歩き旅 京都JR山崎駅から歩いて帰ってみた。西国街道を歩く その1 の続きになります。
JR山崎駅から4キロほど来た線路沿いの道。
住宅地から離れた線路沿いの道。
フェンスに絡まった茎にポツリポツリとかわいらしく咲く赤い花。
「レンズ」というアプリ。カメラで撮影すると勝手に検索してくれます。
「便利になったなあ」なんて話しながら散策。
公園を発見。
何かを読むとら母(嫁)。
空を見上げる娘。何を見ていたんだろうか・・・・。
街道沿いとあってか寺や神社があちこちにあります。
のどかな景色と不釣りな高い高架道は名神・新名神高速道へ通ずる高槻ジャンクションへの道。
「冒険してみよう」って話しながら少し高いところを歩いてみたりしました。
冒険とよべるものではありませんが女の子が一人で行けないところを一緒に歩いてみたり。
単調に歩くよりも楽しかったりするんじゃないかと、いろいろ考えながらお父さんは歩きました。
コンビニで少し休憩。
娘は駄菓子。私たちはあんまんに肉まん。うまし!!
西国街道は江戸時代に栄えた街道らしく、昔の人もこうやって茶店で一休みしたのかもしれません。
JR高槻駅前。
道を挟んで見えるのは高槻病院。
娘が生まれたとき気胸と分かり、運び込まれたのがこの病院でした。
生まれてくる娘を迎えに行くためにと、この日のために初めてトヨタのディーラーで新車で買ったプリウスα。
でも、娘が初めて乗った車は救急車でした。
当時の日記がコチラになります。
「おぎゃー」と勢い良く泣きすぎたからでしょうか。
クラスで一番大きな娘。生まれたときは大きめでしたが、それでも赤ん坊なのでちっちゃいかったです。
新生児集中治療室(NICU)での治療、そして退院し家に迎い入れた時のこと。寅次郎(犬)が元気だったこと。その時の日記を読むと思い出します。
私たちはなかなか子宝に恵まれませんでした。
不妊治療の病院もここ高槻でした。
とら母(嫁)が病院で診てもらっている間、私と寅次郎が時間をつぶした神社がこの坂を上ったところにありました。
寅次郎は吠えたことがありませんでした。いつも無口で私のそばにいてくれて、私を支えてくれました。
何もねだらない良い犬でした。
芥川商店街
地元の商店街は寂れてしまいましたが、ここの商店街はまだ少し活気がありました。
商店街を抜けるとまた古い街道っぽい雰囲気になりました。
時刻は4時半をまわり、日が傾き始めてきました。
JR山崎駅を出発しておおよそ10キロ。
駄菓子屋があったので入ってみました。
お店の中には何脚かイスが置いてあって子供たちがおしゃべりできるようになっていましたが、それもコロナの影響でできないとお店の人が嘆いていました。
国道171号線。
通称"イナイチ"。京都の東寺から神戸まで通ずる主要国道です。
公園を見つけて走っていく娘。
「公園って好き?」
そう聞くと「うん」と返ってきます。
でもやっぱり友達がいない公園は寂しそうに見えてしまいます。
国道171号線沿いにある明治の工場。
チョコっと見えている茶色の看板の裏側が電車から見える巨大板チョコの看板になります。
チョコの製造工程が見学できる「明治なるほどファクトリー大阪」。
ここもコロナで一般の見学は休止中みたいです。
JR山崎駅を出発しておおよそ13キロ。
時刻は5時半を回ってしまいました。
右手に見えるのは阪急電車。
すっかり日も暮れて少し疲労感が漂ってきました。
団地横の小さな公園に少し立ち寄ることにしました。
「富田町二丁目さざんか児童遊園」
阪急総持寺駅。
そろそろ打ち切って乗って帰ったほうがいいのなんて軟弱なことを考えたのは私だけだと思います。
娘は単調なのに少し飽きたくらいで元気。とら母は意外と普通。腰痛がこたえて一番イケてないのは私でした。
JR山崎駅を出発しておおよそ14キロ。
地元の駅まであと3駅。少し家に近づいた気がしました。
少し長くなったのでまた続きを書きます。
ではまた