蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

能と狂言   (bon)

2012-11-08 | 科学・生物
先日届いた会報に、野村万作氏がある夕食会での講演内容が記事として掲載されていました。

 演題は、「伝統演劇・狂言の継承と普及」というもので、狂言は歴史的に伝統芸能の中で低く扱われてきたが、
戦後狂言師たちの奮闘でようやくその芸術的価値が認められるようになった。
がしかし、逆に狂言の未来に不安な面も感じ始めている。

 そんな背景の中での講演であったようで、氏はずっとこのことを心に秘めながら、懸命に表題にあるように
「継承と普及」に努めてこられたようです。


『 能と狂言の違い
 “このあたりの者でござる。” 狂言の舞台では登場人物がそう名乗るところから始まります。
能と狂言は歴史上、同じ能舞台で交互に上演されてきました。現在「能楽」と呼ばれています。

狂言は、室町時代から江戸時代にかけての庶民の日常的な出来事や生活感情の機微を、当時の言葉を色濃く残す
舞台言葉で表現した、科白(かはく=セリフ)と仕草が中心の劇です。筋も単純で、写実的、喜劇的な対話です。
軽みのある笑い、あるいは笑いを超えた悲しい物語が現在に伝わっています。
登場人物は庶民で、殆どの狂言の登場人物は、2~3人しか出てきません。太郎冠者、次郎冠者という家来が出てくる
主従の話もあれば、情けない夫としっかりものの女房という夫婦の話もあれば、百姓、商人、僧侶、山伏、詐欺師、
泥棒などが登場する話もあります。

 これに対して能は荘重で悲壮な内容が多く、謡と舞を中心とする象徴的、幻想的な劇です。地謡という6~8人からなる
コーラス団と笛・太鼓・大鼓・小鼓からなる囃子が入ります。 登場人物は六条御息所、平知盛、源義経など
歴史上や物語の有名な人物がシテ(主役)として出てきます。ワキは一人だったり複数だったりします。・・(中略)』

『能と狂言は武士階級の庇護を受けてきましたが、「笑い」を良しとしない価値観の中で、歴史的に能楽における
狂言の地位が高いわけがありませんでした。観客や研究者にも能の添え物のように扱われてきました。
こうした狂言の地位の低さに対する悔しさ、憤り、恨みこそ私の狂言の道の原点であり、
「狂言の価値を知ってもらいたい」という強い気持ちが私を常に駆り立ててきました。』(中略)


『そういう訳で、「笑い」の価値が非常に認められるようになりました。狂言が普及するとは、若い人に
どんどん観てもらうことです。大変ありがたい反面、普及にも良し悪しがあるように思えてなりません。』(中略)

『「お能は」難しいから将来滅びるかもしれないけど、狂言はみな喜んで観るから大丈夫ですね」とよく言われますが、
私は反対だと思っています。能は筋を理解しなくても、感性で観ることができます。音楽を聴いて楽しむこともでき、
舞踊を観て美しさを感じることもでき、能面の美しさを観ることも出来ます。そういう総合的、多角的な角度から
鑑賞できます。
 しかし、狂言は言葉が生命です。そして、狂言の言葉は分かり易いといっても、お客様に全てが分かるわけではありません。
時代とともに分からなくなってゆく言葉を、何とか分からせよう、受けようとする下心が逆に芸の質を落とす
可能性があります。狂言師が笑いだけを求めるようになると、本当の伝統から逸脱していく可能性があるのです。』


講演の中で、例として、「木六駄(きろくだ)」という狂言を話されていたので、その下りも、大変面白いので
ここに引用させてもらいました。ここで、「駄」というのは、牛1頭が背負える荷物をさします。


狂言:「木六駄」
『奥丹波に住んでいる主人が、年の暮れに太郎冠者に、“都の伯父さんのところに歳暮を届けよ”と命じます。
太郎冠者は十二頭の牛に木を六駄、炭を六駄背負わせ、自らも酒樽を一つ持ち、伯父さんへの手紙を携さえて
大雪の中、峠越えをする羽目になります。 太郎冠者は(雪を表すために綿の付いた)菅笠と蓑を付け、鞭一本を持って、
牛を“させい、ほーせい、ちょう、ちょう”と追う姿で舞台に登場します。
舞台には雪もなく、一頭の牛も出ません。鞭と仕草だけで観客に大雪を感じさせ、かつ十二頭の牛の隊列が
見えるようにしなければならないため、大変難しい場面です。

