2015年 シルバーウィークの続きになります
9月22日
朝8時起床。
いつもなら6時くらいに目が覚めるのに、なぜか今回の旅では朝が起きれない。
とら母と友和子は既に起きていた。
寅次郎はもっと早くに起きていたんだと思う。いつも何も言わず(吠えず)、黙って自分たちが起きるのを待っている。
寅次郎の散歩がてら道の駅の周辺を歩いてみることにした。
ここにも足湯があった。
最近よく見かけるようになったけど、あまり入った事がない。
のんびりと旅しているようで実は先を急いでるのか、単に興味がないのか、はたまた面倒くさがりなのか分からないけど
いつもスルーする。
とら母も入ろうと言わないから興味が無いか面倒くさいんだと思う。
バイク仲間の中には温泉をみつけては入っていく人もいる。
ゆとりのある大人のちょっと贅沢な旅の楽しみ方みたいに思う。
自分は旅に出ても普段と同じで一日の汚れを落としてさっぱりできればそれで十分で、なまじっか湯船に浸かると体や頭を洗いたくなるし
下着とかも交換したくなるので、温泉巡りとかは向いてないのかもしれない。
旅先で温泉があれば嬉しいけど、黄色い『ケロリン桶』が置いてある町の銭湯でも全然構わない。
番台のおばちゃんと世間話が出来てるので、そっちの方が楽しかったりする。
地層などが書かれた案内看板があった。
それを見るとここは『中央構造線』のすぐ近くにある。
『中央構造線』の文字を見て自分がまだ小学生だった頃にテレビでやっていた『日本沈没』(主演 村野武範)を思い出した。
地震(地殻変動)で日本の大部分が海に沈むという小松左京の作品で、この中央構造線を境に西日本が海に沈むという展開だった。
幼いせいもあって自分の住む町が無くなっていくときに、どうすれば助かるか真剣に考えたりした。
もう一つ看板があって、『秋葉街道 和田宿』として栄えた昔の町が描かれていて、絵作りが良くてちょっと興味がわいた。
説明によると戦国時代は遠山氏の城下町として、江戸時代には秋葉街道の宿場町として栄え、明治29年(1896)からは王子製紙による
山林の大規模伐採がはじまり町は大いに賑わったらしい。
時代の流れ、人の生活があった町を少し歩いてみることにした。
道の駅のすぐ裏を流れるのは『遠山川』。
深みのあるブルーな水の色。
静かな町に絶え間なく聞こえてくる川の音。
山間に囲まれた小さな町。
庭先の畑で畑仕事をしているおばあさんと目が合う。
軽く会釈すると、笑顔が返ってきた。
のどかな町。
ゆっくりと過ぎる時間。
のんびり歩くだけで楽しい。
『和田宿』として当時賑わった通りに来た。
新しくなった家も多く、今はその賑わいのおもかげも感じられない。
ふと家の奥にスズキの刀(カタナ)が見えた。
750ccなのか1100ccなのかと思ったら1100SR、ゆわゆる国内仕様の110刀みたいだった。
刀はカワサキ空冷Zのかっこよさと違う、時代に左右されない絶対的な渋さがあると思う。
『名水観音霊水』の看板。
高めな尿酸値を下げるために毎日水を3リットル飲んでいて、水は身近な存在。なので行ってみることにした。
ちょっとした上り坂。
相変わらず、とら母は登りに弱い。
坂を登り切ったところに『和田城』と書いた真新しい建物があった。
ここが和田城の跡地みたい。
跡地といえば普通はそのまま保存しているところが多いのに、ここはそこに新しい建物を建てて、その名がそのまんまってのが
アレレと思ってしまった。
よく見ると遠山郷土館[和田城]となっている。
資料館は入館料が必要だったので入らなかった。
どうせなら無料にしないと、いつまでもここのことを知ってもらえないのになあと思った。
館内には『カフェ 和田城』というのもあった。
創設者とは肌感覚が合わないだろうとなと思った。
資料館のすぐ先に『観音霊水』があった。
平成の名水百選、龍淵寺『観音霊水』
中央構造線、遠山赤石構造線、赤石断層の三つの断層が入り組む複雑な地形からわき出る水は、炭酸水素がきわめて多く塩化物イオンが非常に少ないため
常温で半年保存が可能らしい。
龍淵寺
『観音大杉』と言う大杉があるというので行ってみた。
樹齢500年とも言われパワースポットとしても有名らしい。
パワースポットとか言う言葉は軽々しく聞こえてあまり好きではない。
パワーストーンとかパワー“なんちゃら”、その物の持つ固有の何かは有るのかもしれないけど、それが高額であったり、浄化やメンテナンスと
称してお金が掛かる。
古き言い伝えや昔から信仰されていた対象物を、現世で得(とく)を得ようとする考え方や、それ自体がビジネスとなっているその俗っぽさが
全てを台無しにしているように思える。
