語の小さな弧と歴史の大きな弧の交差を扱っているところ」と答えたという。これって、社会学者ミルズが「社会学的想像力」と呼んだものと同じではなかろうか。ミルズは、個人の生活と社会全体の構造、あるいは個人の生活史と社会全体の歴史、この両者の相互浸透を認識する精神の資質を「社会学的想像力」と呼び、社会学を学ぶことはこの「社会学的想像力」を鍛えることにほかならないと言った。だから、社会学者のはしくれである私も、ライフコース研究をするにあたって、諸個人の人生を量的データだけで記述・分析しないで、生活史という諸個人の人生の固有性を温存した質的データをできるだけ活用するように心がけているのである。そうか、「社会学的想像力」も「文学的想像力」も記述・分析の言語が違うだけで、めざすところは同じなのだなと、妙に納得してしまった。
三浦と柴田の対談を読み終えて散歩に出る。先週、近所に開店したばかりのタイ料理の店「トムヤンクン」に入ってみる。さほど広くない店内にタイ人の従業員が5、6人もいる。多すぎないか? これで従業員の給料が払えるのだろうか。メニューをざっと見て、トムヤンクンのスープにビーフンが入ったもの(名前は忘れた)を注文する。トムヤンクンはもっと癖があるのかと思っていたが、日本人向けに調理されているのだろうか、あっさりとした味で、何かにたとえるとすると、そうですね、「札幌ラーメン塩味」のスープに香草と鰯のつみれを入れたような感じだった。私の後ろの席の客がウェイトレスに盛んに自分はタイに旅行したことがあるんだと話していたが、どうもタイと台湾を混同しているようだった。
7.14(月)
今日中に書き上げるつもりの原稿があったのだが、原稿を書く体勢になかなか入れずに、だらだらと時間をつぶしてしまった。まるでマーク・ストランドの短編小説集『犬の生活』(村上春樹訳、中央公論新社)の冒頭の一編「更なる人生を」に登場する主人公の父親のようである。彼は作家なのだが、3冊目の小説がなかなか書き出せず、それを都会生活のせいだと考えた彼は、一家でメイン州に引っ越すのだが、しかし、やっぱり書き出すことができず、それを今度は退屈な田舎暮らしのせいにするのである。
「何かを始めたいという気持ちだけはあるのだが、『これから机の前に座って書き始めるぞ』という衝動より先に行くことができずに、門口のところでいつまでもぐずぐずしていたのだ。/母と僕は、父が自室をうろうろと歩きまわる足音を、よく耳にしたものだ。父は日常と没入のあいだの、怠惰と渇望のあいだの、どっちつかずの世界に生きているようだった。来る日も来る日も、彼は新聞と、コーヒーと、書こうという試みと、散歩と、海と、夕食と、ニューヨークに帰りたいという想いと、それを実行することへの恐れとに直面していた。」
この父親の気持ち、よくわかります。まず、パソコンの電源を入れること。次に、パソコンの前に座ること(この順序は逆であってはならない。パソコンが立ち上がるまでの時間をじっと待っているのは苦痛である)。そして、書きかけの原稿のファイルを開くこと。実に簡単な工程に思えるが、実際は、ここまで自分をもっていくのが大変なのである。要するに、何をどう書くかがいまひとつ定まっていないのである。原稿の長短の問題ではなく、視界の良し悪しの問題なのである。深い霧の海に出て行く船乗りのように気分が重いのである。もっとも明日が〆切というのであれば、いやもおうもなく書くしかないわけであるが、まだ若干の、ほんの首の皮一枚程度の、余裕があるのがいけないのである。背水の陣でないと本気が出ないという性向は学生の頃からのもので、それを棚に上げて、卒論指導なんかでは、「早めに書き始めなさい」などと言っているのだから、言行不一致もはなはだしい。