小説の芽に映画の花が咲く
「面白かったよ・・・・」
友人の薦めで、映画『ベンジャミン・バトン』を観に行った。~数奇な人生~というだけあって、確かに意表をつくストーリーが展開され、三時間に及ぼうかという上映時間にもかかわらず最後まで引き込まれてしまった。
80歳にも思える老人の体を持った赤ん坊が生まれるところから話は始まる。
時代は1918年、第一次世界大戦が終わった直後。街に群集が繰り出し祝勝の花火が頭上に弾ける夜のことだった。
人の波を掻き分けるように、父親が産院に駆けつける。元気のいい男児の誕生を期待する父親に、運命は過酷な現実を突きつける。
暗くおぞましい出生の秘密を負った赤ん坊を、誇り高い男に授けたのだった。
ボタン工場の経営者として成功していた父親は、わが子の姿を一目見ただけで驚愕し、縫いぐるみで覆ったまま老人施設の階段に赤ん坊を置き去りにする。
拾い上げた使用人の黒人女性は赤子の顔を見て驚くが、すぐにベンジャミンと名付けて育てることを決意する。
老人施設で、死を目前にした老人たちとともに幼年期を過ごす設定が、本来の成長過程と逆行する主人公の運命にふさわしい。
ベンジャミンは、少年期にデイジーという女の子と出会う。もちろん老人の姿のままである。
やがてベンジャミンは施設を離れ、中年の男として船乗りになる。デイジーとの約束どおり、立寄った世界中のさまざまの場所から彼女に手紙を送りつづける。(そのときの手紙が、この映画の進行を担う)
一方デイジーはモダンバレーの踊子として世界中を公演して回り、寄ってくる男たちと享楽的な生活を送っているが、路上で自動車にはねられ身体的能力を失うことになる。
再会した二人は、紆余曲折の末成人した男女として結婚する。
若返っていくベンジャミンと、これから年老いていくデイジーの年齢が、ちょうどつりあう年頃であった。
突然妊娠を告げられたベンジャミンは、生まれてくるわが子が自分と同じような姿をしているのではないかと恐れるのだが、普通の赤ん坊だったのでほっとする。
しかし、これから先のことを考えると、父と子の成長にともなうさまざまの困難が目に見えているため、オートバイに乗っていずこかへ消える。
すでに映画を観た人は、なぜ「あらすじ」をたどるのかといぶかしく思うかもしれない。まだの人は、すべてしゃべる気か、と。
実は多くのシチュエーションが、対比の持つ陰影の濃さに彩られていることを伝えたかったからである。
映像として提供される新鮮な驚きが、テーマのユニークさをいっそう深めていることに感心した。
こんな特異な発想を誰がするのだろう。(老人の体で生まれ、成長するにしたがって赤ちゃんになっていくなんて・・・・)
実は、調べてみるまでオリジナル脚本かと思っていたので、F・スコット・フィツジェラルドの短編小説が原作と知って、すぐさま角川文庫を買い求めた。
のろまのブロガーとしては珍しく、映画と小説をほとんど同時に見比べる結果となったのである。
小説は一種の聞き書き風に始まっていて、これから語る歴史的椿事の真偽は読者の判断にゆだねるとの作者の断り書きがある。
ベンジャミン・バトンの背負ってきた運命は、そのまま映画のテーマになっている。他は多くの場面で作り変えてある。
たとえば時代背景は、小説では南北戦争の直後だし、映画の少女デイジーは小説では将軍の娘ヒルデガルド・モンクリーフとして描かれている。
こまごまとしたことはともかく、概して言えば、小説の坦々とした運びに比べ映画はドラマチックな印象が濃い。
針が逆回りする大時計の存在や、売春宿でベンジャミンと父親がすれ違う場面など、暗示的でドキッとするエピソードが多数用意されている。
要するに映画における脚色が、観客を興奮させることに成功したと言っていい。
