2020年もはや、2月に入りました。 オリンピックまであと174日になりました。英国は、
政治混乱が続いたなかで、今日、EUから離脱し移行期に入りました。
ベランダのさざんかは、赤い花びらをまき散らしています。花置きの寒木瓜や白梅は
きれいな花をつけています。
今年初めに届いた会報別冊に、「いけばな~花の哲学~ いけばなはロジックである」の
タイトルで、講演録が載っていました。講演者は、笹岡隆甫(ささおかりゅうほ)という人で、
1974年京都生まれ、‘97年京都大学工学部建築学科卒、修士課程を経て、2000年博士後期課程
を中退,華道に専念し、´11年に三代家元を継承された異色の華道家です。 3歳から祖父で
ある二代目家元の指導を受けたとあります。
氏は、舞台芸術としてのいけばなの可能性を追求し、国内外で「花点前」(お客様の前で花
を生ける一種のパフォーマンス)を披露され、狂言、歌舞伎などとのコラボレーションを実現
するなど、伝統文化の新しい境地を開拓されているそうです。
講演録は9ページにわたり、氏の思いや、これからの時代への提言などが述べられています
が、ここではかいつまんでいくつかの視点からいけばなについてピックアップしてみたいと
思います。
もとより私は、いけばなのたしなみはなく、切り花など投げ入れ程度で楽しんでいます。
2月の末頃のいけばなには、椿をよく使うとのこと、椿の字のごとく、「春一番に花を咲か
せる花木」との韻もありますが、「照葉椿」(てりはつばき)をよく使うとあります。
『いけばなの世界では、葉が赤や黄や茶に変色しているのを「てりは」と呼び、照葉椿は、
時間の経過の中で葉の色が移ろいゆく様を封じ込めたような一枝で、花ではなく葉を愛でる』
とされ、日本独特の世界のようです。
西洋の花芸術は、今が盛りの満開の花を敷き詰めるような、『最高の瞬間を華やかに演出
する』思想ですが、日本の花芸術は、花数が多いときはむしろ花を引き抜いて花を減らし、
枝ぶりを見せる。『今が盛りの開いた花ではなく、つぼみがちのものを生け、開花から朽ちる
までを見届ける・・いけばなは引き算の美であり「時の中で変わりゆく命の姿を見届ける」と
いう思想です。』 しかし、この実践は大変で、生けた花の日々の変化に対応し、花首が垂れ
てくれば、切り詰めたり、首まで水につけて水揚げがし易いようにしたり・・。
(ネット画像より)
このように花と向き合っていると、花の声なき声が聞こえてくるのだそうです。花の変化が
人の思いや、人生を反映して、無言に語ってくれるというのです。
また、いけばなのテクニックの一つに、左右非対称に美を見出す日本文化がそこにあると
指摘されていますが、これなどはよく理解できるところです。
西洋の美意識は、左右対称、完全無欠の美が基本とあり、日本の花芸術は左右非対称が基本
だと。『 私自身は日本的な左右非対称の美意識に懐の深さを感じます。西洋的な左右対称は
確かに完成されて美しいけれども、別の要素が入ることを拒絶します。』 『左右非対称は、
不完全であるがゆえに別の要素の流入を拒絶せず、より豊かなデザインに生まれ変わります。』
この左右非対称の不完全さの中に美を見出す日本文化は、大陸にはない特徴で、日本人独自
の感性ではないか・・と述べられています。
(ネット画像より)
花点前とは、お客様の目の前で花を生けることだそうで、江戸時代の伝書にも載っている
そうですが、珍しい花が入った時など、お座敷でお客様の前で生けるのだそうです。
氏が行う花点前は、ステージでスポットライトで浮かび上がった花器に、音楽に合わせて
花を生け、その様子をお客様に見せるのだそうです。事前に数時間かけて作品を一度完成させ、
それを解体したものを再構成するのだそうです。
氏はまた、日舞、能楽など日本の伝統的な芸術とのコラボを実践されて、ますますその幅を
広げられているようですが、来るオリンピックの舞台で、いけばなの魅力を世界に発信したい
との夢をお持ちのようです。
野にひっそりと咲く花も、それぞれに表情があって美しく心和むものですが、このように
美の演出を凝らした“芸術”に出会うのは格別の趣がありますね。
花置きで、ひとり咲いている白梅です。