 太郎冠者がやっとの思いで峠の茶屋に着くと、あまりの寒さに一杯の酒を所望します。
しかし茶屋は酒を切らしていました。茶屋の主人はあろうことか、“お前、酒を持っているじゃないか”と、
伯父さんのところへ届けるはずの酒を飲めと勧めます。太郎冠者は一度は忠誠心から拒否するのですが、結局、
茶屋の主人と一緒に楽しい酒宴の内に全部飲んでしまいます。その上、酔っぱらった勢いで茶屋の主人に、
“蒔きにせよ”といって木を一駄をやり、残る五駄分は希望の者に売っておいてくれといいます。

 太郎冠者は酔っぱらって、炭六駄と手紙だけ持って伯父さんのところに行きます。 
伯父が手紙を見ると、“木六駄に炭六駄、手酒一樽”と書いてあります。 不審に思った伯父さんが詰問すると、
太郎冠者は苦し紛れに“私は名を木六駄と改めました。”“木六駄に炭六駄のぼせ申しそろ”と洒落で返答します。
しかし、“なおなお、手酒一樽、これはどうした”と詰問されて困り果て、とうとう“あまりの寒さに
峠の茶屋でごぶごぶと致しました”と告白して叱られて終わります。』  
                   (野村万作氏:早大、文、昭28卒)
洒落のところの注:木六駄と炭六駄を持たせたのではなく、木六駄に炭六駄を持たせた











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シャープの死闘   (bon)

2012-10-23 | 科学・生物

以前にも何度かお世話になっている、友人から配信された“情報工場から”の最新版をここにご紹介させていただきます。

友人とは、もう30年も前に、当時最新の技術開発関連でドイツを巡り、ミュンヘンの大学教授仲間にババリア旧地方の
お祭りなどの招待を受けたものでした。

彼はH社OBですが、今なお多方面に活躍されており、余暇では“炭焼き工場”を開き、エコ路線を実践されていたり、
子供バレーボールの監督を務められたりの超多忙の一人です。

つい最近、送られて来ました関心ある記事ですのでここにアップさせていただいた次第です。

***********************
文藝春秋 2012年11月号 p164-172

       「シャープと日産『外資身売り』の死闘」
        佐藤 正明(作家)

【要旨】日本の家電業界が苦境に立たされているのは周知のことだろう。とくに大きな打撃を受けているのが、
一時は最先端技術による薄型液晶テレビで大ヒットを飛ばしたシャープだ。現在同社は約1兆2500億円もの有利子負債にあえぎ、
まさに企業存亡の危機に立たされている。
 本記事は、そのシャープと、自動車業界における、ゴーン以前の日産の立場に類似点を見いだし、
「どこで経営判断を誤ったのか」を、歴史をたどりながら検証している。いずれも、生産体制のグローバル化に失敗し、
外資との関わりにおいて社内外における戦略にミスが生じている。筆者は、シャープが回復するためには、
新社長が「会社のかたち」を示すべき、と結論づけている。
  ------------------------------------------------------------

 企業には勝負の分かれ目がある。家電メーカー・シャープの町田勝彦社長(現相談役)は、今世紀に入り
三重県亀山市に液晶パネルからキーデバイスまでの一貫工場を建設して勝負に出た。ここで生産したテレビに
「世界の亀山産」の表示を入れたところ、国産という安心感が消費者に受け入れられ、大ヒットとなった。
 町田さんの後継社長の片山幹雄さん(現会長)は、今度は大阪・堺市に、次世代の大型液晶パネルと太陽電池の超巨大工場の建設に踏み切った。

 シャープは亀山と堺の二つの工場に合わせて9000億円投じたが、勝負は裏目に出た。薄型テレビがサムスンとLGの
韓国勢との競争に敗れてしまった。身の丈を超えた投資に踏み切ったシャープは、いま企業存亡の危機に立たされている。

 経営破綻する前の日産の失敗とシャープの今の動きを重ね合わせてみると、共通するのは乾坤一擲の勝負に出て負けたというより、
経営判断を誤ったことから負けるべくして負けたことである。

