温泉逍遥

思いつきで巡った各地の温泉(主に日帰り温泉)を写真と共に紹介します。取り上げるのは原則的に源泉掛け流しの温泉です。

日高本線の完全復旧を願って。バスと列車で襟裳岬をまわる 2014年夏 後編

2015年06月20日 | 北海道
前編の続きです。

 
波打ち際からひたすら階段を登って展望台がある段丘へと戻る。冷涼な場所とはいえ、かなりの高低差を登ったために全身汗だく。腹も減ってきたので、駐車場前で3軒ほど並ぶ土産物店兼食堂のうち、ダミ声を唸らせて辺りの静寂を打ち破っているおじさんの店を避け、最も海側のお店(店名失念)に入って、ウニ丼とえりもラーメンを注文した。商売ッ気が無くて無愛想なのだが、荒涼とした風土にお似合いな感じがして、何となく気に入った。この店のえりもラーメンとは、あっさりとした塩味のスープに海藻とつぶ貝を載せたもので、けだしご当地名産の海産物をイメージしていることは想像に難くないが、かと言ってご当地の産品であるかどうかはわからない。ウニはいわずもがな。味に関してはいずれも可もなく不可もなしといったところ。こうした場所での食事は、その場の雰囲気や旅情を調味料にすべきなのかもしれず、まっとうに味覚を良し悪しを論じてしまうのは寧ろ野暮なのだろう。


 
食事を済ませてもまだバスの時間まで余裕があったので、観光施設「風の館」を見学することに。いつも風が強いことで知られる襟裳岬だが、館内の掲示によればこの時は毎秒3mと比較的穏やかであり、ほとんど微風の状態であった。


 
館内の一角では、望遠カメラでとらえた沖合の岩礁の状況がライブ中継されており、先程自分の肉眼では見えなかったゼニガタアザラシの群れが、この画像でははっきりとが映し出されていた。レンズを通じてやっと確認できるのであるから、肉眼で見えなかったのは無理もない。


 
画面ではなく、自分の目で直接見てみたい。見晴らしの良い展望室には双眼鏡が設けられており、これを覗いてみたら、うひゃ~! いたいた! 岩礁の上で犇めき合っているではないか。これは決してヒルではない。ゼニガタアザラシである。掲示によれば134頭もいるらしい。この様子が見られただけで十分満足。



【13:27 襟裳岬・出発】
襟裳岬観光を終えて、13:27発のJR北海道バス・様似営業所行に乗車。ガラガラだった朝の便と異なり、まっ昼間のバスには私を含めて10人ほどの客が乗り込んだ。帯広から様似へスルーするのではなく、道央からJRに乗り、様似からバスへ乗り継いで襟裳岬へ単純往復する利用形態の方が多いということなのかもしれない。


 
絶好の日和ゆえ、海岸線を埋め尽くすかのように、砂浜のあちこちで昆布が天日干しされていた。どれだけ機械化が進んだ世の中でも、お天道様の光には敵わないのだろう。わざとらしい観光施設も何だかんだで有り難いのだが、やっぱりこうした光景の方がはるかに旅の記憶に残る。
ガラス窓越しの麗らかな陽気、そしてバスの揺れが心地いい眠気を誘い、キラキラ光る海原を眺めながらうつらうつら。バスの中で舟を漕ぐとは、これ如何に。


 
【14:20 様似駅・着】
襟裳岬から1時間弱でバスは様似駅へ到着。田舎らしい気取らない木造駅舎は、最果てのどん詰まりという場所に相応しい。ここから先は「青春18きっぷ」のお世話になる。



 
出札窓口では2種類の硬券入場券の他、記念として、お隣の駅までの乗車券を補充券で発券してもらった。入場券はB型のノーマルな様式と、D型観光記念入場券があり、後者には「えりも岬」と「アポイ岳」の2種類が用意されているのだが、ここでは先程自分が巡ってきた「えりも岬」を購入した。


 
苫小牧から146.5km続いてきた線路はここで尽きる。かつては転車台や工場への引き込み線もあったようだが、現在ではホーム1面と2本の線路があるばかり。終端側にはポイントなど機回しをする設備がないようだ。


 
【14:34 様似駅・発車】
さすがJRの親会社(鉄道)と100%子会社(バス)という乗り継ぎゆえ、接続時間は14分間であり、写真を撮ってトイレを済ませてから乗り込むにはちょうど良い間合いである。14:34発の2236D列車はキハ40の単行。絶好の行楽日和だからか、意外にも車内には多くの乗客がおり、既に各ボックス席は先客が占拠していたので、仕方なく隅っこのロングシートに腰を下ろした。列車は定刻に発車。


 
キラキラ眩しい海岸線に沿って列車は北西を目指す。列車の車窓でも昆布を干す風景が延々と続いた。これだけ海と線路が接近していると、塩害や高潮対策など保線には相当の苦労を要するに違いない(車窓を眺めながらそんなことをボンヤリ考えたのだが、まさかその心配が、数カ月後に現実化し、この路線の運命を左右するような災害に見舞われるとは…)。


 
座ったままでは退屈なので、最後部にへばりついて、後方へ去りゆく景色を眺めてみた。カーブの向こうに茫洋たる太平洋が静かに広がり、線路の両サイドに建ち並ぶトタン葺きの民家の間で、昆布が天日干しされている。そして苫小牧に向かって走り去る列車を、撮り鉄のアンチャンや地元の住民が眺めている。平成26年ではなく、昭和40年代の写真だと嘘をついても信じてもらえそうな光景だ。


