1月19日(金)晴れ
Nは憂鬱だった。
Nには中国人の友人がいた。
ひょんなことで知り合いになった5歳ほど年下の王さんは、内向的なNと違い、世界をまたにかけた生き方をしている女性だった。
Nの何が気に入ったのか、Nにもわからぬまま、王さんはNを親友と呼び懐いた。
国民性の違い、はたまたお互いの生来の性質の違いなどから、Nはしばしば違和感を感じることがあった。
だから、Nは、王さんが自分を想ってくれるほどには王さんのことは想えないという後ろめたさのようなものを感じていた。
シンガポールから日本へやってきた王さんは、5年過ごしたのちアメリカへ引っ越して行った。
Nはとある学習塾で働いている。
場所柄、外国人のお子様が多く通ってきており、日本語が話せないママもいて対応に苦慮している。
帰国子女のiセンセが一手に引き受け対応してくれている。
花火大会の夜。
ベランダに椅子を出し、猫と二人で花火を鑑賞し、写真撮ったりしていたNは、それをパソコンに取り込んだりしながら
何気にのぞいたFacebookに、たった今、自分が見ていた花火大会の写真がアップされているのをみて驚く。
Nが撮った写真と角度といい花火の大きさといいほとんど同じなのである。
よく見ると、同じマンションのiセンセが、王さんにメッセージと共に送った写真だった。
え?え?え?二人は知り合いなの???
翌日iセンセに尋ねると「王さん?ああ!シャルロットのことね。」
これまたひょんな事で知り合ったらしい王さんとiセンセ、会話は英語らしい。
そして、王さんをクリスチャンネームでシャルロットと呼ぶらしい。
言語的にも宗教的にもNにはない世界だ。
このiセンセ、ご主人の転勤でアメリカに引っ越された。
そして、昨年の暮れに、久しぶりにラインが届く。
「明後日、シャルロットのお家に遊びに行くの。もし時間合えばスカイプするね〜」
年末、忙しかったこともあり、時差という概念もあり、どこかで少しめんどくさい気持ちもあり、やんわり断ったつもりだった。
「その日は郷里の友人が上京してきたり、何かとバタバタしてそうです。王さんによろしくお伝えくださいね。」
これは日本人的には立派にお断りの文章と取ってもらえるだろう。
しかし、大陸的思考の王さんと、帰国子女iセンセには通じなかった。
朝の八時に、ハイテンションな電話をもらい、出かける準備に取り掛かる前だったすっぴん顔にボサボサ頭でスカイプをする羽目になったのであった。
だが、このことがNを憂鬱にさせているのではない。
これは自分のせいだから。
朝起きたらすぐ顔を洗って化粧をして、お部屋だって綺麗にお掃除していれば何もためらうことはなかったはずだ。
もっと言おう。
時差の計算も軽くやっておけば、これほど慌てることもなかったはずだ。
問題はその後だ。
その翌日、iセンセからラインが届く。
「シャルロットから、Nさんにお土産を預かりました。
美々に持たせます。美々は1月5日に帰国します。」
美々ちゃんとは、iセンセのお嬢さんで日本の大学に通っているので一人日本に残しているのだ。
おみやげってなに!?
またここでNの心はざわつき始める。
iセンセが日本に帰るというならまだわかる。
いや、それでもNなら「荷物になって迷惑だろう」と考えるからやらない。
どうしても渡したいものなら直接送る。
Nとiセンセが家族ぐるみのお付き合いをしているというなら、「じゃあ美々ちゃんお願いね、Nおばちゃんに渡して!」と頼むも良しとしよう。
しかし、Nは美々ちゃんの顔すらよくわからないのだ。
それなのにおつかいを頼まれた美々ちゃんの気持ちを考えると申し訳なさでいっぱいになる。
そして、今度は、美々ちゃんがお土産を持ってきてくれた時のシチュエーションを考え始める。
大学生の女子に、何かお礼をと思っても浮かばない。
一人暮らしなら何か食べるものをとも思ったが、知らないおばちゃんの手作り料理もきみわるいだろう。
ここは、時節柄『お年玉』ってことで乗り切ろう。
大学生かぁ〜ポチ袋に5千円札を入れる。
お正月気分もだいぶ薄れた10日の夜、帰宅したNの娘が「玄関においてあったよ!」
みると美々ちゃんとやらが届けてくれたらしい王さんからのプレゼントだ。
ピンクのポーチの中にエスティローダーの化粧水。
スカイプですっぴんのNをみて哀れんでのことか?と自虐の苦笑いを浮かべるN。
お礼のラインを、王さん、iセンセ双方に送っておく。
用意していたお年玉は、渡さないでおこう。
もうこれ以上、めんどくさいことをいろいろ考えたくない。もうこれで終わり!