 自動車メーカーの勝負の分かれ目は、米国における乗用車の現地生産だった。日産は、この時の判断を誤り経営破綻して
外資(ルノー)の傘下に入ってしまった。

 1973年秋に起きた石油ショックによるガソリン価格の高騰で、日本車の低燃費と品質の良さが世界市場で高く評価され、
輸出が急増し世界一の自動車生産大国に伸し上がった。しかしその副作用として欧米で摩擦が起き、対米輸出は自主規制に追い込まれた。
この壁を乗り越えるには、乗用車の現地生産しかない。

 日産は、1976年の春先、岩越忠恕社長の指示で極秘に乗用車の米現地生産に向けての企業家事前調査を進め、
最終決断を次期社長に指名した石原俊さんに委ねた。

 ところが石原さんは岩越さんから託された米現地生産案を棚上げし、「2年以内に国内販売でトヨタを追い越し、
日産を日本一の自動車会社にしてみせる」と大風呂敷を広げた。現実は手元資金のない悲しさで、大胆な販売促進策をとれず
2年を経ても首位に立つどころか、トヨタとの差を一段と広げてしまった。

 そして79年に石原さんは、スペインのトラックメーカーへの資本参加など、私にいわせれば“ガラクタ”としか呼びようがない
プロジェクトをポンポン打ち上げた。
 命取りとなった英国進出プロジェクトはサッチャー首相から国営メーカー、BLの再建を依頼されたことがきっかけだった。
ところが石原さんはそれを断り、エンジンから組み立てまでの一貫生産工場建設を提案した。

 石原体制になってから国内販売は赤字に転落した。だが、石原さんは当初計画通り英国プロジェクトを強行した。
結果は悲惨だった。一連の海外プロジェクトに1兆円投じたにもかかわらず、それを上回る赤字を出し
てしまった。
後継社長は石原さんが残した負の遺産に苦しめられ、最後は外資に身売りという屈辱的な道を選択せざるをえなかった。

 それでは家電はどうか。ビデオ戦争で VHSの勝利が見え始めた85年。シャープの佐伯旭社長がビクター副社長の高野鎭雄さんを訪ねてきてこんな提案をした。
「ビクターさんは薄型テレビを手掛ける気はありませんか。実はうちは密かに液晶を使った薄型のテレビを開発しており、
実用化のメドが付きつつあります」

 高野さんは内心小躍りしたい気持ちだったが考えた末、婉曲に断った。 「残念ながらビクターはデジタルの基礎技術を
持っていません。仮にシャープさんのご指導を仰いでも、激しい競争に打ち勝つことができるかどうか……。
デジタルは怖い技術です。一歩対応を間違えば会社が傾いてしまいます」

 デジタルは無限の可能性を秘めている。それだけに経営トップが的確な判断を下さなければ、技術者は遊びに走り性能だけを
追求した商品を開発しかねない。不幸にして高野さんの危惧は、モバイル市場に出た。日本は世界の
最先端を行く
デジタル技術を駆使した高機能の携帯電話を次々と開発した。

日本の技術について行けなかった世界のメーカーは、いち早く世界標準を唱えたことから、日本の携帯電話は国内でしか通用しないガラパゴス化してしまっていた。

 もう一つの怖さはデジタルの世界では、技術の違いを出しにくいことだ。 
デジタル時代に入ると日本企業のお家芸だったすり合わせ技術は標準化され、部品のモジュール化が進み海外生産も容易になった。
製品の性能に違いがなければ、消費者が最も重要視するのが価格にならざるを得ない。

 98年に町田勝彦さんがシャープの新社長に就いた。家電業界では、デジタル家電が主流となった。
シャープには佐伯さんの時代から培ってきた液晶技術がある。町田さんはここで勝負に出た。
世界初の液晶パネル、キーデバイス、組み立てまで垂直統合した薄型テレビの一貫工場である亀山工場の建設だ。
垂直統合にこだわったのは、独自に開発した技術を特許申請せずに、ブラックボックス化することで技術の流出を防止することにある。

 後継の片山社長が技術流出を恐れず、海外生産に踏み切ることで「亀山ブランド」に価格競争力をつけておれば、
韓国勢の追い上げを振り切り、薄型テレビでオンリーワン企業になれたであろう。
ところが片山さんは、次世代薄型テレビの大型パネルの投資に走ってしまった。

