7.15(火)
夏休みがそこまで来ている。それまでに馬力を入れて片付けなくてはならない仕事が2つ、3つあるので、そうウキウキしてはいられないのだが、でも、やはりウキウキしてしまう。つい頬がゆるんでしまう。保育園→小学校→中学校→高校→大学→大学院→(職場としての)大学と、つねに長い夏休みのある人生を送ってきた。だから夏休みのない人生というものを想像することができない。いや、想像することはできるが、正視することができない。しかし、世の中のほとんどの人は夏休みのない人生を生きているのである。この春、大学を卒業して就職した人たちは、人生で初めての夏休みのない夏を経験しようとしている。高学歴社会が構造的に生み出す大きな人生の試練といってよいだろう。
7.16(水)
3限の「社会学研究9」の講義は今日が最終回(来週は教場試験)。ふぅ、終わった。やれやれ。5限の「社会学演習ⅢD」の調査実習はインタビュー調査がいよいよ始まり、今月末に予定している鴨川セミナーハウスでの2泊3日の合宿が前期のピークになる。これからだんだん勾配が急になっていく。今日の授業も規定の午後5時50分では終わらず、7時半までかかった。その後、10人ほどの学生と「サイゼリア」で食事。那須先生の大学院のゼミの人たちの姿も見えた。「サイゼリア」にはひさしぶりに来たが、メニューをみて、値段の安さに驚いた。文学部のカフェテリアといい勝負ではなかろうか。どおりで混んでいるはずである。ところで、メニューの一番最後にある「ドリンクバー」というのは面白いシステムである。コーラー、ジュース、ウーロン茶といったソフトドリンク類は所定の代金を払ってセルフサービスでお代わり自由というシステムなのであるが、代金を払った人に腕章とか、首飾りとか、特別の色のコップとかが渡されるわけではないので、代金を払っていない人がソフトドリンクをもってきてもわからない。あるいは、代金を払った人が、2人分の飲み物をもってきて(お代り自由なのであるからお代り分を先にもってきておいてもかまわないだろうという論理で)、1つを代金を支払っていない友人に渡してもわからない。いわば信頼の上に成立つシステムである。事実、われわれは、全員の人数分のドリンクバーを申請した。しかし、申告せずにドリンクバーを利用する客も一定数はいるはずであり、そのことは代金を設定する場合に考慮されているに違いない。あたかも年金制度における掛け金のごときである。そういうことを考えると、律儀に正しい申告をしたわれわれは、2回くらいはお代りをしないと損をしたような気分になり、1杯目はメロンソーダ、2杯目はウーロン茶、3杯目はコカコーラという具合に(私の例です)、本当は水でもいっこうにさしつかえないところを、ソフトドリンクを過剰に摂取してしまうのである。
7.17(木)
7限の「社会・人間系基礎演習4」も今日で前期は終了。「大学」というテーマでB4判1枚(左右見開き2頁)のレポートを提出してもらう。入学して数ヶ月、この間に大学で見聞したことを素材にして、前期の演習で学んだ社会学的な概念を総動員して、自分なりの分析を試みるというのがレポートの趣旨である。名前の横には筆者の顔写真を貼っておいてもらう。このレポートは私だけでなく、クラスの37名全員が読む。したがって37部コピーをして提出してもらい、全員が全員の分を受け取る。この人はこんな文章を書く人なのか、らしいな、意外だな、と文章と顔写真を見比べながら目を通す。そして読んだ感想を7月中にクラスのBBSに書き込むことになっている。レポートというものは人に読まれ、評価されることを前提にしないと、上達しない。自己の内部に「一般化された他者=読者」の視線をもっていない人の書いた文章は読むに耐えない。しかし、大学のほとんどのレポートはただ提出させるだけで、教師がどう読んだのか、そもそも読んでいるのかいないのかさえ、わからない。他の学生がどんなに面白い(あるいはつまらない)レポートを提出しているのかも無論わからない。わかるのは自分のレポートの最終的な成績(ABC・・・・)だけだ。だから何かの本をただ写したに過ぎないような「レポート」が大量に提出されることになる。不毛な儀式というほかはない。帰りの電車の中で、32名のレポート(5名未提出)を順に読んでいく。うん、なかなか面白い。7名分を読み終わったところで、蒲田駅に到着。続きは明日の電車の中で。
