4時半起床し、いつものように早暁の散歩に出かける。今日は久しぶりの濃霧の朝である。多摩湖も霧の摩周湖ではないが、濃霧が立ちこめウォーキングする人々も幻想的な風景を愉しんでいるようであった。だがこれも一時、この地の霧は郷里の濃霧などと違ってすぐ晴れてしまうのである。今(8時)は霧が去り快晴となっている。
ところで霧の光景を見るといつものように郷里の濃霧風景を懐かしく時には悲しく想い出す。この地と違って立ちこめる時間も長く時には一日中というような日もあったように記憶している。稲の穂に咲く花が日照不足で萎えてしまう凶作の年は、特に霧が立ちこめる日が多かった。不安げに空を見上げる父母たちの姿を思い出す。
大人の心配はよそに子供の世界では、幻想的な濃霧が立ちこめている中での遊びは愉しいものであった。声はすれど姿が見えない鬼ごっこやかくれんぼなど、、、。
そうした竹馬の友達の多くは、今や声も姿も見聞き出来ない世界へと旅立ってしまった。霧の多摩湖を眺めちょっぴりセンチになって帰宅する。
昨日は 8,275歩