 問題の堺工場は09年に完成した。前年の08年秋にはリーマン・ショックが起き、世界的な金融危機のあおりを受け薄型テレビの需要も急減した。
これに歴史的な円高が追い討ちをかけた。輸出もままならず09年3月期には、1260億円の赤字を計上した。
 12年3月期は国内需要の一巡、輸出の不振から亀山、堺両工場の低操業が加わり、3760億円という巨額の赤字計上を余儀なくされた。

 3月27日には台湾の鴻海(ホンハイ)精密工業との資本提携を発表した。 鴻海は世界最大のEMS(電子機器の受託生産)企業だ。
ところが資本提携を発表したのを境に、なぜか株価下落に拍車がかかり、8月15日には 164円まで
下落してしまった。
これでは鴻海は出資する前から損失が出てしまう。そこで20%への出資比率の引き上げを要求したが、シャープは経営への関与が
強まることを警戒して難色を示し、交渉は暗礁に乗り上げている。

 シャープの経営は日を追うごとに悪化し人員削減、社員の給料カット、東京ビルを始めとする資産売却などお定まりの
リストラ策を打ち出すだけでは、しょせん焼け石に水である。そんな矢先、薄型テレビ以外の主要事業を売却するとの憶測報道も出始めた。
これが現実化すれば、シャープという会社は残っても、中には何もないがらんどうになりかねない。

 町田さんと片山さんは今回の巨額赤字の責任を取り、それぞれ相談役、代表権の無い会長に退いた。シャープの新社長に就いた奥田隆司さんが、いましなければならないのは顧客、従業員、株主、金融機関、債権者、仕入先などの
ステークホルダーに向けて、経営危機の原因となった薄型テレビの位置付けと鴻海提携を前提とした将来の青写真というべき、
「会社のかたち」を示すことである。これを示さない限り刻一刻と迫りくる過酷な運命から逃れ
られない。

コメント: シャープ、日産両社とも、その失敗の要因は「経営のガラパゴス化」という言葉で表現できるだろうか。
垂直統合による国内生産へのこだわり、国内市場重視といった選択は、あまりにも柔軟性に欠けるものだったと言わざるをえない。
シャープの「世界の亀山」というブランド戦略にしても、イメージ重視であり、国外に訴求するものではなかったように思える。
日本の国内生産=品質が良い、という感覚は、今ではかなり薄れているのではないか。

Copyright:株式会社情報工場











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TPPと種の話 (mak)

2012-09-17 | 科学・生物
8月10日に放送されたTBSラジオデイキャッチャーズボイス「野菜の種も外国支配?迫るTPPと日本農家の未来」と題した宮台真司氏の解説を話題として取り上げました。ここをCtrlキー押しながらクリックして別タブで開きPodcastをお聞きください。
その上で、下記を読んでから再度、Podcastを聞くと宮台氏の解説せんとするところがよく理解できます。

宮台氏の話しぶりは、言葉たくみで流暢なしゃべりが魅力的ですが、英語や短縮語も次々とはさみ込むので、聞く方もついて行くのが大変です。そのスピードについていけず分かったようで理解できていないことが多い。その点Podcastでは何度も聴き直すことができ、ぼけた頭には重宝できます。この話に出てくる難解な言葉を、ネットを駆使して調べた結果を下記しておきます。

First filial:第一代雑種
Lohas的:life styles of health and sustainability
Lohasて何?:Lohas
traceble:跡を尋ねることができる。
slow foods : スローフードWikepedea

