紅蓮(ぐれん)のポケット

子どもの本の作家・三輪裕子のふつうの毎日
2015年夏。三宅島で農業を始め、東京と行ったり、来たりの生活になる

「神さまの木」のこと

2004-09-23 10:38:02 | 2・仕事の周辺
1994年「この本だいすきの会」の会報より

「人は、生きている間にぜひ出会いたいものを、心の中にたくさん持って暮らしているのではないかと思う。
心の中に住みついている、そういうものを、何らかの形にとどめておきたくて、私は子どものための本を書いているのではないかと、時々思うことがある。

講談社よりこのたび刊行された「神さまの木」は、アメリカのジャイアントフォレスト(巨大な森)で過ごす、家族の物語である。この本のあとがきにもふれているが、物語に出てくるジャイアントセコイアの巨木に出会ったのは、今から十七年程前、二十五・六才の頃だった。

この木が「地球上で最大の生物」といわれているのを知ったのは、日本に帰ってからのことだ。けれど、とにかく何の知識もなく、ついふらっと立ち寄った国立公園で「シャーマン将軍」という巨木を一目見た時の衝撃を、私は今でも忘れることができない。大きいとか、圧倒されたとか、月並みな言葉では説明できないほど、不思議な存在感があった。一目見た時から、私は巨木のとりこになった。

けれども、その巨木の印象とともに、忘れられないのは、私が(うわーお、何てでっかい木だ)と思っている横で、本当に祈らんばかりにして、木と対面している人々がいたことであった。「昔々、おじいさんからこの木のことを聞いて、ぜひ会いたいと思っていた」人とか、「イエス=キリストの生誕をこの木は知っている。そのほかにも、地球上で起こった二千年のできごとをじっと見守り続けた。本当にすごくて、すばらしくて、美しい」と感激していたクリスチャンだという人。など
など……。その人たちとの出会いが、この本を生んだともいえる。

一冊の本は、著者の思いを受け止めてくれる編集者がいて、絵描きさんがいて(子どもの本の場合)それで、一つの世界を作り出す。そういう意味で、この「神さまの木」は、とても幸運な本だと思う。この本は巨木にすべてがかかっているのだけれど、浜田さんの絵は、力強さと存在感と、そして、あの神々しさが、ほんとうによく出ていて、思わずなでまわしたいくらいだった。

・・中略・・・・

もう一人、「神さまの木」の編集をしてくださったKさんのこと。出会いの不思議ということをよく感じるのだけれど、十何年か前、セコイアの巨木と出会って、この本は生まれた。でも、この本も含めて、わたしのこれまでの本のすべては、Kさんと出会わなければ、生まれなかったと思う。この本で、私の担当を離れてしまったけれど、(えらくなってしまったのね)あの時、七年前に出会えたことをありがたいと思っている。

私は不器用な人間なので、みんなが楽しく乗りこんでいく列車に、どうも一人乗りおくれてしまうことがある。たいていの場合は、まあ放っとけよ、ということになるのだろうが、Kさんは無理やり私の手を引っ張って、乗せてくれた。おかげで、こうして、本を書いている。」

これを書いた時から、また10年たった。Kさんだけでなく、たくさんの編集の人たちに、ほんとうにお世話になった。ありがたいことである。

著作一覧に、感謝の気持ちをこめて、担当してくださった編集者のお名前を書かせて頂きました。