温泉逍遥

思いつきで巡った各地の温泉(主に日帰り温泉)を写真と共に紹介します。取り上げるのは原則的に源泉掛け流しの温泉です。

日高本線の完全復旧を願って。バスと列車で襟裳岬をまわる 2014年夏 前編

2015年06月19日 | 北海道
※今回記事に温泉は登場しません。あしからず。

帯広から本州方向へ帰る場合、最も単純なルートは帯広空港から飛行機に乗っちゃうこと。その次の候補としては、JRか高速バスで新千歳まで行き、そこから頻発している飛行機に乗ること。ほとんどの方はこのいずれかを選択なさるだろう。でもガキの頃から大きくヘソの曲がった私は、そんな単純なルートじゃ満足しない。そこで、北海道らしい「最果て感」が味わえそうな、以下のルートを計画してみた(この時刻は平日・土休日共通です)。



・1日目
帯広7:15→【十勝バス】→9:37広尾10:00→【JR北海道バス】→10:57襟裳岬(観光・昼食)13:27→【JR北海道バス】→14:20様似14:34→【JR日高本線】(※)→17:53苫小牧(銭湯・夕食)苫小牧港21:15→【川崎近海汽船「シルバープリンセス」】

・2日目
(船中泊)→4:45八戸港(タクシー移動)本八戸5:43→【JR八戸線】→5:49陸奥湊(朝市で朝食)7:28→【JR八戸線】→9:02久慈10:35→【三陸鉄道】→11:30島越(北山崎断崖クルーズ・12:15発)13:58→【三陸鉄道】→14:11普代(昼食)14:50→【三陸鉄道】→15:47宮古15:53→(JR山田線)→18:08盛岡19:50→【新幹線「はやぶさ36号」】→22:04東京

つまり帯広からバスで襟裳岬をめぐり、さらにバスで様似まで行ってそこから日高本線に乗り換え、終点の苫小牧からフェリーで本州の青森県八戸へ渡り、八戸からは三陸海岸を南下しながら盛岡まで出よう(盛岡からは新幹線)という計画である。意外と複雑な乗り継ぎなのだが、フェリー移動中に夜が越せるので、途中でいろんな観光地に立ち寄っても、2日間で東京へ戻って来られる。どんな旅になるのか、海づくしのルート、いざスタート。

(※)現在日高本線は、2015年1月に発生した高波による土砂流出により、鵡川~様似間が不通となっており、復旧の見通しは立っていません。この時の旅は温泉とほとんど関係していなかったので、当初拙ブログに載せるつもりはありませんでした。しかしながら、旅の数ヶ月後に日高本線が災害に見舞われて不通となり、費用の問題で復旧の見通しが立たなくなるとは、実際に列車に揺られて旅をしていた時には想像だにしませんでした。そこで歴史ある日高本線の完全復旧を祈願すべく、観光客を乗せて元気に走っていた昨年夏の列車の様子を記録しながら、取り留めもない旅行記を書き綴ることに致しました。



【7:15 帯広駅・出発】
昨晩「ふく井ホテル」に泊まった理由は、お湯の良さはもちろんのこと、目の前にバスターミナルがあり、移動時間を気にせずに済むという利便性も大きい。6:30の朝食開始時間にホテルのレストランで洋定食をいただき、食後は部屋に戻らずそのままフロントへ下りてチェックアウト。バスターミナルの窓口で乗車券を購入し、7:15発広尾行の十勝バスに乗車。
帯広~広尾間のバスは1日14往復運行されているのだが、広尾から先のバスは平日3往復、土休日2往復しか無く、襟裳岬で途中下車して観光するなら、この7:15発が実質的には唯一の便となる。乗り過ごすことはできない。


 
窓口で購入した広尾まで1880円きっぷは硬券で発券された。行き先は印刷されているが、なぜか金額欄だけブランクで、後からスタンプが捺されている。これは同年4月の消費税増税に伴う金額変更に対応するためなのか?