野口種苗研究所:ホームページ

ネット(videonews.com)より引用:
埼玉県飯能の山間にちょっと変ったタネ屋がある。野口種苗研究所という立派な名前がついているが、その実は畳10畳ほどの店内に所狭しとタネが置かれただけの小さなタネ屋だ。看板の手塚漫画のキャラクターが異彩を放つ以外は一見ただのタネ屋に見えるが、実はここで売られているタネは普通のタネではない。
 今世界のタネ市場はその大半が多国籍企業の資本下にある大手種苗会社によって支配されていて、世界のトップ3が全世界のタネの5割を支配するまでにグローバル化が進んでいる。そして、大手種苗会社が販売するタネはほぼ100%「F1(一代雑種)」と呼ばれる、農家が独自にタネを採ることができない品種に限られている。
 野口タネ店はこうした流れの中で、それぞれの国、それぞれの地域が歴史とともに育んできた野菜や穀物のタネが次々と失われていく事態に抗うために、F1ではなく、固定種や在来種と呼ばれる地域の伝統的な作物のタネばかりを売る、おそらく日本で唯一の在来種専門のタネ店なのだ。
 言うまでもなくF1と在来種には大きな違いがある。F1は採種が難しく、農家が種苗会社からタネを毎年買うことを前提としているのに対し、在来種は繰り返し採種が可能なため、地域地域に根付いた在来種特有の形質が、農家の手によって独自に引き継がれていく点にある。今市場を席巻しているF1種は、そもそもタネが採れない種だったり、採れたとしても農家にとって不都合な形質が出てしまい、商売にならないものがほとんどなのだ。
 確かにF1は遺伝子配列が限りなく均一に近いため、生産性が高い上に色や形が均一で収穫もほぼ同時期に集中して行うことができるなど、均一の規格が求められる今日の流通制度の下では利点が多い。しかも、その一代に限るが、農家にとって都合のいい形質を確実に得ることができる。
 また、F1はタネを毎年種苗会社から購入しなければならないことが農家にとってはディメリットとなるが、元々タネのコストは農業全体の中では微々たるものだという。そのため農家にとってF1種子は明らかにメリットの多い存在となっている。言うまでもなく種苗会社にとっても、毎年農家に種を売ることができるというメリットがある。1970年代頃までは必ずといっていいほど独自に種を採っていた農家が一気にF1にシフトした背景には、農家にとっても種苗会社にとっても双方にメリットがあるF1の特徴があった。
 一方、在来種は農家が味や風味などの形質を維持してきたが、F1と比べると遺伝子配列に大きな個体差があるため、色や形、大きさが不揃いになったり、成長の速度にもばらつきが出るなど、農家にとっては扱い難い面があることは事実だろう。
 しかし、毎年独自にタネを採れる在来種と異なり、農家にとってF1への依存は種苗会社への依存を意味する。本来であれば土と水と太陽さえあれば、何にも頼らずに独立して食物を作ることができるはずの農業が、多国籍企業や大手種苗会社に頼らなければ何も作ることができない工業型農業に変質してしまうことになる。そして、その過程で、それぞれの国や地域が、歴史とともに育んできた独自の食文化や食との関係もまた、変質を迫られることになる。多国籍企業や大手種苗会社が、世界のぞれぞれの地域の伝統に対応したタネを開発してくれることなど、元々あり得ないからだ。
 F1種によってモノカルチャー化した作物は、特定の病気に対して耐性を持つよう育種されている場合が多い一方で、予期せぬ病気や急激な気候の変動に対して、均質化された作物が一網打尽の被害を受け全滅してしまいかねないリスクも負っている。遺伝子にばらつきがある在来種であれば、たまたま病気や温度変化に対する耐性が強い株がその中に含まれている可能性があり、それが全滅を防ぐ上で重要となる。平時には扱いにくい原因となる在来種の特徴が、有事には逆に利点となる可能性があるのだ。
 しかし、仮に誰かがF1への過度の依存のリスクを認識し、ぜひ在来種を残すことに貢献したと考えたとしても、消費者としてできることはほとんど何もない。そもそも今日市場で売られている野菜は、オーガニックを含めほぼ100%F1種だ。無農薬だの非遺伝子組み換えだのを選択することは可能でも、在来種を市場で買い求めることは、ほぼ不可能な状態にある。
 野口種苗研究所の野口勲代表は、今この瞬間にも在来種が日々この世から姿を消しているという。F1に席巻された今日の農業市場では、在来種のタネの生産はメリットが小さいからだ。「在来種を残していくためには、皆さんにぞれぞれの方法で在来種を育てていただくしかない。どこかに一つでも在来種の遺伝子が残っていれば、いざというときでも何とかなる」と家庭菜園やベランダ飼育も含めた在来種栽培を提唱する。ことタネに関する限り、われわれ消費者はさほど自覚のないまま、大変重要な橋を既に渡ってしまったのかもしれない。