7.18(金)
大学院の演習も今日で前期は終了。『近代日本文化論』全11巻の中から計20本の論稿を読んだ。個々の論稿の分量はさほどではなく、内容も難解ではない。しかも論稿のコピーは1週間前に全員(8名)に配布してある。したがって、報告者は、こういうことが書いてありましたという内容の紹介以上の何ものかを、報告において期待されることになる。センスが問われ、勉強量が問われることになる。本日の報告者だったY君とAさんは、厚みのある(お手軽でない)よい報告をした。たぶん他の授業でもきちんと準備した報告をしているのであろう。そうであれば、いずれ彼らは教員の間で認められる。つまり「この学生は研究者の仲間入りをする人間だ」と認められるのである。修士課程の2年間というのは、そういう審査の期間なのである。いまの時点で、Y君とAさんに注文があるとすれば、それは自分が報告者のときは遅刻してはいけないということである。本日、Y君は20分ほど遅刻し、Aさんはさらに20分ほど遅刻した。互いにもう一人の報告者が先に始めていてくれるものと期待していたらしい。やれやれ。企業のプレゼンに担当者が遅れたら切腹ものであろう。
7.19(土)
「社会学基礎講義A」の教場試験。試験中、教室の中を巡回して気づいたことは、場所によって室温がずいぶんと違うということ。教壇の辺りはクーラーからの風を感じて上着が必要なのだが、教室の一番後ろの窓際の席はちょっと汗ばむ感じだ。日本列島の気候に似ている。暑がりの学生は前の方に、寒がりの学生は後ろの方に座ってくれるとちょうどよい。しかし、一般に、真面目な学生が前に座る傾向が高いので、真面目でかつ寒がりな学生は風邪をひきやすい。気の毒なことである。「質問のある人は黙って手をあげること」と言ったら、何人かの学生が手をあげた。
学生A「答案用紙を上下逆さまにして字を書いてしまったのですが・・・・」
私「気にしないで下さい」
学生B「ナニナニについて論じなさいとありますが、論じるというのは自分の意見を入れてもよいということですか」
私「そうです」
学生C「イツダツ(逸脱)という漢字を忘れてしまったのですが、どう書くのでしょう」
私「自分で考えて下さい」
・・・・そうこうしているうちに終了の時刻となる。答案約180枚。夏休みに入る前に採点を終えたいものだ。
卒論ゼミを終え、「すず金」で鰻重を食べ、「あゆみブックス」で村上春樹・柴田元幸『翻訳夜話2 サリンジャー戦記』(中公新書)を購入し、「シャノアール」で読む。柴田の「Call Me Holden」は秀逸。アメリカ文学史における『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の位置づけを主人公ホールデン・コールフィールドの口調で(!)語ったもの。舌を巻く芸である。研究室に戻って、雑用を片付け、閉店間際の生協文学部店で佐藤忠男『映画の中の東京』(平凡社ライブラリー)を購入し、帰りの電車の中で読む。冒頭の章で、小津安二郎、黒澤明、成瀬巳喜男の3監督の作品が取り上げられている。読んでいたら黒沢の『野良犬』が無性に観たくなり、蒲田駅に着いてただちにTUTAYAに飛び込んでレンタルする。
清水幾太郎の孫の清水真木が広島大学で哲学の講師になっていることを知人からのメールで知り、彼の著書『岐路に立つニーチェ 二つのペシミズムの間で』(法政大学出版局、1999年)をアマゾンで注文する。この本は以前店頭で見かけた記憶がある。しかし、そのときは迂闊にも彼が幾太郎の孫であることに思い至らなかった(孫の名前が真木であることは知っていたのに・・・・)。幾太郎の一人娘、つまり真木の母親、礼子は青山学院大学の哲学教授で専門はスピノザである。血は争えないとはよく言ったものだ。
