蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

今日は、七夕(たなばた) (bon)

2011-07-07 | 日々雑感、散策、旅行
七夕。 しばらくこのような風流から離れていましたが、今年、やけに目につく
感じで・・・懐かしい「たなばた」について改めてひも解いてみました。

環境省では、節電キャンペーンの一環として、今日20時から22時まで全国の企業、
施設、家庭に照明の一斉消灯を呼びかける「七夕ライトダウン」を実施する~
との記事が出てきたりしてあまりの現実にちょっと興ざめ・・・!
七夕は、元は旧暦の7日ですが、今では新暦の7日と月遅れの7日に分かれて各地で
お祭りが行われている。仙台七夕は旧暦で、平塚のは新暦・・という具合です。

大阪天満宮の七夕祭り(ネットから)



七夕は、人日(1月7日)、上巳(3月3日)、端午(5月5日)、重陽(9月9日)に並ぶ
5節句の一つです。 元来、中国での行事であったものが奈良時代に伝わり、元から
あった日本の棚機津女(たなばたつめ)の伝説と合わさって生まれたとされている。

織女と牽牛の伝説は『文選』の中の漢の時代に編纂されたものとされているが、7月7日との関わりは明らかではない。その後、南北朝時代の『荊楚歳時記』には7月7日、牽牛と織姫が会合する夜であると明記され、7月7日に行われた乞巧奠と織姫・牽牛伝説が関連づけられている。また六朝・梁代の殷芸(いんうん)が著した『小説』には、「天の河の東に織女有り、天帝の子なり。年々に機を動かす労役につき、雲錦の天衣を織り、容貌を整える暇なし。天帝その独居を憐れみて、河西の牽牛郎に嫁すことを許す。嫁してのち機織りを廃すれば、天帝怒りて、河東に帰る命をくだし、一年一度会うことを許す」・・・我々が知る、牽牛織姫のお話は、この小説から由来していることがわかる。 ここで、天帝は、7日に1度逢うことを許すとカラスに伝えるよう指示したが、カラスが間違って7月7日に・・といったため、かわいそうに1年の1度となってしまった・・という解釈もあるとか・・!

天の川(ネットから)
織姫(ベガ)から牽牛(アルタイル)まで、かりに光速で駆け付けたとして、
約14年半かかるそうです~。


天の川、これはもう都会ではほとんど見ることはできなくなってしまっているが、昔は郊外に行ったりした時にはっきりと大きな天の川を見ることができた。銀河系星雲は、2000億個もの恒星等で成り立つ扁平な渦巻き状で、その中心部から半分くらいのところに太陽系があり、その中の地球から見た時に、銀河系の星たちの集まりが重なった部分が天の川として見えている・・・。

2011.7.7の今夜はあいにく晴天ではないと予報されているので、都会の明かりが「七夕ライトダウン」で、完全に消灯されても残念ながら見ることはできないようだ。


懐かしい童謡から・・・



マウナケア すばる望遠鏡からみる天の川銀河




コメント
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