パパと呼ばないで

再婚した時、パパと呼ばないでくれと懇願した夫(←おとうさんと呼んで欲しい)を、娘(27)「おやじ」と呼ぶ。良かったのか?

三つ子の魂百まで

2023年11月10日 | Weblog
11月10日(金)雨のち曇り

一週間前のことだ。
我が老母が、親戚のおばちゃんちに泊まりがけで遊びに行きたいというので、従姉Kemiちゃんを誘って一緒に送って行く。
車で1時間ちょっとの町だ。
そして翌日、今度は夫と一緒に迎えに行く。
お茶飲んで行ってと言われるのでお邪魔する。

ここで少しおばちゃんの話を。
母とは遠い親戚関係らしいが、歳が近かった事もあり姉妹のように育ったらしい。
違うのは、我が老母は六人兄弟で貧乏だったが、おばちゃんは一人娘で裕福だった点。
母が小学生の時は、まだ未就学児だったおばちゃんを学校に連れて行った事もあるとかで、「トトロ」のサツキとメイみたいだ。
お互いが結婚して子供が生まれてからも付き合いは続き、ワタクシの小さい頃はそこの姉妹ともよく遊んだ。
子供達も成人して独立した頃、老母からおばちゃんが散財し過ぎて大変な状態だったと聞く。
自宅を売り、何とか借金は返したらしいが、我が老母も何十万か貸していた。
老母は「人にお金を貸す時は、あげるつもりで貸しなさい」が信条。
よって、おばちゃんにもそう言って、返済は求めなかった。
当時ワタクシは東京在住で、さらっと聞いただけだが、母の太っ腹な所に感心しつつも、あたしゃ無理だわ、絶対返して欲しいわと思っていた。
ワタクシは、夫の友人に貸した25万が返ってこない事が未だ許せん。
鹿児島に帰ってきて、色々話を聞くようになり、ちょっと不快感を覚えるのが、おばちゃんのライフスタイル。
演歌歌手の追っかけをしているらしい。
福岡までコンサートに行ったり、グッズを買い込んだりしてると聞くと、この歳になってもそういうのがあると生きがいになっていいのかもねと思いつつも、
いや、でも、借金を返してない相手に、よくぞそんな話を語れるなあと渋い顔になる。
我が老母が返さなくていいよと言ったとしても、もしあたしだったら、遊ぶ金あるなら、ちょっと返してくれと言いたくなるし、
逆に借りた方だったら、後ろめたくて遊んでる話はしないと思う。
そういうことを思いながら、お迎えに行って、まあお茶でも飲んでよと言われ、上がる。
今は、おばちゃん一人暮らしで、猫を何匹か飼ってて、お魚を煮て食べさせているとのこと。
ふくふくとした猫ちゃん達が庭やら道やらにいて、、、
いや、猫好きだから、可愛いと触りまくったりするんですけどね、でも、外で飼ったりしている点やら、贅沢な食事をさせてる点やらで、また複雑な気持ちになる。
それほど広くない間取りの部屋の一室は衣装部屋になっていて、ちょっとしたブティックのごとぎっちり洋服が並んでいる。
田舎の小さな洋品店くらいはある。
それも、ユニクロやら激安衣料品のシロモノではないのはワタクシでもわかる。
母が寝たという寝室には、壁全面にその演歌歌手のポスターが貼り巡らされ、ウチワも数え切れないほど飾られている。
老母はそれを面白がっているが、ワタクシは苦笑いになる。
どこまでこの人は人が良いのか。
いや、人がいいと言うより、自分で働いたお金じゃないから、お金のありがたみがわからないんだとまで思ってしまう。
お父さんが働いてくれたおかげだよと、老母が一番嫌がる言葉を頭に浮かべる。
そして、三つ子の魂百までとはよく言うたものぞと思う。
小さい頃、欲しいものが何でも手に入る子供だったおばちゃんは、大人になっても何でも手に入れないと気が済まないのだと思った。
たとえ、自分ちの経済状況を超えてしまおうとも、我慢できなかったのだろう。
ぼんやり、そんな事を思い出したりした。

お茶やお菓子をいただきながらおしゃべりしていると、またワタクシはイラッとする。
この話は長くなるので明日に続く。

今日の一枚は、その送った日に、老母が車代といってお金をくれたので、Kemiちゃんとランチ食べてスタバ行った。
老母を責める筋合いはないね、こうして美味しい思いをさせてもらっておきながら・・・
コメント (2)
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