脚色で注目すべきは、語り手として死を目前にしたデイジーと娘を配したことであろう。(小説ではベンジャミンとヒルデガルドの子供は男の子だが、死に行く母を看取る役としては娘のほうが合っている)
そして先に触れたベンジャミンからデイジーに宛てた手紙が、物語の進行役をつとめている。
大ヒットした『マディソン郡の橋』に次いで、秘密めいた手紙の存在がこの映画のエンターテインメント性を大いに高めている。
以前から何回も映画化の試みがなされたが、技術的な難関を超えられずに今日やっと日の目を見たのだという。
子役との使い分けといった古典的手法では、絶対に表現できないストーリー。
映像技術の進歩が、ブラッドピットの身体を老人から幼児へと違和感なく変化させた。
刻一刻と若返っていく肉体と、逆行する年齢の積み重ね。そこに生じる軋みがリアリティーを持つ。映画は見事に表現しつくしている。
アメリカのアカデミー賞にノミネートされていたが、残念ながら受賞はならなかった。ブラッドピットは賞には縁遠いようだ。
いずれ彼が初老になったころ、深みが出てきてアカデミー賞を取りそうな気がするのだが・・・・。
今のところ、日本では洋画部門の興行収入がトップとか。
邦画の『おくりびと』が大変なことになっているので、ちょっと影が薄くなったかな?
しかし、映画の面白さはバツグン。教えてくれた友人に感謝。
「面白かったよ・・・・」
友人の薦めで、映画『ベンジャミン・バトン』を観に行った。~数奇な人生~というだけあって、確かに意表をつくストーリーが展開され、三時間に及ぼうかという上映時間にもかかわらず最後まで引き込まれてしまった。
80歳にも思える老人の体を持った赤ん坊が生まれるところから話は始まる。
時代は1918年、第一次世界大戦が終わった直後。街に群集が繰り出し祝勝の花火が頭上に弾ける夜のことだった。
人の波を掻き分けるように、父親が産院に駆けつける。元気のいい男児の誕生を期待する父親に、運命は過酷な現実を突きつける。
暗くおぞましい出生の秘密を負った赤ん坊を、誇り高い男に授けたのだった。
ボタン工場の経営者として成功していた父親は、わが子の姿を一目見ただけで驚愕し、縫いぐるみで覆ったまま老人施設の階段に赤ん坊を置き去りにする。
拾い上げた使用人の黒人女性は赤子の顔を見て驚くが、すぐにベンジャミンと名付けて育てることを決意する。
老人施設で、死を目前にした老人たちとともに幼年期を過ごす設定が、本来の成長過程と逆行する主人公の運命にふさわしい。
ベンジャミンは、少年期にデイジーという女の子と出会う。もちろん老人の姿のままである。
やがてベンジャミンは施設を離れ、中年の男として船乗りになる。デイジーとの約束どおり、立寄った世界中のさまざまの場所から彼女に手紙を送りつづける。(そのときの手紙が、この映画の進行を担う)
一方デイジーはモダンバレーの踊子として世界中を公演して回り、寄ってくる男たちと享楽的な生活を送っているが、路上で自動車にはねられ身体的能力を失うことになる。
再会した二人は、紆余曲折の末成人した男女として結婚する。
若返っていくベンジャミンと、これから年老いていくデイジーの年齢が、ちょうどつりあう年頃であった。
突然妊娠を告げられたベンジャミンは、生まれてくるわが子が自分と同じような姿をしているのではないかと恐れるのだが、普通の赤ん坊だったのでほっとする。
しかし、これから先のことを考えると、父と子の成長にともなうさまざまの困難が目に見えているため、オートバイに乗っていずこかへ消える。
すでに映画を観た人は、なぜ「あらすじ」をたどるのかといぶかしく思うかもしれない。まだの人は、すべてしゃべる気か、と。
実は多くのシチュエーションが、対比の持つ陰影の濃さに彩られていることを伝えたかったからである。
映像として提供される新鮮な驚きが、テーマのユニークさをいっそう深めていることに感心した。