今回私が辿る帯広~広尾~襟裳岬~様似というルートは、公共交通機関で日高と十勝を直結する唯一の方法であり、また途中で襟裳岬を経由するため、北海道を旅する者にもよく好まれる。そんな事情もあってか、平成26年7月から11月の限定で、十勝バスとJR北海道バスは共同で「とんがりロード散策きっぷ」なるものを試験販売しており、これを購入すれば私が辿った乗り継ぎで通常運賃より500円程も安くなる。しかし、そのチケットの存在を知らなかった私は割引の無いノーマルの運賃で乗車してしまい、車内の広告を見て愕然とした。なおこのチケットは2015年も試験販売が実施される。

終点まで2時間20分の長時間乗車だが、車両は都市内の短中距離区間で使われるような日野ブルーリボンⅡのノンステップで、あまり旅情は感じられない。早朝で且つ都市から閑散部へ向かう下り線だからか、車内には私の他、いかにも男の一人旅といった風情のおじさん2人乗っているばかり。地味な服装を纏い、耳の後ろから加齢臭と中高年の哀愁を漂わせていた。底抜けに明るい南国のビーチリゾートとは対照的に、開拓者達の悲喜こもごもが滲みこんでいる北海道の短い夏には、メランコリックな旅人がよく似合う。


 
帯広~広尾のバスは、1987年に廃止された旧国鉄広尾線の代替路線。途中でかの有名な幸福駅を通過したようだが、夜型人間の私とって早朝の行動はつらいものがあり、バス車内では寝ている時間が長かったため、そのことには全く気づかなかった。こんざザマだから、人生の幸福には未だに巡りあえていないのだ。目が覚めた時にはちょうど中札内の「道の駅」を通り過ぎているところだった。


 
雲ひとつ無い真蒼な夏空の下、広大な大地が果てしなく広がる。短く刈り込まれた牧草地の上に転がる牧草ロールは、いかにも北海道らしい風景。
終点の広尾へと南下してゆくにつれ、右側の車窓には日高山脈の稜線が近づき、平原の奥行きも徐々に狭まってくる。


 
【9:37 広尾駅着】
定刻に広尾へ着いた。昭和の公共施設らしいファサードをした旧広尾駅舎は、現在もバスターミナルとして活用されている。駅前ロータリーには十勝バスとJR北海道バスのポールが1本ずつ立ち並んでいた。


 
駅舎内には出札窓口やステンレス製改札柵もあるので、往時の様子が思い起こされ、いまにも列車がやって来そうな雰囲気なのだが、本来ならば改札側(ホーム側)に配置されるべき出札窓口が出入口側(道路側)にあることから、おそらくバスターミナルとして転用される際に改装されたのだろうと想像される。それにしてもステンレス製の改札柵は懐かしい。かつて国電の駅ではどこでも見られたものだ。なお現在この改札柵は使われること無く、バスもこの反対側のロータリーから発車しているので、かつての面影を残すオブジェとして保存されているに過ぎず、改札を通り抜けた先には駐車場があるばかり。
出札窓口では十勝バスの乗車券類が販売されているが、これから私が乗りたいJRバスに関しては取り扱っていないらしく、運賃は車内で精算してほしいとのこと。


 
駅右手の駅構内跡地にはパークゴルフ場が広がり、C11蒸気機関車の動輪や腕木式信号機なども保存展示されている。バスを待つ時間潰しには丁度良い展示量だ。


 
 
駅舎の約半分は「広尾町鉄道記念館」として、旧広尾線で使われていた鉄道用品や写真パネル・模型等がたくさん展示されている。


 
【10:00 広尾駅発】
23分間の待ち合わせの後、10:00発の様似営業所行JRバスに乗車。車体はいすゞのキュービックだから、少なくとも14~5年以上は走っているご老体だ。乗客は帯広から乗り継いできたおじさん2人と私しかおらず、大きな車体を持て余していた。


