日高ミセバヤに続いて越中ミセバヤも紅く染まってきたのでアップしてみた。その様は、子供の頃見た背負われた赤子の霜焼けした手のようでもある。
話は飛ぶが、昔今頃になると農家では外仕事が一段落し家庭内での作業が多くなってくる。そうしたことを見計らってか越中の富山の薬売りがやってくるのである。その売人がいつも我が家を定宿として村中の家庭を回り、時には離村まで足を伸ばし古くなった薬を回収(?)したり、補充したりしていた。紙風船をもらうのが愉しみでもあった。あのとき霜焼けにはどんな薬を使っていたのだろうか。メンタムかな?
囲炉裏の側で薬の入った大、中、小と幾重にも重ねて使う柳行李を広げ、薬を整理したり小さな算盤をつかいながら計算する作業を眺めていたものである。
定宿と言えば「萱手様」の頭領も雪深い會津地方では屋根葺きができないので作業員を連れて冬場になると我が家を使っていたものである。賑やかになることや土産物をもらうのが愉しみでもあった。今はかやぶき屋根も多くはトタンや新製品で覆われ、萱手職人も少なくなっているが、、、。
交通機関の発達した今日、定宿の存在価値もなくなったのであろう。今どうなっているか。
昨日は 9,042歩