魅惑のワインと出会う100の方法

デイリーからカルトワインまで、日々探し求めては飲んだくれているワイン屋のおはなし。

原爆の日 今日は真面目です

2014年08月09日 | Weblog
本日は1年に数日あるかないかの?真面目な日です。


きな臭い世の中。

どんどん戦争の足音が聞こえてくる日々です。

ガザ地区の悲劇は人ごとではありません。
ここ(クリック、閲覧注意)を読むと怒りがこみ上げます。
こんな現状を知らない人もかなり多いのではないでしょうか。


武器の輸出解禁、集団的自衛権の憲法解釈、一旦、アメリカと一緒にチームを組んで
アラブ、イスラムの世界へ入り込めば、泥沼で抜き差しならなくなってしまうでしょう。
いつ日本がこの加害者側に立たないとも限らないのです。それは首相や内閣の見解に
よって、どうにでもなってしまう可能性があります。


人の痛みや心が分からない国家主義者(極右、極左)、宗教、民族の原理主義者達
によって平和な日々の暮らしが破壊されてしまうことに危惧を抱かざるを得ません。

個人と国家はまったく違うのに、さも自分が国家を背負っているかのように語る人
の愚かさと言ったら・・・。


それでなくともアメリカをはじめボーダーレスに世界的大企業や寡頭勢力の利益の元に、
国家が動かされ、マスコミを支配し、大衆を扇動、コントロールし、巨大企業の言い
なりに政策が行われ世の中は歪んでいきます。「新自由主義」の果てに「コーポラティズム」
(政治と企業の癒着主義)と言われるシステムの世の中が来るのでしょうか。




さて、本日は私の住む長崎の原爆の日ですが、最近はかなり風化したように思います。

今日たまたま「原爆の語り部」をされている方とお話しましたが、最近の原爆の話、
解説を聞いていると「ぬるい」のだそうです。

もっと悲惨で非業で耐えられないそうです。(ガザの悲劇でリンクした記事の写真を
さらに焦土と化し、真っ黒焦げにした感じでしょうか)


原爆の話しには、やはり感じ方の温度差があって、広島、長崎、そしてやはり沖縄。
これらの地域に生きている方々、愛する人を亡くした方々、対して戦争で大した被害が
なかった地域で生まれ育った方々や世代とでは、感じ方、伝わり方がかなり違って
歯痒いとのこと。分かる気がしますよね。


実際に原爆が落ちた時の修羅場を体験するのとしないのでは大きく違うことでしょう。
被爆者の気持ちになれるか、分かってあげられるか、そこは想像力と、思いやり、
心の広さ、度量、優しさということです。

まあ、それを犠牲にしてでも「国家」だという人は・・・まあ、いじめっ子だわな。
そういう人は差別主義者だったり冷酷な精神構造なのでしょう。自分は安全、不幸は
他人事と勝手に立ち位置を決めているだけかもしれません。



広島で官僚の書いた、昨年とほぼ同じ原稿を棒読みした安倍首相が来崎するので
しょうか。税金の無駄遣いですから来なくていいよ、と言いたい。

たった1日でいいから、彼にタイムスリップして当時の被爆地へ行ってもらいたいと
思います。


基本的な人としての心を失ってはいけないと強く、激しく思います。



そんな意味を込めてこの歌を歌います。
いやと言われても毎年歌います。


幻の日(オリジナル曲、ラリラリ・ピノ)



私なりの思いの詰まった曲です。

憎しみの連鎖が産むものは不幸であって、そんな負の連鎖は終わって欲しい。
そして寄りそえるものを見つけて歩み寄って欲しいという思いを込めた歌です。
似非と言われようが、安っぽいと言われようが、たったひとつの私の思いです。

哀悼の誠を捧げ、憎しみや殺し合いのない世界を願います。

コメント
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