5月20日は、同期会の懇親会で大阪に行ってきました。この日程だけは、1年も
前から決まっていまして、具体的な場所や形式など詳細が決められて案内通知状が
届いたのが3月初めでした。
直前まで、幹事方は出席確認などの作業に悩まされていたとも思いますが、無事に
予定通り開催されました。何人かは、オンラインのウエブミーティングで顔は
合わせていましたが、やはりリアルに握手できる状況はまるで違った親密感が
伝わってくるのでした。
雨の東京でしたが、この通りの景色に・・
(車窓から)
高校を卒業して50年の記念の年(2008年)に、同期会の幹事組織がリニュー
アルされ、それまではやや個人的なお世話人さんに抱っこされた感じで実施され
ていたのを、幹事をキチっと決め、クラスの担当なども決めて運営できるように
整えられて、今回が8回目に当たるのです。 新組織で再スタートした50周年記念
同期会は大阪で実施し、続く懇親会は順に 京都、奈良、東京、淡路島、大阪、
再び大阪、そして今回の大阪という流れになり、この間16年の歳月が流れている
のでした。
120名を超えていた懇親会も、この年齢ゾーンでは8回目の今回は40名の集まり
となりました。
色々と、身体的な不具合を抱えながらも、集まった人たちは元気にふるまい、
若い頃と同じには行かないまでも、昔の面影が滲み出てくるのでした。懇親会
では特に講話や余興などの出し物の設定はなく、ひたすら仲間同士の会話に専念
するのですが終了後の疲れを気にすることもなく楽しい時間を過ごすのでした。
懇親会のはじまりのご挨拶・・
若い多感な頃のわずか3年間 同窓であったというだけで、しかも在校時代には
ほとんど声も交わさなかった面々とも、今は親しく楽しく語り合える不思議を
いつも感じるのです。この魔法はどこから来るのでしょうか。 そしてこの語
らいは、何がどうのということはなく、ただ明日へのエネルギーの源として注入
されるのですね。
今回は、60年振りに当時の仲良しとも再開でき、大変嬉しく感激しました。
懐かしいあこがれのセーラー服のご披露
懇親会の終了後は、以前の様な2次会の設定は省略してそのまま解散となり、
希望者11名は一同有馬温泉に向かいました。
有馬温泉行直行バス発着場所の阪急三番街までの徒歩空間は、まるで外国に
来たような変わり映えで、ビルの谷間を抜けるように変化していました。
JR大阪駅の北側は、全くその面影を残さず 様変わりしていました。そうです
よね。もうウン十年も前ですものね。
バスは途中、大阪空港(伊丹空港)を通り 有馬温泉まで1時間ほどでした。
狭く込み合った温泉街は、月曜日というのに大勢の観光客でにぎわっており、
そんな混雑のターミナルに大型観光バスが発着したり、自家用車、ホテルの車
他がうまくお互いを思いやりながら円滑に移動されていました。 古い老舗の
温泉街は、近代化した今の混雑を阿吽の呼吸でうまく折り合って発展してきた
のですね。
何人かは、すぐ近く・・車で2~30分くらいのところに自宅がある人がいて、
この有馬温泉もお馴染みだそうですが、やはり同行者が違えばその新鮮さ、楽し
さはまた格別なのでしょう。独特の赤茶色のお湯につかり、再び懇談に花が咲く
夕食のテーブルが始まりました。
楽しい夕食と またしても歓談・・
この後は大部屋に移り、遅くまで談笑が続くのでした。お話は泉の如く・・。
ホテルの玄関にて(翌朝)
(一人はすでに、別行動で出発しました。)
ホテルを出て温泉街の散策をしました。多くの観光客とすれ違いながら細い
路地のような商店街の坂道をおしゃべりとお店を見たりしながらのんびりと豊か
な時間を満喫しながら・・。
商店街の通りで・・
頃合いのお店を探してみんなでお昼を済ませて、想い出もいっぱい詰め込んで
満足の内に帰路のバスに乗り込み大阪駅にてお別れとなりました。
懇親会場では、次回開催は米寿記念とするが、それまでは毎年の開催を希望する
・・毎年が無理であれば、少なくとも一年おきに・・の提案が出されていました。
元気でおれるかどうか? 元気であったとしても一人で出かけられるか? などの
不安と同居しながら、次に向かって気を込めた瞬間でした。
今回も楽しい会でした。皆さんお疲れさまでした。幹事さんご苦労さまでした。
そしてありがとうございました。
Unforgettable