差塩と趣味の世界

故郷 福島差塩の想い出と徒然なる盆栽奮闘記

やみ米

2008年09月24日 | インポート

 昨日田舎からお米を頂いて来た。やっぱり新米は美味である。ところで、米を頂くたびに思い出すことがある。戦後いや正しくは戦前からであるが、米は国家が管理し自由に持ち運ぶことが出来なかった。配給制度が出来ていて各家庭が米穀通帳で買うのである。しかし、その量が少ない(大人2.3合)のでやみ米が、いわゆるやみ屋さん(担ぎ屋)によって汽車で運び売られていた。違法なわけだから時々取り締まりの警察の手入れがある。彼らは摘発を逃れるために、米の入った南京袋に鎖をつけ座席のしたに縛っていた。作業を遅くし他の人は逃げるためである。そんな場面を何度も観た記憶がある。従って米を持っていると子ども心にヒヤヒヤしたものである。親から掴まったら『自分の食い扶持です』と云うように云われていた。(町の親戚に米をよく届けさせられた)

 街の食堂では外食券がないと食べることが出来なかった。本当に不自由な時代であった。