大きな木に身をゆだねると、心地良いものがある。
それがパワーなのかは分からないけど、それ以上求めるものでも無く、それ以下でも無いと思う。
この先病気になったり、事故に遭うかも知れない。
でもお金で買ったパワー何ちゃらで何かが変わるとは思えない。
それよりも不摂生をやめたり、運動したりする方が効果的だと思う。
お帽子をかぶったお地蔵さん。
真っ赤なお帽子がかわいらしい。
手水舎(てみずや)に一人のお年寄りがいた。
水をくんで大杉の上にあるお墓にお参りに行くところだった。
小さな体に水の入った桶は重そうだった。
目が合って軽く会釈した。
『ご苦労様です』とか、そんな言葉が返ってきたと思う。
『重いから大変ですね』と声を掛けたら『これが勤めですから』と言って階段を上っていった。
桶を持ってあげればと思ったときには、もう上の方まであがっていた。
気が利かないなとちょっと自分をちょっと悔やんだ。
パワー何ちゃらで現世で得を得ようとするる人達とは対照的なお年寄りのその勤めの姿。
観音大杉もこんなおばあさんにしかパワーを与えないような気がした。
帰りは神社の急な階段を下りて戻ることにした。
手摺りにつかまらなかったら落っこちてしまいそうなくらい怖かった。
町で唯一のスーパーに寄って朝ご飯を調達した。
友和子はいつも飲んでいるアンパンマンのリンゴジュースを必死で探していた。
店を出たところでちょうど配達から帰ってきた店の人から声を掛けられた。
『温泉に行くなら割引券あるから言っておいで』と。
『ヨシマルヤストアー』
道の駅『遠山郷』から歩いてすぐ。
居ないと思うけどここで車中泊する人が居たら買い出しとか便利なので利用して下さい。
午前11時前
遅い朝ご飯を食べる。
さっきのスーパーで買った鶏の丸揚げはなかなか美味しかった。
昼を回ってようやく出発。
国道152号線で長野の諏訪湖を目指そうと北に車を走らせた。
走り出して5分も経たない頃、道ばたに『木造校舎がおもしろい』と書かれたチープさ満載の看板が見えた。
(写真が撮れなかったからGoogleマップのストリートビューの画像を拝借)
ちょっと寄ってみることにした。
看板から少し先の脇道を入っていくと古い校舎が見えた。
怒られそうですがチープさ満載の手作り看板がいっぱい。
続きはまた次回。
ではまた。
9月22日
朝8時起床。
いつもなら6時くらいに目が覚めるのに、なぜか今回の旅では朝が起きれない。
とら母と友和子は既に起きていた。
寅次郎はもっと早くに起きていたんだと思う。いつも何も言わず(吠えず)、黙って自分たちが起きるのを待っている。
寅次郎の散歩がてら道の駅の周辺を歩いてみることにした。
ここにも足湯があった。
最近よく見かけるようになったけど、あまり入った事がない。
のんびりと旅しているようで実は先を急いでるのか、単に興味がないのか、はたまた面倒くさがりなのか分からないけど
いつもスルーする。
とら母も入ろうと言わないから興味が無いか面倒くさいんだと思う。
バイク仲間の中には温泉をみつけては入っていく人もいる。
ゆとりのある大人のちょっと贅沢な旅の楽しみ方みたいに思う。
自分は旅に出ても普段と同じで一日の汚れを落としてさっぱりできればそれで十分で、なまじっか湯船に浸かると体や頭を洗いたくなるし
下着とかも交換したくなるので、温泉巡りとかは向いてないのかもしれない。
旅先で温泉があれば嬉しいけど、黄色い『ケロリン桶』が置いてある町の銭湯でも全然構わない。
番台のおばちゃんと世間話が出来てるので、そっちの方が楽しかったりする。
地層などが書かれた案内看板があった。
それを見るとここは『中央構造線』のすぐ近くにある。
『中央構造線』の文字を見て自分がまだ小学生だった頃にテレビでやっていた『日本沈没』(主演 村野武範)を思い出した。
地震(地殻変動)で日本の大部分が海に沈むという小松左京の作品で、この中央構造線を境に西日本が海に沈むという展開だった。
幼いせいもあって自分の住む町が無くなっていくときに、どうすれば助かるか真剣に考えたりした。
もう一つ看板があって、『秋葉街道 和田宿』として栄えた昔の町が描かれていて、絵作りが良くてちょっと興味がわいた。
説明によると戦国時代は遠山氏の城下町として、江戸時代には秋葉街道の宿場町として栄え、明治29年(1896)からは王子製紙による
山林の大規模伐採がはじまり町は大いに賑わったらしい。
時代の流れ、人の生活があった町を少し歩いてみることにした。
道の駅のすぐ裏を流れるのは『遠山川』。
深みのあるブルーな水の色。
静かな町に絶え間なく聞こえてくる川の音。