こんな特異な発想を誰がするのだろう。(老人の体で生まれ、成長するにしたがって赤ちゃんになっていくなんて・・・・)
実は、調べてみるまでオリジナル脚本かと思っていたので、F・スコット・フィツジェラルドの短編小説が原作と知って、すぐさま角川文庫を買い求めた。
のろまのブロガーとしては珍しく、映画と小説をほとんど同時に見比べる結果となったのである。
小説は一種の聞き書き風に始まっていて、これから語る歴史的椿事の真偽は読者の判断にゆだねるとの作者の断り書きがある。
ベンジャミン・バトンの背負ってきた運命は、そのまま映画のテーマになっている。他は多くの場面で作り変えてある。
たとえば時代背景は、小説では南北戦争の直後だし、映画の少女デイジーは小説では将軍の娘ヒルデガルド・モンクリーフとして描かれている。
こまごまとしたことはともかく、概して言えば、小説の坦々とした運びに比べ映画はドラマチックな印象が濃い。
針が逆回りする大時計の存在や、売春宿でベンジャミンと父親がすれ違う場面など、暗示的でドキッとするエピソードが多数用意されている。
要するに映画における脚色が、観客を興奮させることに成功したと言っていい。
脚色で注目すべきは、語り手として死を目前にしたデイジーと娘を配したことであろう。(小説ではベンジャミンとヒルデガルドの子供は男の子だが、死に行く母を看取る役としては娘のほうが合っている)
そして先に触れたベンジャミンからデイジーに宛てた手紙が、物語の進行役をつとめている。
大ヒットした『マディソン郡の橋』に次いで、秘密めいた手紙の存在がこの映画のエンターテインメント性を大いに高めている。
以前から何回も映画化の試みがなされたが、技術的な難関を超えられずに今日やっと日の目を見たのだという。
子役との使い分けといった古典的手法では、絶対に表現できないストーリー。
映像技術の進歩が、ブラッドピットの身体を老人から幼児へと違和感なく変化させた。
刻一刻と若返っていく肉体と、逆行する年齢の積み重ね。そこに生じる軋みがリアリティーを持つ。映画は見事に表現しつくしている。
アメリカのアカデミー賞にノミネートされていたが、残念ながら受賞はならなかった。ブラッドピットは賞には縁遠いようだ。
いずれ彼が初老になったころ、深みが出てきてアカデミー賞を取りそうな気がするのだが・・・・。
今のところ、日本では洋画部門の興行収入がトップとか。
邦画の『おくりびと』が大変なことになっているので、ちょっと影が薄くなったかな?
しかし、映画の面白さはバツグン。教えてくれた友人に感謝。
鑑賞後、すぐさま原作本を貪り読んだ当ブロガー氏の向学心(?)の強さです。
いやあ、やっぱりハリウッド映画というのは、不調と思われても、さすがですねえ。
断然ユニークな原作を得たからには違いないでしょうが、当ブログによると、エンターテーメントとして色づけしているんですからね。
これからも「どうぶつティータイム」で、映画や書籍のことも、おおいに紹介されますよう、楽しみにします。
私も『ベンジャミンバトン』を観ましたが、この素晴らしい映画の本質から構造上の秘密まで委細をつくした窪庭さんんの分析的文章には、わが目を開かされる思いで何度も繰り返し読ませていただきました。
一度観ただけでここまで眼光紙背(映画だから映像影背か?)に及ぶとは、さすがに作家の目は凄みがありますね。
映画とこの批評の両方から嬉しい刺激をいただきました。早速私も原作の文庫本を探して読んでみます。
有難うございます。
知恵熱おやじ
これまでの和風から一転してコントラストくっきりのモダンなデザインに変わり、とても愉しいですね。
画面の印象で文章の印象までがらりと変わることを発見しました。
人間の感覚は面白いです。
知恵熱おやじ