演題は、「伝統演劇・狂言の継承と普及」というもので、狂言は歴史的に伝統芸能の中で低く扱われてきたが、
戦後狂言師たちの奮闘でようやくその芸術的価値が認められるようになった。
がしかし、逆に狂言の未来に不安な面も感じ始めている。
そんな背景の中での講演であったようで、氏はずっとこのことを心に秘めながら、懸命に表題にあるように
「継承と普及」に努めてこられたようです。
『 能と狂言の違い
“このあたりの者でござる。” 狂言の舞台では登場人物がそう名乗るところから始まります。
能と狂言は歴史上、同じ能舞台で交互に上演されてきました。現在「能楽」と呼ばれています。
狂言は、室町時代から江戸時代にかけての庶民の日常的な出来事や生活感情の機微を、当時の言葉を色濃く残す
舞台言葉で表現した、科白(かはく=セリフ)と仕草が中心の劇です。筋も単純で、写実的、喜劇的な対話です。
軽みのある笑い、あるいは笑いを超えた悲しい物語が現在に伝わっています。
登場人物は庶民で、殆どの狂言の登場人物は、2~3人しか出てきません。太郎冠者、次郎冠者という家来が出てくる
主従の話もあれば、情けない夫としっかりものの女房という夫婦の話もあれば、百姓、商人、僧侶、山伏、詐欺師、
泥棒などが登場する話もあります。
これに対して能は荘重で悲壮な内容が多く、謡と舞を中心とする象徴的、幻想的な劇です。地謡という6~8人からなる
コーラス団と笛・太鼓・大鼓・小鼓からなる囃子が入ります。 登場人物は六条御息所、平知盛、源義経など
歴史上や物語の有名な人物がシテ(主役)として出てきます。ワキは一人だったり複数だったりします。・・(中略)』
『能と狂言は武士階級の庇護を受けてきましたが、「笑い」を良しとしない価値観の中で、歴史的に能楽における
狂言の地位が高いわけがありませんでした。観客や研究者にも能の添え物のように扱われてきました。
こうした狂言の地位の低さに対する悔しさ、憤り、恨みこそ私の狂言の道の原点であり、
「狂言の価値を知ってもらいたい」という強い気持ちが私を常に駆り立ててきました。』(中略)
『そういう訳で、「笑い」の価値が非常に認められるようになりました。狂言が普及するとは、若い人に
どんどん観てもらうことです。大変ありがたい反面、普及にも良し悪しがあるように思えてなりません。』(中略)
『「お能は」難しいから将来滅びるかもしれないけど、狂言はみな喜んで観るから大丈夫ですね」とよく言われますが、
私は反対だと思っています。能は筋を理解しなくても、感性で観ることができます。音楽を聴いて楽しむこともでき、
舞踊を観て美しさを感じることもでき、能面の美しさを観ることも出来ます。そういう総合的、多角的な角度から
鑑賞できます。
しかし、狂言は言葉が生命です。そして、狂言の言葉は分かり易いといっても、お客様に全てが分かるわけではありません。
時代とともに分からなくなってゆく言葉を、何とか分からせよう、受けようとする下心が逆に芸の質を落とす
可能性があります。狂言師が笑いだけを求めるようになると、本当の伝統から逸脱していく可能性があるのです。』
講演の中で、例として、「木六駄(きろくだ)」という狂言を話されていたので、その下りも、大変面白いので
ここに引用させてもらいました。ここで、「駄」というのは、牛1頭が背負える荷物をさします。
狂言:「木六駄」
『奥丹波に住んでいる主人が、年の暮れに太郎冠者に、“都の伯父さんのところに歳暮を届けよ”と命じます。
太郎冠者は十二頭の牛に木を六駄、炭を六駄背負わせ、自らも酒樽を一つ持ち、伯父さんへの手紙を携さえて
大雪の中、峠越えをする羽目になります。 太郎冠者は(雪を表すために綿の付いた)菅笠と蓑を付け、鞭一本を持って、
牛を“させい、ほーせい、ちょう、ちょう”と追う姿で舞台に登場します。
舞台には雪もなく、一頭の牛も出ません。鞭と仕草だけで観客に大雪を感じさせ、かつ十二頭の牛の隊列が
見えるようにしなければならないため、大変難しい場面です。
太郎冠者がやっとの思いで峠の茶屋に着くと、あまりの寒さに一杯の酒を所望します。
しかし茶屋は酒を切らしていました。茶屋の主人はあろうことか、“お前、酒を持っているじゃないか”と、
伯父さんのところへ届けるはずの酒を飲めと勧めます。太郎冠者は一度は忠誠心から拒否するのですが、結局、
茶屋の主人と一緒に楽しい酒宴の内に全部飲んでしまいます。その上、酔っぱらった勢いで茶屋の主人に、
“蒔きにせよ”といって木を一駄をやり、残る五駄分は希望の者に売っておいてくれといいます。
太郎冠者は酔っぱらって、炭六駄と手紙だけ持って伯父さんのところに行きます。
伯父が手紙を見ると、“木六駄に炭六駄、手酒一樽”と書いてあります。 不審に思った伯父さんが詰問すると、
太郎冠者は苦し紛れに“私は名を木六駄と改めました。”“木六駄に炭六駄のぼせ申しそろ”と洒落で返答します。
しかし、“なおなお、手酒一樽、これはどうした”と詰問されて困り果て、とうとう“あまりの寒さに
峠の茶屋でごぶごぶと致しました”と告白して叱られて終わります。』
(野村万作氏:早大、文、昭28卒)
洒落のところの注:木六駄と炭六駄を持たせたのではなく、木六駄に炭六駄を持たせた