山間に囲まれた小さな町。
庭先の畑で畑仕事をしているおばあさんと目が合う。
軽く会釈すると、笑顔が返ってきた。
のどかな町。
ゆっくりと過ぎる時間。
のんびり歩くだけで楽しい。
『和田宿』として当時賑わった通りに来た。
新しくなった家も多く、今はその賑わいのおもかげも感じられない。
ふと家の奥にスズキの刀(カタナ)が見えた。
750ccなのか1100ccなのかと思ったら1100SR、ゆわゆる国内仕様の110刀みたいだった。
刀はカワサキ空冷Zのかっこよさと違う、時代に左右されない絶対的な渋さがあると思う。
『名水観音霊水』の看板。
高めな尿酸値を下げるために毎日水を3リットル飲んでいて、水は身近な存在。なので行ってみることにした。
ちょっとした上り坂。
相変わらず、とら母は登りに弱い。
坂を登り切ったところに『和田城』と書いた真新しい建物があった。
ここが和田城の跡地みたい。
跡地といえば普通はそのまま保存しているところが多いのに、ここはそこに新しい建物を建てて、その名がそのまんまってのが
アレレと思ってしまった。
よく見ると遠山郷土館[和田城]となっている。
資料館は入館料が必要だったので入らなかった。
どうせなら無料にしないと、いつまでもここのことを知ってもらえないのになあと思った。
館内には『カフェ 和田城』というのもあった。
創設者とは肌感覚が合わないだろうとなと思った。
資料館のすぐ先に『観音霊水』があった。
平成の名水百選、龍淵寺『観音霊水』
中央構造線、遠山赤石構造線、赤石断層の三つの断層が入り組む複雑な地形からわき出る水は、炭酸水素がきわめて多く塩化物イオンが非常に少ないため
常温で半年保存が可能らしい。
龍淵寺
『観音大杉』と言う大杉があるというので行ってみた。
樹齢500年とも言われパワースポットとしても有名らしい。
パワースポットとか言う言葉は軽々しく聞こえてあまり好きではない。
パワーストーンとかパワー“なんちゃら”、その物の持つ固有の何かは有るのかもしれないけど、それが高額であったり、浄化やメンテナンスと
称してお金が掛かる。
古き言い伝えや昔から信仰されていた対象物を、現世で得(とく)を得ようとする考え方や、それ自体がビジネスとなっているその俗っぽさが
全てを台無しにしているように思える。
大きな木に身をゆだねると、心地良いものがある。
それがパワーなのかは分からないけど、それ以上求めるものでも無く、それ以下でも無いと思う。
この先病気になったり、事故に遭うかも知れない。
でもお金で買ったパワー何ちゃらで何かが変わるとは思えない。
それよりも不摂生をやめたり、運動したりする方が効果的だと思う。
お帽子をかぶったお地蔵さん。
真っ赤なお帽子がかわいらしい。
手水舎(てみずや)に一人のお年寄りがいた。
水をくんで大杉の上にあるお墓にお参りに行くところだった。
小さな体に水の入った桶は重そうだった。
目が合って軽く会釈した。
『ご苦労様です』とか、そんな言葉が返ってきたと思う。
『重いから大変ですね』と声を掛けたら『これが勤めですから』と言って階段を上っていった。
桶を持ってあげればと思ったときには、もう上の方まであがっていた。
気が利かないなとちょっと自分をちょっと悔やんだ。
パワー何ちゃらで現世で得を得ようとするる人達とは対照的なお年寄りのその勤めの姿。
観音大杉もこんなおばあさんにしかパワーを与えないような気がした。
帰りは神社の急な階段を下りて戻ることにした。
手摺りにつかまらなかったら落っこちてしまいそうなくらい怖かった。
町で唯一のスーパーに寄って朝ご飯を調達した。
友和子はいつも飲んでいるアンパンマンのリンゴジュースを必死で探していた。
店を出たところでちょうど配達から帰ってきた店の人から声を掛けられた。
『温泉に行くなら割引券あるから言っておいで』と。
『ヨシマルヤストアー』
道の駅『遠山郷』から歩いてすぐ。
居ないと思うけどここで車中泊する人が居たら買い出しとか便利なので利用して下さい。
午前11時前
遅い朝ご飯を食べる。
さっきのスーパーで買った鶏の丸揚げはなかなか美味しかった。
昼を回ってようやく出発。
国道152号線で長野の諏訪湖を目指そうと北に車を走らせた。
走り出して5分も経たない頃、道ばたに『木造校舎がおもしろい』と書かれたチープさ満載の看板が見えた。
(写真が撮れなかったからGoogleマップのストリートビューの画像を拝借)
ちょっと寄ってみることにした。
看板から少し先の脇道を入っていくと古い校舎が見えた。
怒られそうですがチープさ満載の手作り看板がいっぱい。
続きはまた次回。
ではまた。