紅蓮(ぐれん)のポケット

子どもの本の作家・三輪裕子のふつうの毎日
2015年夏。三宅島で農業を始め、東京と行ったり、来たりの生活になる

思い出深い清里寮

2007-10-07 06:57:43 | 15・心に残ること
もうだいぶ前に久我山散人さんから受け取った高校バトン
この時にも書いた清里寮の消息を、つい最近知った。。

先週、富士高同期の幹事会メンバーに、1期下の人たちが開いているホームページがあるというニュースが流れた。

早速、見に行ったところ、あ~なつかしい人、先生、場所の名前が満載。

そして、清里寮である。

どんな所かといえば、こんな寮。




夏や春の休みに、クラスのみんなや、友だちと行った。

その頃はまだ開けていなくて、寮まで、線路をてくてくと歩いた。まだ若かりし頃の多美ちゃんと私。電車が近づいてくるのに気づかず、電車を止めて、怒られたこともある。




そこに泊まりに行くと、かならず忘れることのできない思い出の一つや二つは胸に刻まれた。

その思い出深い清里寮は、もう10年以上前に、なくなってしまったということだ。
HPの編集委員が、「清里寮はどうなったのか」という疑問を、現地を訪れたりしながら、一つ一つミステリーを読み解くようにして解決していったところ、五島育英会の八ヶ岳山荘に変わってしまったということである。

五島育英会といえば、私の連句仲間の某建築家の職場ではないか。
そういえば、いつだったか、「泊まりたかったら、4500円で泊まれるよ」といわれていた、あの山荘なのであった。建物はもちろん、生まれ変わったが、庭の木など、そのままの所もあるということである。

青春の思い出には近づかない方がいいような気もするが(?)、いつか訪れてみたい。

そして、1期下の学年のHPを見たい方は、私にメールを送ってください。アドレスとパスワードを教えてあげます。編集委員の熱意と情熱を感じる、とても充実したホームページです。

HP編集委員4人のうちの1人は、旧姓K・礼子さん。礼子さんとは、卒業後10年ほどしてから、サイパン島でばったり出会って、一緒にお酒を飲んだことがある。
あれから、27年(?)という月日が音信不通のまま過ぎ去ったが、今やパソコンという文明の利器と、インターネットという便利な通信手段によって、あっという間に、何通もメールのやりとりができたのだった。人生はおもしろい。

(写真は2枚とも、同期のS・邦明氏撮影。去年の同期会の時に、昔の写真をたくさんCDに焼いてくれた。クラスがちがっていたので、写真は他のクラスの人が多かったが、かえって私の知らない高校時代を見られて楽しめた。邦明君にはたくさんの感謝を!)