このポドキャストをきいいてから考えてみると、 
 この頃は、冬に夏野菜が食べられる、旬がなくなったのかと思うぐらい。
それに、ピーマン、キューリ、トマト、人参どれもこれも野菜の青臭い臭がなくなり少なくなり、全く野菜が粒ぞろいでかっこが良いだけで自己主張をしなくなっている。
まるで、人も国も田舎も都会も政治家も世代ギャップもどれもこれも皆同じ、野菜までも同じかと思うと味気ない世の中になったものである。



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素粒子   (bon)

2012-07-23 | 科学・生物

このところ、ヒッグス粒子らしきものが発見(確認)されたとか、現代物理学の基礎にとって大変大事なことだ・・
とかいわれていて、先日の国谷さんの番組でも取り上げられていて、分かり易い解説に努力されていた・・

けれども、自分にとっては、なかなか釈然としていません。 ちょっと涼しいので、昨日いっぱい頑張ってみることにしました。

 いきなり、ヒッグス粒子に取り組んでも・・とおもって、先ずは、素粒子とは、から入門してみることにしました。

 で、入門してその成果はあったのかといいますと、今のところ成果はありません。
なぁ~んだ。 と言わないで、どなたかわかる人がいれば、意見を出し合ってだんだんと核心に
入って行けばどうか?・・と思い、敢えて記事アップすることにしました。


 物質を構成する最小単位
 分子→原子→(原子核+電子)→[(陽子+中性子)+電子]

陽子と中性子が結合した原子核の周りを電子がまわっている。
陽子の数を原子番号と呼びその数によって元素が決まる。(陽子の数と電子の数は等しい。)

 原子番号=陽子の数 で、1は水素、2はヘリウム、3はリチュウム・・11はナトリウム、リンは15、カルシウムは20、鉄は26、もっと行って、金は79、鉛82、ウランは92…ずっと行って118まであります。昔、高校時代に周期表(周期律表)なんてありましたね。
あれです。周期表の周期は、元素の性質の類似性を基に18のグループに分けたもので、水素、リチュウム、
ナトリウム・・などは、第1グループ、ヘリウム、ネオン、アルゴン・・は第18グループという具合。
最近話題のレアアース(希土類)は、第3グループに・・という具合です。

 余談ですが、原子を観察するとして、仮に東京駅に直径1mのボールを置いて、これを原子核とすると、
これのまわりを電子がまわっているわけですが、なんと、100kmも離れた、宇都宮とか甲府あたりの円を回っている
ことになるのだそうです。つまり、原子の大きさとは電子がまわっている広さのことといえる。

 だんだんややこしくなってきますが、もう少し・・。原子核内で、陽子と中性子は相互に入れ替わる
(つまり、陽子から中性子へ、または中性子から陽子へ)のですが、これをベータ崩壊といって、
陽子から中性子+陽電子+ニュートリノに、そして中性子からは陽子+電子+反ニュートリノに変わる。

ついでにいうと、原子核の中で、(一般に複数の)陽子と中性子がくっつきあっている訳ですが
これらを結び付けている力を媒介する粒子として中間子がある。 
湯川秀樹博士がノーベル賞を受賞したのは、この中間子の発見であった。

なぜ、中間子というか? それは、湯川博士が、この発見した粒子の質量を計算したところちょうど
核子(陽子+中性子)と電子の質量の中間くらいだったので、この名を付けたとか・・。


ここで、ようやく素粒子をまとめてみよう。
さて素粒子は?

   (1)電子
   (2)陽子
   (3)中性子
   (4)光子
   (5)ニュートリノ

ここで、
電子、陽子、中性子は、明確に物質(原子)を構成している。
ニュートリノも、ベータ崩壊において、核子から電子と共に飛びだして来るのだから、とりあえず、
物質を構成する粒子であると考える。

光子は、ずいぶんと趣が変わる。光は、荷電粒子間に働く力(クーロン力)を司るものであり、「電磁場」とはまさに、
光子が飛び交う場所である。どうも、力を伝える粒子である。

   (6)中間子

重力(万有引力)という力は、知られていて、質量を持つ物質間に働く力であり、明らかに電磁気力や
核力とは異なる。従って重力を媒介する(であろう)粒子として、重力子が登場した。

