パパと呼ばないで

再婚した時、パパと呼ばないでくれと懇願した夫(←おとうさんと呼んで欲しい)を、娘(27)「おやじ」と呼ぶ。良かったのか?

エゴ

2011年07月13日 | からだのこと
7月13日(水)快晴

近くの球場で、高校野球の東京大会が始まった。
もの凄い歓声、ブラスバンドの応援、突き抜けるような青空・・・
また今年も、彼らを応援できることが嬉しい。
ちなみに、娘の高校は一回戦突破!おめでとうっ!
金曜日の試合は、娘、初応援に行くという。母も行きたいくらいだ。
でも暑いからやめとこう。

今朝のNHK連ドラ「おひさま」、泣けた。
入院前の「おひさま」は、ちょうど終戦の頃で、悲しいことだらけ。
8時11分と言わず、のべつまくなしに泣いてた。
そして、ちょうど番組が終わる頃出勤する夫を見ては、また涙して困らせていた。
遅刻もさせちゃったね。
一人になると、怖い妄想で押しつぶされそうになるのだ。
妄想が得意なのも考えものである。
今朝の「おひさま」は、主人公がご懐妊というおめでたい話。
彼女は、10歳で母親を亡くしている。
その回想のシーンやら、お姑さんがそのことを思いやり涙するシーンとかで・・・
またもワタクシは数週間前の自分を思い出してしまう。

やはり『肺がん』と聞いた時に、真っ先に頭に浮かんだのは「進行が早い」
46とはいえ、まだ病気を語る上では若い部類。
「若い人は進行が早いからねえ~」という声が聞こえてくるよう。
どんどん妄想が広がる。
先生は初期だから取ってしまえば大丈夫っていうが、いざ手術室に入り、
見てみると「うっ。画像ではわからなかったけど思ってた以上に広がってる。
このまま閉じます。」
と、Dr.コトーが無念そうに言うわけだ。
・・・といつの間にかコトーせんせや白い巨塔『財前教授』が出てくる妄想・・・
夏の同窓会、秋の娘の文化祭、娘との初の海外旅行、楽しみにしてたことがぐるぐる頭をまわり、
もう全て経験できないことのように思えては泣く。
ワタクシは、いつも、『苦しいときの神頼み』
なんの宗教も信じてないくせに、困ったことがあるとすぐに祈る。
「神様、お願いします。」
離婚のごたごたの際も、娘が病気した時も、娘の高校受験の時も・・・
そんなワタクシが、今回、本気で神様に祈った(いや、いつも本気は本気ですが)
「寝たきりでも何でもいいから、とにかく生きてるだけでいいです。
娘の成長を見届けたい。
いい母親じゃないけど、それでも、まだ娘にはワタクシが必要なのです。
どうか、どうか、これが最後のお願いですから。
死にたくない。死にたくない。まだ娘のそばを離れたくない。」
ワタクシは、娘を、『ワタクシの憧れの大学』に入学させたいと思っていた。
洗脳させていくうちに、少しずつ娘もその気になり、第一志望は『母の憧れの大学』(超難関大)になっていった。
しかし、病気発覚後のワタクシはエゴ丸出し。
娘に「○○大学」に行って欲しい気持ちはすっかりそげ落ち、
頑張りさえすればどの大学でも良いわ。そして、それを見届けたい。
神様、せめて大学入学までは生きていたい。
いや、イマドキ就職も大変そう。
せめて就活の時は手助けしたい。
結婚、出産・・・
ってことで、せめてあと10年生きながらえさせてください。と必死で祈る。
10年後・・・ワタクシは57歳。
まだ若いじゃん!!!じゃあ、あともう少しだけ長く・・・というように
とにかく死にたくないことを神様に祈り続けた。
もう、今後「神様お願い!」って言いません。
長生きさえさせていただければ。

乳がんの転移ではなかったとはいえ、そうそう、二種類ものガンに罹るなんてことは
やはりワタクシって『がん体質』ってことよね。
最期はおそらくガンが原因で死ぬんだろうなあということを今回薄々と感じた。
その時迄は、がんと闘い続けていこうと思う。

「おひさま」の主人公のお姑さんが「亡くなったおかあさまはさぞ無念だったろうねえ」と言う。
もっといっぱいいろんなことを教えてあげて、そばにいてあげたかっただろう。
数年前に亡くなった、娘の同級生のママT本さんのことも思い出す。
二人の子どもを残し、さぞ心残りだったことだろう。
もう、『生きる』ということ以外は神様に頼めなくなったワタクシ。
娘の第一志望合格も、夫の昇進も、もう望みません。(ま、初めっから昇進なんて思ってもないけどね)
それぞれ自力で、やれるだけ頑張ってください。
母は、妻は、ただ、生きて、そばで見守っていたい。
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お誕生日の過ごし方

