温泉逍遥

思いつきで巡った各地の温泉(主に日帰り温泉)を写真と共に紹介します。取り上げるのは原則的に源泉掛け流しの温泉です。

台湾最後の現役サトウキビ列車 虎尾糖廠のトロッコ その1・概説

2016年04月14日 | 台湾
※今回記事から今月下旬まで、しばらくの間は温泉と無関係の内容が続きます。悪しからずご了承ください。

いまや台湾は世界屈指の経済力と先端技術を有する立派な先進国家となりましたが、かつては経済力が脆弱な小さい農業国であり、米や樟脳など、農作物やその加工品を輸出して外貨を得ていました。そんな主要農作物のひとつがサトウキビです。台湾の平地には果てしなくサトウキビ畑が広がり、畑の中を縫うようにしてトロッコの軌道が敷設されていました。そして、収穫されたサトウキビはトロッコで製糖工場へ運搬され、砂糖に加工されて海外へ輸出されていたのでした。
しかし台湾の経済成長と反比例する形で製糖産業は衰えてゆき、サトウキビ畑も減少。2002年のWTO加盟発効によって農産品の輸入関税が引き下げられると、製糖産業は大打撃を受け、台湾は砂糖輸出国から輸入国へと逆転し、これに伴って全土に網の目のように張り巡らされていたトロッコの線路も続々と廃止されていきました。

でも、転んでもタダで起きないのが台湾人の逞しいところ。廃止されたサトウキビ列車(トロッコ)のうち、いくつかの路線では観光用として第二の活路を見出し、週末になると家族連れなど多くのお客さんで賑わうようになりました。拙ブログではこうした観光用サトウキビ列車(トロッコ)のうち、観光転用の嚆矢となった台南市後壁区の烏樹林、同じく台南市の新営、そして高雄市の橋頭を取り上げましたが、特に烏樹林や新営ではトロッコに乗りながら眺める長閑な田園風景に心が和んだばかりか、機関車の入れ替えや信号扱いなど、鉄道としての本格的な作業光景を見ることもでき、非常に充実したトロッコ体験を楽しむことができました。しかしながら、いずれのトロッコも本来の仕事(つまりサトウキビの運搬)はしておらず、遊園地の「おサルの列車」みたいな存在であることは否定できません。定年退職者後にシルバー人材センターでレジャー産業の仕事を斡旋された好々爺の活躍を見るようでもあります。



そんな台湾にあって、現在でも畑で収穫されたサトウキビを製糖工場へ運搬しているサトウキビ列車(トロッコ)が、一路線だけ現役で運行されています。台湾最後、唯一の現役サトウキビ列車が走っているのは、台湾中部の雲林県虎尾という地域であり、その路線の名前は「馬公厝線」。虎尾市街の西側に広がっている畑で収穫されたサトウキビを、虎尾市街地のど真ん中にある台湾糖業公司の虎尾糖廠(製糖工場)へ運んでいるのです。
台湾の製糖産業はもはや斜陽どころか前世紀的産業であり、トロッコの設備自体も老朽化が著しく進んでいるため、唯一の現役トロッコであるこの馬公厝線も、毎年のように廃止の噂が立っているのですが、幸いにして2015~16年期も運行されましたので、2016年3月、トロッコが活躍している姿を自分の目で確かめるべく、現地へ行ってみることにしました。台湾の経済史を支えた生き証人と言っても過言ではないサトウキビ列車の勇姿を、とくとご覧あれ。



上地図はトロッコの線路(馬公厝線)を地図上に図示したものです。虎尾は日本統治時代に製糖産業で栄えた砂糖工場の城下町ですから、いまでも市街地の中心部では、台湾糖業公司の虎尾糖廠(製糖工場)が広大な敷地を擁しながら操業を続けています。上地図の右側にある緑色の楕円部分が、工場の大まかな位置です。この工場から伸びる黒い太線がトロッコの線路。途中で、現代台湾の象徴的な交通インフラである高鉄(台湾新幹線)の線路をくぐり、長閑な田園地帯を西へ西へと伸びています。線路(黒い太線)上に点在する9号~13号は、サトウキビの積み込み所。周辺の畑で刈り込んだサトウキビをこれら複数の拠点で貨車に積み込み、工場へと運搬しているわけです。

屁理屈が長くなりましたが、まずは台湾最後の現役サトウキビ列車である馬公厝線のトロッコが、実際にサトウキビを積載しながら、サトウキビ畑の中を走る姿をご覧ください。なお、風の強い日に撮影したため、風切り音が騒々しいのはご勘弁を。
(2016年3月9日撮影・4分03秒)



●ロケーションの概要
拙ブログでは今後数回に分けて、虎尾のトロッコがどのように走ってサトウキビを運んでいるか、細かく追ってまいります。それに先立ち、トロッコの線路がどのようなロケーションに敷かれているのか、今回記事で画像とともに簡単に説明させていただきます。

