こんなことを言っていては良くないことでしょうけど、石破新内閣が何をどの様に進めようと
しているかにフォローする気持ちにどうしてもなれないのです。あの「野」にいたころの自信に
満ちた力強い声色は、ふわふわとした力のない発言に聞こえるのです。G20での所作が報じられて
いるようでは、さらに不安がよぎります。兵庫県知事、名古屋市長選でのSNSの効果は、正しい
ことなのか、問題なのかもよく理解できないのです。なぜか、心を寄せる柱がどこにもなくなって
しまったような感じがする今日この頃です。
サツマイモのことですが、川越(埼玉県)のサツマイモのお祭りではありません。
島根県大田市にある日本最大の銀山、石見銀山(1943年に閉山)は鎌倉時代後期に
発見され戦国時代~江戸時代に最盛期を迎えた日本最大の銀山と言われ、毛利、豊臣、
徳川などの台所を豊かにしてきました。2007年には世界遺産にも登録されています。
そんな石見の地に、1731年(八代将軍吉宗の頃)、石見山領大森代官に任ぜられた、
井戸平左衛門正朋という人がいました。
井戸平左衛門正朋公
(ウイキペディアより)
就任時にはすでに60歳と高齢で、しかも、2年足らずの任期でありましたが、就任
早々、薩摩の国からサツマイモの苗を大量に買い込み、地域での栽培を奨励したのです。
折しも、享保の大飢饉が押し寄せてくるのですが、平左衛門は自らの財産や裕福な農民
から募ったお金を資金として米を購入するとともに 幕府の許可を待たず代官所の米蔵を
開いて飢人に米を与えたとあります。
そして、年貢米の免除や飢饉を乗り越えるための農民の助け合いの必要を説くなどの
ほか、サツマイモの栽培を他の地に先駆けて導入していたこととも合わせ、領内に
餓死者を一人も出さなかったと伝えられているそうです。
一時の急を救うばかりでなく、さつまいも栽培により安定した生活基盤を作り上げる
などの功績をたたえ「芋代官・芋殿様」と呼ばれ、諱「泰士」の碑が、地元大田市は
もとより鳥取県、広島県の各地に500基以上建てられているとあります。
石見の国では、毎年11月26日に 井戸平左衛門正朋公の供養が行われているそうです。
俳諧に通じている人と見え、俳句の冬の季語に「いも供養」「正朋忌」「芋殿忌」が
あり、井戸公顕彰俳句大会なども毎年開催されているようです。
明治12年(1879年)井戸神社が創建され現在の井戸神社は大正5年に建築されて103年
が経過しています。それ以来、本殿、拝殿の修繕などを行いましたが、本殿、拝殿は
昭和15年、社務所は昭和60年を最後に修繕を行っておらず各所に痛みが見られる状態と
なっているそうで、また平成30年には震度5の地震に見舞われて修復され、令和2年に
新しい大鳥居が完成したそうです。
井戸神社
(島根観光協会より)
いも供養いもは好ねど謹みて 虚子
寺もなく芋の忌にある村十戸 水天老
【君の瞳に恋してる】 Can’t Take My Eyes Off You / Boys Town Gang ロングバージョン【4K 首都高 有楽町から渋谷へ】
(お名前をなんとお読みするのか自信がないですが😅)
判断力があり決断力があり、頼もしいですね!