居間で寝起きしていると、便利なこともあり、困ったこともある。
便利なことは、朝眼がさめたら、手をのばして、パソコンのスイッチをいれ、テレビのリモコンを操作して、テレビをつけるのだけど、その間、寝そべったまま。すごい、グータラ。このまま朝食が食べられたらサイコーだけど、そうはいかない。(笑)
困ったことは、私は、仕事はもちろんのこと、メールでもブログでも、テレビの音がする所では、全く書いたりできない。ながら族というのがダメなタイプなのである。だから、朝も夜も、テレビがついている限り、テレビを見るしかない。そうすると、パソコンに向かう時間が減ってしまう。
そんな生活を始めて、こういう究極の狭い場所で過ごしたことがあるのを思い出した。
その昔、1990年のこと。私と小3の娘、小5の息子、良流娯さんと、娘さんの小2の知夏ちゃんと5人でアメリカ横断旅行をした。
その時のことは、このブログにも書いたが、ほとんど子ども達の夏休みを全て旅に費やした。
アラスカやカリフォルニアを旅した後、ロスアンジェルスからセントルイスまで、2泊3日間、アムトラック(アメリカの長距離列車)の寝台車に乗って行った。我が家は3人だったので、2人用個室。2段ベッドがあって、トイレ、シャワー室までついた部屋だった。
その時に、良流娯さんは、知夏ちゃんと2人なので、1人用個室。
あの部屋は、あとあと考えても、究極の狭い空間に、うまいこと全ておさまっていたなあという印象。
個室で椅子を伸ばすと、部屋中がベッドになる。ベッドにすると、立っているところがないので、ドアをあけて、外でベッドに組み立てる。洗面台は、横にちょっとついていて、トイレに行くには、そのベッドをたたまないとダメだった。
日本式にいうと、畳一畳分が一人のための空間。そこで2泊3日過ごす。その時も、このくらいの空間があれば、人は生活していけると思った。
けれど、その後、何回かアムトラックに乗ったが、その個室すらなく、たいていは、リクライニングシート。そこで寝袋に入って寝たりしたが、それはそれで、十分な空間だった。
ふだんは、2人用の個室に5人みんなでいた。

娘は、その前に熱を出した私の風邪がうつり、寝台車で寝て過ごしていた。
夜には、この上に2段ベッドが組み立てられる。そういうお世話をしてくれる人は、ずっと同じ人で(なんと呼ぶんだろう?)、最後には仲良くなった。

個室にあきると、展望車にいって、外の景色を眺めていた。何時間もほとんど変わらない景色が続いていった。

あの時の旅は、何回か子連れ海外旅行をしたけれど、一番楽しくて思い出深い旅だったと思う。旅というより、放浪者のようだった。
便利なことは、朝眼がさめたら、手をのばして、パソコンのスイッチをいれ、テレビのリモコンを操作して、テレビをつけるのだけど、その間、寝そべったまま。すごい、グータラ。このまま朝食が食べられたらサイコーだけど、そうはいかない。(笑)
困ったことは、私は、仕事はもちろんのこと、メールでもブログでも、テレビの音がする所では、全く書いたりできない。ながら族というのがダメなタイプなのである。だから、朝も夜も、テレビがついている限り、テレビを見るしかない。そうすると、パソコンに向かう時間が減ってしまう。
そんな生活を始めて、こういう究極の狭い場所で過ごしたことがあるのを思い出した。
その昔、1990年のこと。私と小3の娘、小5の息子、良流娯さんと、娘さんの小2の知夏ちゃんと5人でアメリカ横断旅行をした。
その時のことは、このブログにも書いたが、ほとんど子ども達の夏休みを全て旅に費やした。
アラスカやカリフォルニアを旅した後、ロスアンジェルスからセントルイスまで、2泊3日間、アムトラック(アメリカの長距離列車)の寝台車に乗って行った。我が家は3人だったので、2人用個室。2段ベッドがあって、トイレ、シャワー室までついた部屋だった。
その時に、良流娯さんは、知夏ちゃんと2人なので、1人用個室。
あの部屋は、あとあと考えても、究極の狭い空間に、うまいこと全ておさまっていたなあという印象。
個室で椅子を伸ばすと、部屋中がベッドになる。ベッドにすると、立っているところがないので、ドアをあけて、外でベッドに組み立てる。洗面台は、横にちょっとついていて、トイレに行くには、そのベッドをたたまないとダメだった。
日本式にいうと、畳一畳分が一人のための空間。そこで2泊3日過ごす。その時も、このくらいの空間があれば、人は生活していけると思った。
けれど、その後、何回かアムトラックに乗ったが、その個室すらなく、たいていは、リクライニングシート。そこで寝袋に入って寝たりしたが、それはそれで、十分な空間だった。
ふだんは、2人用の個室に5人みんなでいた。

娘は、その前に熱を出した私の風邪がうつり、寝台車で寝て過ごしていた。
夜には、この上に2段ベッドが組み立てられる。そういうお世話をしてくれる人は、ずっと同じ人で(なんと呼ぶんだろう?)、最後には仲良くなった。

個室にあきると、展望車にいって、外の景色を眺めていた。何時間もほとんど変わらない景色が続いていった。

あの時の旅は、何回か子連れ海外旅行をしたけれど、一番楽しくて思い出深い旅だったと思う。旅というより、放浪者のようだった。