2011年07月12日 | からだのこと
7月12日(火)快晴

先日、7月10日の日曜日は、ワタクシ47歳のお誕生日でありました。
おめでとーーー。
47回目のお誕生日を、ワタクシがどこで迎えたかと申しますと・・・
『白い巨塔』・・・そう!病院であります。
詳細はこれからだらだらと数日に渡り日記に書き記すつもりでありますが、
その前に一言。
ワタクシ、今回生まれ変わりました。(・・・何度目かねえ~なんて言わないでね)
ホントにホントに生まれ変わったのです。
目指すは『生き仏』です(・・・・・)
よって『ダラダラ』をお好みのマニアな方用には今迄どうりお楽しみいただくとして、
「ったく、この人の日記って、散々だらだら読ませたあげくにオチがつまらんっ!」という感想をお持ちだった『いらち』な方のために、
とりあえず結論っつーか、そんなことを先に述べておきましょう。
ね、変わったでしょ?ワタクシ。
おまけに、結構今回は衝撃的ですよ。
話がちゃんと「オチ」ますよ。
ぢつは、ワタクシ、『肺がん』だったのですっ!!!
衝撃でしょ?
乳がんの手術から5年が過ぎ、主治医のK田Dr.からも「もう大丈夫!」と言われたのは昨年秋。
すっかり安心して、落ち着いた日々を過ごしていたのに・・・
まさに『がーーーーん』ですよ(←これ、夫のスケジュール帳にも書いてあった。
がん患者の76%が使うフレーズだと思う。)
幸い、乳がんからの転移ではなく、単発性のものだったということは嬉しいことでした。
肺って、ワタクシこの年になる迄、右と左、二つの部屋だと思っとりましたが、
右が3部屋、左が2部屋の5部屋あるんですねえ~
余談ですが、この数日で、夫は肺の絵をとても上手に描けるようになりました。
それで、ワタクシの場合、左の上部の部屋に腫瘍があり、これもろともざっくり一部屋を切除致しました。
今は、内視鏡で見ながら、特殊な器具で切り取るらしく、背中の傷は8センチほどです。
昔はもっと大きく、ざっくり切ってたらしく、ホント医学の進歩に感謝です。
おまけに、4段階だったかな?それくらいあるステージで、一番初期の状態。
ここだけ、「抗がん剤治療」の必要なし!なの。これも嬉しい。
あ、入院したのが4日で、手術が翌日。
2日ほど、苦しくてウンウンうなってましたが、金曜日には、全ての管が体から取れて楽になり
一人で院内のコンビニやタリーズに行ったりしてました。
そして、誕生日の日には、面会時間一杯(PM1:00~PM8:00 )夫と娘が狭い病室にずっといてくれました。
そういう意味では、一番家族感を感じた誕生日だったな。
別に何か語り合うでもなく、娘はワタクシとベッドに寝そべり、
夫はイスに座り静かに日記を書いたり本を読んだり。
たまに、「イチはどうしてる?」とか「快気祝いに銀寿司に行きたい」とか「あたしの古典のテストの点数すごいよ!」とか、
「この近辺のことは、君よりオレの方が詳しい」とか、そんな話をしたりしてました。
そして、夕方早めの夕食が運ばれてきて・・・
なんと!!!ケーキがついてるのです。
そして、「お誕生日おめでとう」メッセージも。
めちゃテンションあがりますね、こういうことしてもらうと。
そして、その翌日の昨日、無事に退院してまいりました。
ずいぶんとブログの更新をさぼりました。
少しは「あれ?どうしたんだろ」って思い出してもらってたかなあ。
今日からまた、怒濤の更新が始まりますので、是非読んでくださいね。
コメントもいただけたら嬉しいです。
どんな辛口でもかまいませんよ、なんせ「目指せ生き仏」ですから・・・

もうしばらく、生き長らえそうですので、今後ともなにとぞよろしくお願い申し上げます・・・って、結局、長文日記になっちゃった。
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ギリギリセーフな我が人生

2011年07月08日 | からだのこと
10日ほど泣き暮らし、4日ほど痛みにのたうち回っているところであります。そろそろ復活の兆し。何度目か忘れましたが生まれ変わったわたくしを披露できる日も近いと思われまする。またヨロシクお願いします。
コメント (8)
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