パパと呼ばないで

再婚した時、パパと呼ばないでくれと懇願した夫(←おとうさんと呼んで欲しい)を、娘(27)「おやじ」と呼ぶ。良かったのか?

ファミリーヒストリー

2021年03月20日 | Weblog
3月20日(土)雨

今日は父の四十九日法要だった。
お通夜お葬式でバタバタしたこともあり、今回は事前に父の弟妹達に声をかける。
コロナ禍ゆえ最小限の人数ということで、父の弟三人と妹一人に老母と兄とワタクシ達夫婦の八人。
お寺での法要の後、納骨の儀も済ませてから、近くのレストランで食事をした。

四国に住むおぢからはお花と冊子が届く。
この冊子がまさにファミリーヒストリーだった。
ワタクシが一番衝撃を受けたのが・・・

ワタクシの祖母(4、5歳らしい)の写真だというのだ。
初めて見た。
信じられない。
いや、NHKのファミリーヒストリーで、昔の写真なんかが出てくるのはわかるのだ。
さすが芸能人のおうちよね〜カメラがあったり、写真館で撮ったりする習慣が、こんな時代にあるなんてね〜
もっといいましょう。「それにしても、人んちのヒストリーなんて全く興味ないけど、みんなこの番組好きよね〜」と思ってました。
よって、今日の日記は全くもってその通りに「nさんちのヒストリー聞かされてもね〜」なんですけど、自分的にものすごく衝撃だったので続けます。
時代的には、カメラが無かった訳でもないのは知ってます。
しかし、我が父の実家は鹿児島県でもさらに山奥で、今なら「ポツンと一軒家」の取材が来てもおかしくないくらいのところで、
貧乏自慢の話なら聞き飽きるほど聞かされてきた。
それなのに・・・
亡父の母が生まれた時に写真館で撮った写真


亡父の母と、その弟を抱くおばあちゃん(いやもう、誰を基準にした呼称にすればいいのかわからん)


そういう写真があるという衝撃。
少し気持ちが落ち着いてくると、今度は、自分のばあちゃんに4歳の頃があったという当たり前のことに衝撃を受ける。
だって、ばあちゃんはワタクシが物心ついた頃にはもうばあちゃんだったから。
面影がないわけではないが、このワタクシの豊かな想像力をもってしても、この意志の強そうな女の子がばあちゃんだとは信じがたくただただ衝撃的だった。
そして、その衝撃が収まらず、我が娘にラインでこの衝撃写真を送る。

娘「ひいおばあちゃんにもおばあちゃんにも今の自分と同じ27歳の時があったんだよなあ、と当たり前のことなのに感動するね。脈々と続いてきているなかで、自分はそのほんの一部でしかないんだなと思うし、だからこそ、つなぐことに意味があるんだろうなと思うね。普段はかなりミクロな視点で見がちだけれど。」

我が娘ながらほれぼれする。
しかし、母はそれに対する同じような素敵な見解を述べられず、なんだかミクロなことを返信しながら頭の中では壮大に人類のことを考えるのだ、いや、ホントに。

冊子の後半になると、見たことのあるような顔や、写真が増えてきて・・・

父の、八人兄弟の男衆五人の写真。
いつの時代も、男子ってこういう構図が好きなのね。
EXILEもチューチュートレインも知らないくせに。
コメント (4)
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