 
 
線路は海岸線と接近したり離れたりを繰り返す。沿線はサラブレッドの名産地でもあり、青々とした広い牧場では、将来の駿馬たちが、鹿毛や栗毛の美しい毛並みを輝かせていた。まだ競走馬になる前段階だから若い馬ばかりであり、まだ幼い当歳馬も数頭いた。上画像は絵笛駅のすぐ後ろに広がる牧場。絵笛だなんてお伽話の世界みたいな駅名だ。



15:17に本桐駅で下り2231Dと列車交換。


 
【15:57/16:10 静内駅】
静内駅でも列車交換(対向の下り列車は2233D)。ここでは停車時間が13分あるので、ちょっと車外へ出て、表の空気を深呼吸し、駅の売店でドリンクを買って喉を潤した。この静内は日高本線を代表する駅のひとつであり、新ひだか町の中心地でもある。この列車においても乗客の3~4割が入れ替わったのだが、その際に運良くボックス席が空いたので、すかさずその席を確保した。


 
16:49に日高門別駅でも列車交換(対向の下り列車は2235D)。朝7:15に帯広を出てから、まもなく10時間が経とうとしている。気づけば太陽が太平洋の海原に接近し始めていた。広大な北海道では、移動するだけで一日が終わってしまう。


 
【17:53 苫小牧着】
途中の鵡川からは通路に溢れんばかりの客を乗せ、定刻17:53に苫小牧へ到着。列車が停車するやいなや、折り返しの運用に備えて、増結作業が開始された。

これで3時間20分の長時間乗車も無事終了。風光明媚な車窓が続く日高本線を一気に乗りつぶした。
近年各地で運転されるようになったJR八戸線の"TOHOKU EMOTION"や肥薩おれんじ鉄道の「おれんじ食堂」のように、北海道らしい素晴らしい車窓と地場産の味覚を活かした観光列車をこの路線に走らせたら、きっと人気が出るのではないかと、車窓に広がる太平洋を眺めながら素人臭い夢想をボンヤリと抱いたのだが、まさか自分が乗った数ヶ月後の2015年1月8日、厚賀~大狩部間で高潮による土砂流出が発生し、復旧の見込みが立てないほどの深刻な事態に悪化して、日高本線が大部分が不通になってしまうとは想像だにしなかった。上述したように、昆布干しの砂浜が延々と続く車窓を眺めながら、これだけ線路と海が近いと塩害や高潮被害も相当ひどいんだろうなぁと、他人事ながらボンヤリ想像したのだが、その予感がまさか現実の災害となってしまうとは…。

2015年1月以降、日高本線は災害とは無関係だった苫小牧~鵡川間のみで運転されており、鵡川以東は代行バスに乗り換えることとなる。本年6月1日に代行バスのダイヤが改正されたのだが、所要時間が大幅に増えており、例えば私がこの旅で乗り継いだ様似14:34発の列車代行バスに乗車すると、苫小牧到着が20:28と、列車の頃より約2時間半も遅くなってしまうのだ。従来通りのルートを辿ることは可能だが、接続が非常に悪くなる(2015年6月1日以降の列車と代行バスの時刻については、JR北海道HP内のPDFをご参照あれ)。

JR北海道の発表によれば、完全復旧に必要な費用は計57億円で、工期については「長期間」との表現にとどまっており、具体的な期間は明示されていない。一方で、完全ではなく、必要最低限の工事に抑えて、復旧後は現場を徐行させる形で開通させる場合、計26億円で工期は約30ヶ月とのこと(委細はJR北海道HP内のプレスリリース「日高線における災害対策の概算工事費と必要工期について」(PDF)を参照のこと)。
各種データを調べても、現在でも運行が続けられている苫小牧~鵡川間以外は利用客が非常に少なく、並走する国道で代替バスを走らせても十分に補えるほどの輸送量しかない。相次ぐ不祥事と事故のため、元々脆弱だった経営基盤がすっかり左前になってしまったJR北海道が、たとえ必要最低限の工事であっても、自力でそれだけの費用を捻出できるはずがない。かと言って北海道や沿線自治体も、言わずもがな財政難であるから、行政からの支援も期待できない。
津々浦々、車窓が素晴らしい鉄道路線は、えてして地形や自然環境が厳しい過疎地を走っているわけで、雀の涙ほどの輸送人員(収入)と莫大な保線費用という問題を抱えており、収支面だけで考えればとっくに廃止されてもおかしくないような路線が多い。しかも近年は地震や「数十年に一度」の異常気象に襲われることもしばしばだから、いつ線路が崩れても不自然ではなく、毎日が綱渡りの状況と言っても過言ではない。今後はますます過疎化が進み、人的にも財政的にもリソースが限定されてゆくから、生活に必須な交通を守るべく、鉄道を諦めて道路の維持に絞るという選択肢も、残念ながら視野に入れなければならないのだろう。全線復旧を祈念しながらこの旅行記を書き綴ってゆくうち、こんな結論を自分から出してしまい、祈念したいのか冷ややかな態度をとりたいのか、スタンスがすっかりブレてしまったたので、収拾がつかなくなる前にこれにて駄文を終えることにする。日高本線が果たして全線復旧するのか、ほのかな期待を抱きながら、今後注目していきたい。


旅行記は次回に続く…



コメント (2)
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