7.20(日)
『野良犬』を観た。1949年の映画だ。敗戦から4年後、私の生まれる5年前の映画だ。満員の路面電車の中で若い刑事(三船敏郎)がピストルをすられ、その行方を捜す間に、そのピストルで人が殺傷される事件が2件起きる。3件目の事件が起きる前になんとか犯人をつかまえようと東京中を歩き回る刑事。われわれは刑事と一緒に、敗戦後間もない東京の市井の風景と人々を見、そして巷に流れる音楽を聴く。そして真夏の暑さ、それもクーラーというものがまだ存在しない時代のむせ返るような暑さを肌で感じる。野良犬というものを見なくなって久しいが、野良犬が口を開けて、ハーハーと息をするのが聞こえてくるような暑さである。それはたんなる夏の暑さではなく、当時の東京の熱さでもあろう。
ただいまの時刻、午前5時40分。徹夜でようやく原稿を書き上げる。グラフを12枚組み込んだ重いファイルだったせいか、途中で文書の保存ができなくなり、大いに焦った。思わず「神様・・・・」と祈ってしまった。ファイルを2つに分割したら保存が可能になり、ホッとする。窓の外はもう明るい。カラスが鳴いている。
7.21(月)
子どもたちが家にいるので、「今日は休みか」と聞いたら、「もう夏休みだよ」と言われた。そうか、もう夏休みなのか。そういえば数日前に通知表を見たっけな。来年、長女は大学受験、長男は高校受験で、いつもの夏休み気分ではない。通常であれば、私も夏休みモードに突入しているのであるが、今年は授業の終了が1週間遅く(学期始めの科目登録の混乱のせいで)、今週まで授業がある。おまけにまだ梅雨は明けていないときている。終日、原稿の手直し作業。ただいまの時刻、午前3時30分。さすがに2日続けて徹夜は無理だ。これを書き終えたら寝るとしよう。
7.22(火)
大学からの帰路、東西線の中で原稿を読んでいたら、大手町で降りそこなって日本橋まで行ってしまった。大手町まで戻るのも芸がないので、銀座線で新橋に出ることにした。銀座線のホームに行く途中に売店があって、店頭にミキサーをたくさん並べてフレッシュジュースを売っている。昔はこういう店が街中にあった気がする。ちょっと贅沢で、しかも健康にもよさそうで人気があった。ちょうど銀座線の電車がホームに入ってくるときだったが、一本やりすごして、その昔懐かしいフレッシュジュースを飲むことにした。スローフードの精神である。オレンジ、バナナ、メロン、イチゴ、ミックスといろいろ種類があったが、オーソドックスなオレンジジュースを注文する。紙コップ一杯200円。安い。「格安提供」と書いてある。でも、安すぎないか? 少し不安な気持ちになって、一口飲む。み、水っぽい。絞りたてのオレンジジュースを水で薄めてような味である。いや、ようなではなく、まさにそのものである。水増しし過ぎです。「格安」でなくていいから、もっとしっかりと甘酸っぱいオレンジジュースが飲みたかったのに。しかもぬるい。まだ梅雨が明けぬとはいえ、7月下旬である。生ぬるいオレンジジュースなんていやだ(鉄拳の口調で)。
蒲田の有隣堂で「ほんとうの時代」(PHP)という月刊誌を購入。知人(といっても70歳を過ぎた方で、私の放送大学時代の教え子)から自分の投稿が載ったので見てくださいというメールが届いたので。最初は立ち見ですます気だったが、ファンである米長邦雄のインタビュー記事が乗っていたのと、表紙の「50代から読む“大人の生き方誌”」とい謳い文句が目にとまり、「そうだな、私も来年は50歳だしな・・・・」と思い、素直に購入。「総特集 定年後、ボケる人、ボケない人」はパス。いくらなんでもまだ私には早いだろう(早稲田大学の教員の定年は70歳)。「特別企画 青春18きっぷで出かける鉄道の旅」は写真が素敵だった。旅心を大いにかきたてられた。私も学生たちのようにインタビュー調査で遠くの町に行ってみたい。