自分の中の八方美人が巻き起こしていることを自覚し、そっと人間関係の糸をほどく。
Nは憂鬱だった。
Nには中国人の友人がいた。
ひょんなことで知り合いになった5歳ほど年下の王さんは、内向的なNと違い、世界をまたにかけた生き方をしている女性だった。
Nの何が気に入ったのか、Nにもわからぬまま、王さんはNを親友と呼び懐いた。
国民性の違い、はたまたお互いの生来の性質の違いなどから、Nはしばしば違和感を感じることがあった。
だから、Nは、王さんが自分を想ってくれるほどには王さんのことは想えないという後ろめたさのようなものを感じていた。
シンガポールから日本へやってきた王さんは、5年過ごしたのちアメリカへ引っ越して行った。
Nはとある学習塾で働いている。
場所柄、外国人のお子様が多く通ってきており、日本語が話せないママもいて対応に苦慮している。
帰国子女のiセンセが一手に引き受け対応してくれている。
花火大会の夜。
ベランダに椅子を出し、猫と二人で花火を鑑賞し、写真撮ったりしていたNは、それをパソコンに取り込んだりしながら
何気にのぞいたFacebookに、たった今、自分が見ていた花火大会の写真がアップされているのをみて驚く。
Nが撮った写真と角度といい花火の大きさといいほとんど同じなのである。
よく見ると、同じマンションのiセンセが、王さんにメッセージと共に送った写真だった。
え?え?え?二人は知り合いなの???
翌日iセンセに尋ねると「王さん?ああ!シャルロットのことね。」
これまたひょんな事で知り合ったらしい王さんとiセンセ、会話は英語らしい。
そして、王さんをクリスチャンネームでシャルロットと呼ぶらしい。
言語的にも宗教的にもNにはない世界だ。
このiセンセ、ご主人の転勤でアメリカに引っ越された。
そして、昨年の暮れに、久しぶりにラインが届く。
「明後日、シャルロットのお家に遊びに行くの。もし時間合えばスカイプするね〜」
年末、忙しかったこともあり、時差という概念もあり、どこかで少しめんどくさい気持ちもあり、やんわり断ったつもりだった。
「その日は郷里の友人が上京してきたり、何かとバタバタしてそうです。王さんによろしくお伝えくださいね。」
これは日本人的には立派にお断りの文章と取ってもらえるだろう。
しかし、大陸的思考の王さんと、帰国子女iセンセには通じなかった。
朝の八時に、ハイテンションな電話をもらい、出かける準備に取り掛かる前だったすっぴん顔にボサボサ頭でスカイプをする羽目になったのであった。
だが、このことがNを憂鬱にさせているのではない。
これは自分のせいだから。
朝起きたらすぐ顔を洗って化粧をして、お部屋だって綺麗にお掃除していれば何もためらうことはなかったはずだ。
もっと言おう。
時差の計算も軽くやっておけば、これほど慌てることもなかったはずだ。
問題はその後だ。
その翌日、iセンセからラインが届く。
「シャルロットから、Nさんにお土産を預かりました。
美々に持たせます。美々は1月5日に帰国します。」
美々ちゃんとは、iセンセのお嬢さんで日本の大学に通っているので一人日本に残しているのだ。
おみやげってなに!?
またここでNの心はざわつき始める。
iセンセが日本に帰るというならまだわかる。
いや、それでもNなら「荷物になって迷惑だろう」と考えるからやらない。
どうしても渡したいものなら直接送る。
Nとiセンセが家族ぐるみのお付き合いをしているというなら、「じゃあ美々ちゃんお願いね、Nおばちゃんに渡して!」と頼むも良しとしよう。
しかし、Nは美々ちゃんの顔すらよくわからないのだ。
それなのにおつかいを頼まれた美々ちゃんの気持ちを考えると申し訳なさでいっぱいになる。
そして、今度は、美々ちゃんがお土産を持ってきてくれた時のシチュエーションを考え始める。
大学生の女子に、何かお礼をと思っても浮かばない。
一人暮らしなら何か食べるものをとも思ったが、知らないおばちゃんの手作り料理もきみわるいだろう。
ここは、時節柄『お年玉』ってことで乗り切ろう。
大学生かぁ〜ポチ袋に5千円札を入れる。
お正月気分もだいぶ薄れた10日の夜、帰宅したNの娘が「玄関においてあったよ!」
みると美々ちゃんとやらが届けてくれたらしい王さんからのプレゼントだ。
ピンクのポーチの中にエスティローダーの化粧水。
スカイプですっぴんのNをみて哀れんでのことか?と自虐の苦笑いを浮かべるN。
お礼のラインを、王さん、iセンセ双方に送っておく。
用意していたお年玉は、渡さないでおこう。
もうこれ以上、めんどくさいことをいろいろ考えたくない。もうこれで終わり!
自分の中の八方美人が巻き起こしていることを自覚し、そっと人間関係の糸をほどく。