オクテック ガレージ ブログ OKU-TEC garage

大した人生ではないけれど,それでも読み返せば思い出されるあのときのこと.消えないように,そして生きた証になるように

お袋の命日と,とら母の誕生日は同じ1月9日

2013-01-15 03:42:39 | 日記(家族)
去る1月9日はおふくろの命日.
もう他界して5年が経ちます.
しらないうちにC型肝炎になり,肝がんで亡くなりました.
働き者で世話好きだった母親.
友達が来ると,やれコーヒーだ,やれお菓子だ,やれご飯だと,サラリーマン家庭のようなもてなしをしてあげれないという
思いで,食べ物だけは不自由させまいと気遣う人でした.

さかのぼることその3年ほど前に父親が亡くなり,親父の世話と店の切り盛りに追われて自由な時間を持てなかった
母の第二の人生の再出発とばかりに葬式が終わってすぐに近くの大きな病院に健康診断にいったのですが,
そこで初めてガンであることが分かりました.
その日から亡くなるまでの3年は,つらい毎日でした.

大きな病院の画一的な診察に憤りを感じ,少し遠くの病院に転院し治療をつづけました.
長い入院生活が始まり,さみしい思いをさせないようにと誰かが必ず毎日顔を見せるようにしました.
家の中はどんよりとした空気に包まれ,淡々と時間が過ぎ,面白いことがあっても空笑いしかでませんでした.

仕事が終わると家とは反対方向にヴェクスターを走らせ病院に向いました.
マグロの赤みが好物だったのでいつも病院の近所のコープに寄ってマグロのお刺身を買うのが日課でした.

やがてその好物のマグロの赤身さえのどを通らなくなってきたとき,終わりが近付いてきていることを悟りました.

病院からの帰り道の1時間は虚しさでいっぱいでした.
いまでもその道を通ると当時の虚しさが思い出されます.

残りの半年は自宅で介護をしました.
離れてさみしかったのは母親の方では無く私達だったのかもしれません.
寝たきりでもすぐそばにいてくれるだけで幸せに感じ,少し笑いも増えました.


今,友和子(とわね)が生まれその成長を見守っていますが,よく考えると友和子も寝たきりと同じだと気付かされます.
違うのは始まりか終わりかということ.

ベッドで寝ている友和子を見ているとこの部屋で寝ていたおふくろの事をふと思い出したりします.


おふくろの命日はとら母の誕生日でもあります.
友和子がいるのでゆっくりと食事にも出掛けられないので回転寿司をお持ち帰りしてささやかにお祝いをしました.

おふくろにはもちろんマグロのにぎりです.




寅次郎もいつもより少し多めにささみ巻きガムをあげました.




友和子の成長を見ているとその仕草というか変化は不思議なものがあります.
4ヶ月近くになってからは良く舌を出すようになりました.




もうすぐ5ヶ月ですが,今ではその舌をチュウチュウ吸ったりします.




変化には何らかの理由があってのことなんでしょうね.


首もほとんど座ってくれました.
(千葉のとら母のお父さんお母さんへ.友和子は元気に育っていますよ)




寅次郎と友和子のこの風景も当たり前のようになってきました.




とら母の携帯電話もついにスマートフォンになりました.
HTC J butterfly HTL21




ディスプレーの大きさは5インチ.auの中では一番大きなモデルだと思います.
視野角も広くすごくきれいです.




誕生日の〆はケーキ.
私の一押しは「Courage」(クラージェ)」という吹田のケーキ屋さん.

甘ったるくない甘さが何とも言えません.何個食べても胸焼けしません.




私にとっての1月9日はそんな日でした.

ではまた