ところで、知人の投稿だが、サラリーマン時代は、「犬吠崎」(銚子の外れ)ゆえ、宴会などで歌わされることが苦痛でしかたなかったが、いまは仲間とカラオケに行くのがとても楽しいという内容。ふぅむ、私も「犬吠崎」の口で、人前で歌うなんて拷問以外のなにものでもない。ときどき学生から、「先生はよい声をしているから、きっと歌もお上手なんでしょうね」と言われるが、酒が飲めそうな顔をしているのに下戸というのと同じで、声の質と歌のうまさは相互に独立の事象なのである。私もいつの日か、「犬吠崎」で「襟裳岬」を熱唱することがあるだろうか。たぶん、ないね。
7.23(水)
「社会学研究9」の教場試験。論述問題は3題の中から1題を選択して解答するのだが、教室を巡回しながらチェックしたら、大多数の人が一番難易度の低い問題を選択していた。これは当然のようでいて、あまり得な選択ではない。なぜなら採点者(私)は同じような解答をたくさん読むことになり、その中で「うん、これは出来のいい解答だ」という評価を得るためには、それなりの工夫を必要とするからだ。一方、難易度の高い問題に解答することは、すでにそのこと自体が「ほほう、この問題を選びましたか。」という印象を採点者に与える。もちろん難題に挑んだはいいけれど、箸にも棒にもかからない解答ではどうしようもないが。安全策でいくか、冒険を試みるか。試験は人生に似ている。いや、寺山修司風に言えば、人生が試験に似ているのだろう。
7.24(木)
午前、生協から依頼されていた1年生向けの専修紹介記事の〆切を1週間間違えていることに気づき(先週の土曜日だった)、時間がないので、昨年のもの(前主任の文章)に少し手を加えただけの原稿をメールで送る。昨年の原稿は校正がしっかりなされていなかったのか、「都市社会学」が「都市社会額」、「原典講読」が「原点購読」、「専任教員」が「選任教員」、「調査過程」が「調査家庭」となっていた。これ、ちょっとひど過ぎないか。
午後、母が大森の東邦医大病院に再入院することになり、入院の手続きと、担当医の説明を聞きに行く。帰りに梅屋敷通り商店街を散歩。ペットショップのケースの中のアメリカンカールがとてもかわいかった。肉屋さんでコロッケと鳥の唐揚(どちらも1個100円)を買って帰り、子どもたちと食べる。なかなかいける。
夜、試験問題(何のかは書けない)の作成。続いて、明日が〆切の学会誌の投稿論文の査読。最初は面白そうな論文と期待して読み始めたのだが、途中からだんだん腹が立ってきた。卒論以上、修論以下のレベル。査読のコメントを書き上げたのが午前2時。深夜の道をポストまで歩き、投函する。
7.25(金)
1週間ほど前に通販で購入したリクライニング・チェアーが研究室に届く。送料・消費税を入れて2万円ちょっと。安物であるが、一応、イタリア製。以前から、研究室で眠気に襲われる度に(昼食後に多い)、ソファ・ベッドがあったらなあと思っていた。しかし、研究室にそれだけのスペースはない。ビーチ・チェアーでは床に寝ているような気分であろう。そこで思いついたのがリクライニング・チェアーである。これなら普通の椅子としても使える。実際、座ってみると、居眠り用としてだけでなく、読書用としても適していることがわかった。背筋を伸ばしての読書もよいが、シートに身を沈めての読書はいかにも「読書に耽る」という感じだ。ただし、リクライニング・チェアーを普通の椅子として使う場合、問題が1つある。他の椅子よりも座面が10センチほど低く、かつ背もたれ部分が大きい点だ。したがって、研究室で4、5人の学生と何かの相談をする場合、なんだかマフィアの親分が子分たちの報告を聞いているような構図になる。つまり、エラソーな感じになるのである。一般的な意味で、大学教授は大学生よりもエライことは確かであるが、エライことと、エラソーな感じを人に与えることとは同じではない。エライのに、エラソーな感じを人に与えない、という印象管理が大切なのだ。
7.26(土)
前期最後の卒論ゼミ(一文)。14人中12人出席。夏休み中は当然ゼミはお休みなので、次回は10月3日。アンケート調査やインタビュー調査を予定している人はもちろん、文献研究中心の人も夏休みは書き入れどきである。それは私とて同じことで、夏休みは『社会学年誌』(早稲田社会学会の機関誌)に載せる論文の執筆と、日本家族社会学会大会(大阪市立大学、9月6・7日)での発表の準備で忙しい(・・・・ということに一応なっている)。
夕方、入院中の母を見舞いに行く。しかし、ぐっすり眠っていたので、そのまま帰る。昨日、手術を受け、そのときの麻酔のせいであろう、昨夜は一晩中吐き気がして眠れなかったらしい。今日、吐き気止めの点滴をしてもらって、どうやら落ち着いたようだ。
夜、ビデオに録っておいた『高原へいらっしゃい』を観る。ところが、Gコードで録ったにもかかわらず、最後のところが録れていなかった。予約のキャンセルの電話が立て続けに入って、で、その後どうなったんだ? 消化不良のまま、机に向かい、留学をするKさんのための推薦状と、電気通信大学のS先生が早稲田大学の図書館を使えるようにするための推薦状の作成。深夜、コンビニのところのポストに投函する。
7.27(日)
明日から2泊3日で、鴨川セミナーハウスで社会学演習ⅢD(調査実習)の合宿である。そのための準備や母の見舞いで一日が暮れる。夕方、妻と東急プラザで買い物。麻のジャケット、綿とテンセルのブルゾン、デッキシューズ、サングラスを購入。この種のものを買うときは、必ず妻がついて来る。私のセンスを信用していないのである。そして、悔しいことに、妻の見立てはたいてい正しいのである。
買い物がすむと、妻は夕食の支度に家に帰り、私は栄松堂をのぞく。以下の4冊を購入。
(1)『小林秀雄全作品10 中原中也』(新潮社)
中原中也は清水幾太郎と同じ1907年(明治40年)の生まれであるが、1937年(昭和12年)に30歳で亡くなっているせいで、清水と同時代人という感じがしない。それは太宰(1909-1948)にも言える。人は生まれた年よりも、死んだ年で、いや、仕事をした時代で、われわれの記憶に残るものなのだ。
(2)谷村志穂『10年後の「結婚しないかもしれない症候群」』(草思社)
彼女が『結婚しないかもしれない症候群』(主婦の友社)を出したのは1990年であった。それから約10年後の2001年に彼女は13歳年下の男性と結婚した(いわゆる「できちゃった婚」であった)。その彼女が、『結婚しないかもしれない症候群』でインタビューした女性たちに再びインタビューを試みたのが本書である。つまり一種の追跡調査レポートである。
(3)佐藤卓己編『戦後世論のメディア社会学』(柏書房)
論文集だが、とくに第3章「女性週刊誌が支える天皇制―代表具現のロイヤル・ファッション」、第5章「レトロスペクティブな革命―七〇年代フォーク・ソング」、第6章「『受験地獄』の黙示録―朝日新聞『声』欄に見る教育『十五年戦争』」を読んでみたいと思う。
(4)『文藝別冊 総特集 山口瞳 江分利満氏の研究読本』(河出書房新社)
山口瞳が死んですでに8年が経つ。別の言い方をすれば、『週刊新潮』で「男性自身」を読めなくなって8年が経つということだ。私は山口瞳と池波正太郎から礼儀作法というものを学んだ(池波が死んでから13年だ)。本書には、その2人の対談が載っている。山口の『居酒屋兆治』(1982年)が出たときの対談で、タイトルが「縄のれんをくぐると」となっている。
娘の通っている都立雪谷高校の野球部が、全国高校選手権の東東京大会の準決勝で安田学園を延長戦の末に破り、決勝に進出した。凄い! あれよあれよという間にここまで来てしまった。29日の決勝戦の相手は優勝候補筆頭の二松学舎である。
7.28(月)
合宿1日目。朝、10時に東京駅八重洲中央口を出たところの高速バス乗場に集合し、10時20分発の「アクシー号」に乗る。東京湾アクアラインを渡ってあっという間に千葉県に入る。最初、修学旅行の高校生のように騒がしかった学生たちも、おそらく前夜は合宿での報告の準備で睡眠不足なのであろう、房総半島の山中にさしかかる頃には皆熟睡していた。ただ、私のすぐ後ろの座席のAさんとHさんは最後までずっと喋っていて、私はそれを聞くともなく聞きながら、年頃の娘をもつ父親の気苦労を思ったりした。終点の安房鴨川駅前には予定よりも20分早い12時に到着。そこからタクシー6台に分乗してセミナーハウスに向かう。私(と3人の女子学生)の乗ったタクシーの運転手は、話し好きな上に、女性好きで、「大学の先生は若い女性に囲まれてうらやましい」という類の話をセミナーハウスに着くまでの間ずっと喋っていた。
鴨川セミナーハウスは海を見晴らす小高い丘の上に立っていた。閉鎖になったどこかの会社の保養所でも買収したのかと思っていたが、新しく建てたものだという。この7月11日にオープンしたばかりで、何もかもがピカピカの状態である。部屋割りを決め、荷物を置いて、さっそくゼミをスタートする。今回のゼミの課題は2つあって、第一は、ライフストーリーのインタビュー調査の方法論に関する文献の講読。第二は、すでにインタビュー調査を終えて、テープ起こしも終わっているケースについての詳細な報告。これまでの授業では、方法論の話は必要最低限しかしてこなかった。実際にインタビュー調査をする前に方法論の話を詳しくしても身につかないだろうと考えたからである。何ケースかを実際にやってみた後で、方法論の勉強をした方が、実践的にそれを理解することができる。ところが、最初の文献報告のときに、いきなり居眠りを始める者が何人かいた。それも机につっぷして寝ている者までいた。当然、叱る。1回叱ると数時間はその効果が持続する。
合宿の楽しみの1つは食事である。今日の夕食のメニューは、ビーフシチュー、小海老のフリッター、鶏のササミとレタスのサラダ、コンソメスープ、デザート(チーズケーキ)。おいしくいただく。私はしっかりご飯のお代わりをしたが、学生は、男子学生も、あまりご飯のお代わりをするものがいなかった。私の学生時代とは隔世の感がある。そういえば、我が家でもご飯のお代わりをするのは私だけだ。
夕食後も8時から10時までゼミ。消灯は11時。明日は7時起床である。なんて健康的な生活であろう。
7.29(火)
合宿2日目。午前6時半頃、窓の外から聞こえてくる学生たちの話し声とラジオの音で、目が覚める。私のゼミの学生がラジオ体操をやっているのだ。朝食は7時半から。白井総長の顔が見える。オープンしたばかりのセミナーハウスの見学に来られたのかと思ったが、白井ゼミの合宿なのだそうだ。朝食はセルフサービスなのだが、順番待ちの行列ができている。食堂のスペースも手狭な感じである。職員さんに伺ったところ、食堂の座席は満室の場合の50%の数しかないそうで、テラスのテーブルを使って対応しているのだが、雨の日などは、テラスに面したゼミ室も食堂として使わざるをえないのだという。トップシーズンでなく、年間の稼働率の平均値(予想値)に合わせて設計されているということであろうが、ゆとりのない話である。朝食の味噌汁はとても美味しかった。
午後、みんなで海辺に出かける。梅雨明け前の海水浴場は人影もまばらで、われわれ(26名)は浜辺における最大派閥を形成していた。これだけの若者がドッチボールやビーチバレーに喚声を上げていると、夏の浜辺らしい雰囲気になってくる。私は堤防に腰を下ろして、TVドラマ『ビーチボーイズ』でマイク真木が演じていた海辺のペンションのオーナーのような気分で、若者たちを眺めていた。
夕方、セミナーハウスに戻ると、娘からメールが届いていた。雪谷高校が二松学舎を破って、甲子園出場を決めたという知らせだった。すぐにインターネットで新聞社の速報を調べたら、0-0で迎えた9回表に一挙5点をとって、5-0の完封勝ちをおさめたとのこと。いやー、驚いた。夏の大会で都立高校が代表になるのは、国立、城東に続いて3校目である。この夏は久しぶりに高校野球を楽しめそうだ。
7.30(水)
合宿3日目(最終日)。午前7時半、朝食の準備ができたことを知らせる館内放送の声で目が覚める。あわてて身支度を整えて食堂へ行くと、わがゼミの面々はまだほとんど来ていない。昨夜、コンパがあり、私は消灯時間の11時頃自室に引き上げたが、その後学生はまだしばらく話し込んでいて、なかには午前4時ごろまで起きていた者もいるらしい。それでは起きられないはずだ。8時半からゼミ。午後1時半にタクシー7台を予約しているので、それまでに7本の報告をこなさなくてはならない。最後の最後までタイトなスケジュールである。寝不足から居眠りをする学生が目立つ。当然、注意する。外国から早稲田大学に来る留学生がそろって言及することに、日本人の学生の授業中の居眠りがある。自分たちの国ではありえないことだと言う。そのとおりだと私も思う。日本の大学生が授業中に居眠りをするのには、いろいろ原因があろうが、教員がそれを注意しないことが原因の1つであることは間違いない。注意されない(負のサンクションを受けない)逸脱行為は逸脱行為ではなくなる。日本の大学生も企業に入れば、まさか会議中に居眠りはしないであろう。そんなことをすれば「ダメ社員」の烙印を押されて責任ある仕事から外されるからである。ゼミの休憩時間のとき、「先生は眠くならないんですか?」と私に聞いた学生がいたが、その学生も私の立場になったら絶対に居眠りなどできないはずだ。ゼミの担当教員が学生の報告中に居眠りなどできるはずはない。そもそも、教員だからということではなく、他人が報告しているときに居眠りをするということがどれだけその人にとって失礼なことであるかは、ちょっと考えればわかるはずである。すなわち、居眠りは寝不足から生じるというよりも、むしろ他者に対する敬意の欠如から生じるのである。・・・・予定していた内容をすべて消化し、午後1時半、管理人さん御夫婦に挨拶をして、タクシーに乗り込む。居眠りの件を別にすれば、学生たちはよく準備し、まずまずの報告を行ったと思う。25本の報告は、もしそれを通常の週に一度の授業の中で行ったら、8週間はかかるものであった。
高速バス、アクシー号は午後4時ちょうどに東京駅八重洲口に到着。バスを降りた場所で、幹事のK君が合宿中のMVPの発表があり、当然私だろうと思っていたところ、レクレーションのとき、波にさらわれたビーチサンダルを探して頭から波をかぶってずぶぬれになったKさんが受賞する(私は心の中で自分自身に特別賞を授けることにした)。また、後期から1年間アメリカに留学するAさんに、全員が寄せ書きをした色紙が渡される。予定では、ここでAさんがウルウルするはずであったが、嬉しそうに明るい笑顔で受け取る。この子はアメリカでもちゃんとやっていけるに違いないと、私は確信した。記念の写真を撮って解散。私は東京駅地下街の喫茶店「平野屋」に入り、ホットケーキと珈琲を注文してから、持参したノートパソコンを開き、本日のフィールドノートを書き始めた。私にとって5年ぶりの合宿はこうして無事終わった。・・・・ところが、注文した品が30分経っても出てこない。ウェイトレスに確認すると、どうも忘れられていたようだ。いまから改めて注文する気にはなれず、店を出て、蒲田に着いてから、いつもの「市美多寿」に行き、いつものホットケーキとレモンジュースを注文した。やはりホットケーキは地元のこの店で食べなさいという天のお告げだったのだろう。
ホットケーキを食べ終えて、栄松堂に寄って女性作家の小説を2冊購入。一仕事終えた後は、いつも小説が読みたくなる。
(1)村山由佳『星々の舟』(文藝春秋)
129回直木賞受賞作品。彼女のエッセーは読んだことがあるが、まだ小説は読んだことがない。今回の直木賞受賞を機に読んでみようと思って。
(2)よしもとばなな『デッドエンドの思い出』(文藝春秋)
よしもとの小説、その透明感のある文章は昔から好きである。「これまで書いた自分の作品の中で、いちばん好きな小説です。これが書けたので、小説家になってよかったと思いました。」という彼女の言葉が本書の帯に載っている。そう言われては読まないわけにはいきません。
本の代金は早稲田カードで支払う。なにしろ合宿に行く前に銀行でおろした30万円を全部使ってしまい、財布には千円札が1枚しか残っていなかったのだ。
7.31(木)
日中の陽射しの暑いこと! 今日で梅雨明けなのでは? 調査実習の関係で夏休みの間も最低週に2回は大学に出ることになる。今日はその日。午前、研究室に地震による転倒防止の工事が入る。作りつけの書棚の上に上乗せを4つ置いて本箱として使っているのだが、これらを連結し、かつ壁に固定してもらう。これで大きな地震が来ても本箱が落下する心配はなくなった。でも、本は飛び出すと思う。
午後、学生たちが三々五々やってきて、インタビュー調査の準備作業。合宿から帰った翌日だというのに・・・・、彼らも忙しいゼミに入ったものである。ところが、今日来るはずのS君が夕方になっても来ない。携帯にかけてみると彼が出て、「キュウヨウが入ったので・・・・」とのこと。電話を切った後、みんなで、「キュウヨウは急用ではなくて休養なのではないか」と言って笑った。インタビュー調査の担当ケース数は1人当たり5ケース(全部で120ケース)くらいになる見込みだ。5ケースというと大したことがないと思うかもしれないが、インタビュー時間は3時間前後で、これをテープ起こしするにはその10倍の時間がかかる(初心者の場合)。それを5ケースである。しかもインタビューは原則として男女2人の学生がペアーになって行うので、自分がメインの調査員となって担当する5ケース以外に、サブの対象者として同行するケースが3、4ケースはある。また、対象者は東京近辺にばかり集中しているわけではない。北は北海道から南は沖縄まで広がっている。当然、学生は泊りがけで出かけていくのである(念のために言うと、この場合は男同士、あるいは女同士のペアーで行く)。だから遠方の方のインタビュー調査は夏休み中に集中的に行わざるをえない。それでは夏休みとはいえないじゃないかと文句の一つも出てもよさそうなところだが、少なくとも今のところは、私の耳にはそうした苦情は聞こえてこない(最近、耳が遠くなって・・・・ということはない)。正直、これには感心する。遠方の調査は旅行を兼ねることができるということもあろうが、それも調査実習というものに積極的に取り組む姿勢があったればこその話である。今回の調査実習はいい学生が集まったと思う。ただ1つ心配なことは、インタビューの件数が私の予想を大きく越えてしまって、学生たちが疲労困憊し、調査実習の予算も途中で底をついてしまわないかということである。インタビューの依頼を承諾していただける割合が75%(160人中の120人)を越えないことを願うとは、贅沢な悩みである。
昨年1月に実施した全国調査「戦後日本の家族の歩み」の報告書が出来上がる。この調査は、1920年~1969年生まれの全国の女性5000名を対象として(有効回収率69.5%)、家族経歴上のさまざまな出来事(結婚、出産、育児、妻の就労、親との同居・別居、離婚、家族の介護、相続など)について質問し、回答をコーホート間比較することによって、戦後日本の家族変動の実態を明らかにしたものである。600部印刷して、300部は印刷所に発送作業を委託したので、残りの300部が研究室に搬入された。300部というのはそれなりの量で、すでに満杯状態の研究室を見渡して、どこに置こうか思案する。もっとも私の研究室に置くのはしばらくの間で、9月6・7日の日本家族社会学会大会(大阪市立大学)で希望者に配布することになっている。
大学を出るのが午後8時頃になったので、どこかで夕食を食べようと思ったが、途中で財布を研究室に忘れてきてしまったことに気づく。空腹のまま帰宅したら、妻が「あれ、食べてこなかったの?」と聞くので、財布の件は言わずに、「やっぱり君の手料理が一番だ」と答える。