 
街を出てすぐにバスは海岸線に出た。緑の大地が果てしなく広がっていた十勝バスの乗車区間(旧広尾線)とは打って変わって、広尾から先の車窓は日高山脈の突端が絶壁となってストンと太平洋へ落ちる断崖の直下を走る。まだ広尾町は十勝であるが、海に地域区分は関係なく、この辺りでも日高昆布が採れる。昆布の漁期は7月から9月のお彼岸頃までなので、私が訪れた8月はまさに最盛期。車窓に広がる砂浜では昆布がたくさん干されていた。絶好の天日干し日和なのだろう。
また川が海へ注ぎ込む河口のまわりでは、釣り糸を垂らす人が多く見られたので、窓を開けて川面をよく見たところ、水中に黒い影がたくさん泳いでいるのがわかった。シャケの遡上が始まる時季でもあったのだ。


 
バスが国道336号線から道道34号線へ入る辺りで、広尾から連続していた海蝕崖がおわり、海岸線からフラットに続く広大な草っ原が広がり始めた。どうやら日高山脈もここに及んで遂に果て、あとは襟裳岬へ向かって海に沈むほか無いようである。かの有名な歌のように、この地には本当に何もない。ただ草原ばかりで、樹木すら生えていない。この日は晴天だったから青と緑のコントラストが美しかったが、ちょっとでも曇って翳ると、それこそ陰鬱で荒涼とした景色にしか見えないような気がする。潮風が強くて農作物はおろか樹木でさえも育たないのだろうなぁ…


 
【10:57 襟裳岬】
約1時間の乗車で襟裳岬に到着。ここでバスを途中下車し、岬の突端を見学しに行く。なおこのバスで下車したのは私一人だけ。


 
道路に面した駐車場では数軒の土産物店兼食堂が営業しており、店先ではおじちゃんがダミ声をあげながら、車でやってくる客を懸命に呼び込んでいた。ここには他に店がないので、腹が減ったら否応なくこの数軒のいずれかでお世話にならなければならないのだが、まだ昼食の時間には早いので、先に岬を散策することに。


 
灯台、そして襟裳岬の標識。襟裳岬は風が強い場所としても知られており、風速10m以上の風の吹く日が年間290日以上もあるんだそうだが、この日は実に麗らかで、穏やかなそよ風が頬を撫でる程度。余程の例外に遭遇したのかもしれない。幸運なのだろうけど、こんなところで運を浪費しちゃうのは勿体無い気もする。
襟裳岬の旅行記を読んでいると、展望台から肉眼でアザラシが見えたというような嬉しそうな記述が多く見られたので、私も是非この目でその姿を確認してみたいと、1ミリでも海に近づくべく、手摺にもたれかかるようにして懸命に刮目したのだが、目下の断崖の波打ち際にも、沖合の岩礁にも、それらしい物陰は見つけられない。天気で既に運を使い果たしたのかもしれない。


 
展望台から右の方を眺めると、様似や浦河方面へと続く海岸線が真っ直ぐ伸びていた。この岬を見学し終わった後は、再びバスに乗り、更には列車に乗り継いで、この海岸線に沿ってひたすら西北へ目指すのだ。岩場の間ではハマナスが実をつけていた。


 
尾根上の歩道を歩いていくと、岬の突端に辿りつけた。日本人なら誰でも北海道の形を思い浮かべることができるかと思うが、四方へ尖っているあの特徴的な形状の先っちょの、更に先っちょがこの突端である。


 
突端から更に下って、波打ち際まで下りてみた。展望台からこの波打ち際までかなりの高低差があるので、ここまでやってくる観光客は少ないようだ。上から肉眼で見えなかったアザラシも、ここまで来ればきっと見えるだろうと、ほのかな期待を抱いていたのだが、世の中そんなに甘くはなく、砂浜には昆布の切れ端が打ち上がっているばかりであった。でも海水は非常にクリアであり、見ているだけでも心が浄化されるから、それだけでも十分にここまで下りてきた価値はあった。

後編につづく




コメント (4)
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