 
雲林県の主要都市のひとつである虎尾。虎尾鎮における2016年1月現在の人口は約7万人なんだそうですが、2015年12月には市街近郊に台湾高鉄(台湾新幹線)の雲林駅が開業しましたから、今後ますますの発展が期待されます。かつてこの地には小さな集落しかなかったのですが、日本統治時代に大日本製糖が砂糖工場を操業させて以来、この街は飛躍的に発展を遂げ、現在に至っても製糖工場が街の中央で操業を続けています。なお市街の中心部には「雲林故事館」(かつての台南州虎尾郡の官邸)など日本統治時代の木造建築が残っているほか、サトウキビ列車の路線網が充実していた時代に使われていた日本統治時代の鉄橋も、修復整備された上で遊歩道として転用されています(鉄橋は後日改めて紹介させていただきます)。



サトウキビ列車は通年運行ではなく、サトウキビの糖分が高くなる毎年冬季(12月から翌年3月)に収穫されるので、その期間だけ運転されます。トロッコ運行の季節になると、線路と生活道路がクロスする踏切には「製糖工場の列車が運行開始されましたよ。踏切では《停・看・聴》(一時停止して目視と聴覚による確認)をしてくださいね」と知らせる赤い幟が立ちます。


 
虎尾の街から10~20km西へ行くと、辺り一面、見渡す限りにサトウキビ畑が広がっています。私が訪れた日も、風が吹くたびに太くて長い葉が擦れあって、ザワザワと音を立てていました(上2枚の画像は2016年1月撮影)。


 
そんなサトウキビ畑の真ん中にトロッコの線路が敷かれており、数百メートル毎に設置された積込所で、トロッコの貨車にサトウキビを積載します。上2枚の画像は10号積込所の様子です(2016年1月撮影)。どのように積み込んでいるのか、その作業の様子は後日改めて紹介します。



10号積込所を出発したトロッコ。機関車の後ろに連結されている貨車には、サトウキビが満載されています。こうして複数の積込所で積載を終えたトロッコは、長大編成を組みながら、オレンジ色の小さい機関車に牽引されて工場へと向かいます。

 
果てしなく広がるサトウキビ畑や各種農作物の畑の中を、見るからに心細いヨレヨレの貧弱な線路が延びています。この線路の上を、サトウキビを満載したトロッコが走ってゆくのです。ヨレヨレの線路の上を、山積みの貨車が走るわけですから、走行中のトロッコは常に左右にガタガタと揺れており、線路沿いには揺れによって貨車からこぼれたサトウキビの破片がたくさん落ちていました。


 
上画像は、線路上に設けられている積込所のひとつである9号積込所。畜産関係施設(畜殖場)に隣接しており、初訪問でも見つけやすい場所です。


 
9号積込所から虎尾の街へ近づくこと3.5kmで、北の方からカーブを描きながら別の線路が合流し、複線状態になって小川をガーダー橋で渡ると…


 
かつて使われていた貨物駅跡を通過します。先ほど北側から合流してきた線路は、今は廃止されていますが、以前はここが分岐駅としての役割を果たしていたのでしょう。


 
その廃止された駅跡から数百メートル東側で台湾高鉄(台湾新幹線)の真下を潜るのですが、台湾の歴史的産業の代名詞でもあるサトウキビ列車と、現代台湾を代表する交通インフラである高鉄との邂逅は、実に好対照であり、印象的な光景でもあります。
またトロッコの線路は区間によって、路面電車みたいに線路と道路が一緒になっている併用軌道を走行します。併用軌道を走行するトロッコは、車との接触事故を未然に防ぐべく、警笛を大音量で鳴らしまくっていました。


 
やがてトロッコは虎尾の市街地へと入ってゆきます。生活の臭いが強く漂う下町風情の民家裏を通過するのですが、その光景は東南アジアの発展途上国のようであり、とても21世紀の台湾であるとは思えません。


 
虎尾の街中を横切り、いくつかの踏切で大きな通りとの交差を繰り返しながら・・・


 
 
トロッコは広大なヤードを擁する虎尾糖廠(製糖工場)の敷地内へと入って行くのでした。
トロッコで運ばれてきたサトウキビは搾汁後に煮詰められて、砂糖へと精製されるんですね。工場には数本の高い煙突がそびえ立っており、操業中には煙突の上から白い煙(湯気?)が立ち上っています。

虎尾のサトウキビ列車が走る風景をひと通りザックリと紹介したところで、次回記事では、まずトロッコの貨車が工場のヤードを出発して積み込み所へと送り込まれる、朝の回送列車の様子を取り上げます。

次回に続く
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする