紅蓮(ぐれん)のポケット

子どもの本の作家・三輪裕子のふつうの毎日
2015年夏。三宅島で農業を始め、東京と行ったり、来たりの生活になる

旅の適齢期・アルバムのつづき

2009-09-16 06:19:27 | 8・山と旅の思い出
先週、北アメリカ大旅行のアルバムをアップしていたら、写真の枚数が多くなったので、少し間があいたが、またその時の写真をのせてみる。
主に交通機関の写真をアップしてみる。

移動は主にアムトラックという列車、長距離バス、そしてレンタカーである。

レンタカーは主にハーツで借りた。乗り捨てのこともあったが、大体は、元の場所に返した。

 

1台に5人と荷物を詰め込んで転々と旅をする。

 


それにしても、その時の旅は、失敗も数々あった。ボキャブラリーは少ないながらも、一応ほぼ希望は伝えることができる。とにかく、こうしたいということは、日本語で話したって、通じるものなのである。

ところが、想像とちがうことが起こると、何の事やらちんぷんかんぷん。

今写真をアップして思い出したのが、アムトラック・スルウェイというバス。

 


やけに立派な駅がロスアンジェルスの町にはあるのだけど、私達が行こうとする方面には、そこから列車は出ていないのである。どこかにバスで行ってから、乗るのである。

 


チケットを出したら、このバスに乗れといわれ、外に連れて行かれた。訳もわからず、みんなで乗った。
ふつうは、「列車」のチケットを買ったのだから、バスに乗ったとしても、せいぜい5分くらいの所だと思うでしょう。
ところが、1時間半。えんえんとバスは走り続けた。まちがった乗り物に乗ったと思って、ちょっとひやひやした。
その時の行き先こそ、唯一宿泊の予約をしていたセコイアの森だったからだ。1時間半も方向違いに進んだら、もどるのだって時間がかかる。

1時間半乗って、ベイカーズフィールドという駅でおろされるまで、もうこれはとんでもない所に連れて行かれると思った。


モーテルは泊まりだけで、食事がついていないので、朝食はこんな風に、カフェで食べた。パンケーキがおいしかった。

 


食料を積み込むためにマーケットにもよく行った。

 


アムトラックは、今でも旅情をかきたてられる。その後、事故も多発したが、二階建ての相当大きな車両がスピードを出して走ってゆくのだから、無理ないと思われる。

フロリダのアムトラック・ステーション。

 

アムトラックの中の食堂。

 


アムトラックの・乗車員の人たちと。