   (7)重力子

ベータ崩壊が起こるには、何らかの力が必要であり、それは電磁気力とも核力とも重力とも異なるのである。
未発見である重力は別格として、このベータ崩壊を起こす力は、電磁気力や核力に比べて非常に小さいので、「弱い力」と命名された。
そしてこれを媒介する粒子として、ウィークボソンという新粒子が発見された。

   (8)ウィークボソン


自然界に存在する力は、「電磁気力」「核力」「重力」「弱い力」の4種類しか見つかっておらず、
物質を構成する粒子「電子」「核子」「ニュートリノ」と力を媒介する粒子「光子」「中間子」
「重力子」「ウィークボソン」で、全て出そろった。


ところが、
湯川粒子(中間子)を発見する過程で、中間子が、ミュー粒子という未知の粒子に崩壊することが観測されたのである。

この他、宇宙線の中から逆V字型に見える未知の粒子、ラムダ粒子が発見され、つぎつぎと雪崩式に「ケイ中間子」
「シグマ粒子」「グザイ粒子」「イータ中間子」「エヌスター粒子」「シグマスター粒子」「グザイスター粒子」
「オメガ粒子」...が発見されてきた。


 ここまでも良く理解できないまま、我慢してきたがとうとうくたびれて、ぐ~っと飛ばして
結論的なところをまとめて終わります。 
しかしまだ、ヒッグス粒子が何ぜ質量を媒介するのか? なんてところには至っていないので、
今回飛ばした部分はまた別の機会に(気が向いた時に)もう少し咀嚼してアップしたいと思います。

 最後に、キッズサイエンティストというネット記事からまとめに相応しいと思われる図を引用しておきます。
(キッズサイエンティストから引用しました。)

大変お疲れ様でした。


Great guitarist








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世界評価を受ける  (bon)

2012-04-05 | 科学・生物

既に、空気のように日常的に使用しているファクシミリ(FAXと略)は、かって、その
標準的な方式について世界の議論を経て、1979年の京都国際会議場でのまとめの国際会議
(京都会議)で、日本の方式(NTTとKDDで共同開発した方式)が、世界の賛同を得て
FAX標準方式として決定されたのでした。 (FAX-G3方式)

 この方式に基づいた、FAXが世界中で製造され普及し、価格も当時に比べれば格段に安価になり、
今や日本でも大半の家庭にまで普及している。

 この度、これがIEEE(アイトリプルイー:アメリカに本部を置く電気・電子・情報の
世界最大の学会)から「IEEEマイルストーン」に表彰されたのです。

 これまで、日本で表彰を受けたものに、テレビなどでお馴染みの八木アンテナ、自動改札システム、
太陽電池の商業化など17件があるだけという大変名誉のある受賞といえます。

 IEEEマイルストーンとは、IEEE(米国電気電子学会)が、その関連分野で25年以上に渡って
世の中で高く評価を受けてきたという実績をもった歴史的偉業に対して認定する賞なんです。
1983年に制定され、全世界でこれまでに120件そこそこが認定されているというしろものです。

 本日(4月5日)、受賞祝賀会があり、その後、当時の直接の開発関係者だけの内輪の
飲み会を行いました。 昔話に花が咲き、ひと時若いころにタイムスリップしたのでした。

表彰プラック










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量子は神秘と可能性に満ちている!

2012-03-06 | 科学・生物
スーパーコンピュータで1千万年かかる計算を数十秒で解いてしまう
量子コンピュータの出現など、摩訶不思議な量子の研究が進めば、
社会は飛躍的に変化するといわれています。

今の日本の科学技術の技量低下を・・・このままにしない色々な技術がまだまだあります
将来に、日本の技術回復を願いたいですね。

第1章 通信の速さの限界に挑む!
光通信やブロードバンド。この言葉を聞いたことがない人はいませんよね。
これからはインターネットを中心とした高速の通信手段(通信回線)を表していて、
ここ数年の間にその速度は桁違いに早くなりました。
安藤弘明教授はその職に就く前、まさにこの”桁の違い”に挑戦していたのです。
光通信で使う波の長さはミクロンという単位で表されます。
安藤教授は企業で研究を始めた1970年~80年代当時は波長0.8ミクロンが光通信に
最適と考えられていた。しかしこれで満足していては研究者としてのプライドが
許さない。光の通信を、さらに速くより遠くまで送るための研究開発プロジェクトに参加し、
波長1,3~1,5ミクロンの光を使う、桁違いに高速な光通信の実現に大きく貢献した。
そのような挑戦の突破口を開くきっかけとなったのが物理学で得られた知識だったのです。

