奈良に春を告げる行事として親しまれている「花会式」は、奈良時代から
続く伝統行事で、3月25日から31日まで、奈良西ノ京の薬師寺で行われています。
「花会式」とは、薬師寺で行われる「修二会」のことで、国宝薬師三尊の
周りを1700本もの造花で飾られた華々しい法要のような感じですが、10人の
僧侶による1日6回の法要が不休で行われる厳しい行で、深夜の法要では絶叫
に近い声で読経する「薬師懺悔」は相当インパクトのある行だとあります。
薬師寺花会式
(薬師寺HPより)
修二会というのは、正式には「修二月会」といい、過ぎ去った旧年の穢れ
を祓う懺悔と、来るべき新年の国家の平安や豊穣を祈るため、毎年旧暦二月
に執行される「悔過(けか)」の法要行事です。 この行事は、奈良時代から続
いており、当時、朝廷の保護を受けた南都七大寺(東大寺、興福寺、元興寺、
大安寺、西大寺、薬師寺、法隆寺)を中心に盛んに行われるようになりますが、
日本の各地の仏教寺院で行われる法要です。
とくに、東大寺の修二会は「お水取り」で有名ですね。
3月23日、薬師三尊「お身拭い」
(奈良新聞より)
旧暦一月に行われる法要を「修正会」とよばれ、年の初めに順調と豊作を
祈る祈年祭(としごいまつり)として、神や祖霊の力で豊年を招き災いを遠
ざけようとの法会がおこなわれています。
これに対して、薬師寺「修二会」は、(薬師寺管主加藤朝胤氏より)練行衆
と呼ばれる10人の僧侶がこの期間1日6回の悔過法要を勤めるのです。 意識
無意識に犯している悪業(過ち)を国民に代わって懴悔し、国家繁栄・万民
豊楽・天下泰平・風雨順次・五穀豊穣・病気平癒を薬師三尊様に祈願します。
悔過というのは、私たちが生きる上で過去に犯してきた様々な過ちを、本尊
とする佛様の前で告白して許しを請うということなんですね。つまり、私たち
には無限の過去世から、本来的に貪瞋痴(とんじんち)と呼ぶ煩悩があり、
これが原因で身体や言葉や思いを通して様々な間違いを犯しているというの
です。そしてこれらの罪過の積み重ねが結果として災禍を生み、災禍の原因
となっているこの悪業を佛様の前で懺悔し、許しを請うことによって、 災い
の無い世界の実現を受けようとしているのです。
このような意味から、僧侶が悔過懺悔の行を勤め、国民の罪過を取り除くと
共に、四季の恵み、国土の安寧、国民の平和と幸福への願いを祈り捧げるのです。
薬師寺の修二会が「花会式」と呼ばれるのは、1107年、堀河天皇の皇后が
病気になり、その平癒を薬師寺の本尊に祈願したところ回復したので、これに
感謝して修二会に梅、桃、桜など和紙で作った十種類の造花を供えたことが
始まりであるといわれているとあります。
花会式 花作り
(婦人画報より)
現在も造花作りは、奈良市菩提山町の橋本家と、寺侍の家柄だった奈良市
西の京町の増田家により手作業で作成されているとあります。造花を作るのは、
寺から委託を受けたこの2軒だけで、このうち橋本家では、キクやヤマブキ、
フジなど6種類の造花を100年以上も作り続けているそうです。ツバキと
ボタンの造花は、食用紅で染めた和紙を花びらに見立て、立体感を出すため
丁寧に何枚も重ねて貼り付けています。また、ウメのおしべとめしべには、
キハダで先端を黄色く色づけした鹿の尻尾の毛が使われているそうです。
造花作りには自宅で育てたタラの木や山で伐採した竹を使うなど、自然の
物を材料にされているとあります。
修二会の最終日の夜、結願では、大音声で悔過が唱えられ、大導師が最後の
祈りを捧げる中、護摩を焚いて薬師三尊に祈りを捧げます。そして法要が終
わると金堂前で松明を持ち激しく暴れまわる鬼を薬師如来の力を受けた毘沙
門天が鎮める「鬼追い式」が行われ完結するのです。観光行事としても見ど
ころでしょう。
余談ですが、薬師寺といえば、かって名物住職として知られた高田好胤副
住職が始めた「百万巻お写経勧進」による白鳳伽藍復興事業が想い出されま
した。これにより、1976年には金堂、81年には西塔がそして84年中門、さらに
東西回廊、大講堂、2017年の食堂と再建されてきました。
西塔が再建された1981年頃、私は大阪勤務で甲子園五番町に住んでいました
が、単身でしたので自室で写経を真面目にしていたことを想い出しました。
般若心経262文字を書くのに最初は2時間もかかっていましたが、慣れてくる
と30分ほどで書き終えますが久しぶりに墨の香りに触れたり、これの影響も
あったのでしょうか、西国33か所廻りを始めましたね。 最初に訪れたのは
五番藤井寺でしたので、そこで掛け軸を求め「白衣観音」を配した軸に御朱印
を集めて回りました。番外を含めて36か所の御朱印を得た軸はさすが荘厳な
感じでしたが、土日を利用した車での巡りなので、2年間の勤務で完成するの
は、かなり忙しいことではありました。
当時私は40過ぎの仕事もエンジンがかかってくる頃でしたが、こんなこと
をしていたことが想い出されてきたのでした。
薬師寺
(ウイキペディアより)
極める「薬師寺花会式」1/2