第2章 ミクロの世界に住む量子たち
現代の情報化社会を根底から支える物理学、その物理学には2本の柱があります。
有名な理論物理学者アインシュタインは相対性理論という物理学の大きな柱を完成させました。
それに対してもう一つの柱に量子論があります。相対性理論は私たちが見える世界、つまりマクロの世界で通用する考え方ですが、量子論の舞台は不思議で神秘的なミクロの世界。
原子や分子のサイズ程度の小さいミクロの世界では、光が粒の性質を、また電子は波の性質を
示すようなります。これらは「量子」と呼ばれています。量子論ではその量子を研究するのですが、電子や光の量子を上手に制御することができるようになれば、光通信の速度や情報量が飛躍的に増えるだけでなく、ハッキングされることが無い究極的に安全な光通信をできるのです。

第3章 量子力学は古くて新しい
現在も量子の効果は、実は身近によく使われています。レーザープリンター、衛星アンテナ、
高性能トランジスタ、携帯電話もそうです。待ち受け時間を長くしたり、電波を効率よく
発生させたりできるのも量子効果のおかげです。量子と量子を重ね合わせるなど、量子の相互作用について研究を深め、量子を意図的に操ることができれば、量子コンピュータの開発にもつながるでしょう。「量子」の概念は古くからありますが、情報技術の発展にともない日々進化を続けています。だからこそ、興味の尽きない学問領域なのです。(甲南Todayより引用させて頂きました)pooky
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量子は神秘と可能性に満ちている!

2012-03-03 | 科学・生物

スーパーコンピュータで1千万年かかる計算を数十秒で解いてしまう
量子コンピュータの出現など、摩訶不思議な量子の研究が進めば、
社会は飛躍的に変化するといわれています。

第1章 通信の速さの限界に挑む!
光通信やブロードバンド。この言葉を聞いたことがない人はいませんよね。
これからはインターネットを中心とした高速の通信手段(通信回線)を表していて、
ここ数年の間にその速度は桁違いに早くなりました。
安藤弘明教授はその職に就く前、まさにこの”桁の違い”に挑戦していたのです。
光通信で使う波の長さはミクロンという単位で表されます。
安藤教授は企業で研究を始めた1970年~80年代当時は波長0.8ミクロンが光通信に
最適と考えられていた。しかしこれで満足していては研究者としてのプライドが
許さない。光の通信を、さらに速くより遠くまで送るための研究開発プロジェクトに参加し、
波長1,3~1,5ミクロンの光を使う、桁違いに高速な光通信の実現に大きく貢献した。
そのような挑戦の突破口を開くきっかけとなったのが物理学で得られた知識だったのです。

第2章 ミクロの世界に住む量子たち
現代の情報化社会を根底から支える物理学、その物理学には2本の柱があります。
有名な理論物理学者アインシュタインは相対性理論という物理学の大きな柱を完成させました。
それに対してもう一つの柱に量子論があります。相対性理論は私たちが見える世界、つまりマクロの世界で通用する考え方ですが、量子論の舞台は不思議で神秘的なミクロの世界。
原子や分子のサイズ程度の小さいミクロの世界では、光が粒の性質を、また電子は波の性質を
示すようなります。これらは「量子」と呼ばれています。量子論ではその量子を研究するのですが、電子や光の量子を上手に制御することができるようになれば、光通信の速度や情報量が飛躍的に増えるだけでなく、ハッキングされることが無い究極的に安全な光通信をできるのです。

第3章 量子力学は古くて新しい
現在も量子の効果は、実は身近によく使われています。レーザープリンター、衛星アンテナ、
高性能トランジスタ、携帯電話もそうです。待ち受け時間を長くしたり、電波を効率よく
発生させたりできるのも量子効果のおかげです。量子と量子を重ね合わせるなど、量子の相互作用について研究を深め、量子を意図的に操ることができれば、量子コンピュータの開発にもつながるでしょう。「量子」の概念は古くからありますが、情報技術の発展にともない日々進化を続けています。だからこそ、興味の尽きない学問領域なのです。(甲南Todayより引用させて頂きました)pooky

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