束の間の帰省でも廃校となった母校を訪ねてみた。立派な校舎は無人の寂しさを漂わせていた。それに加えて、校庭の一角に放射能測定器があり、0,080シーベルトの記録が誰にも見られることなく表示されていた。この光景を見てなんとも言えぬ空しさを感じる。
爺が国民学校入学前に学校は全焼してしまった。戦時中でもあり貧しい1寒村では直ちに復興ままならず、我が屋の別棟や蚕室家屋を改造し校舎となる。そこで5年余学ぶこととなったが、戦争も終わり木造の校舎建設(昭和23年5月)されこの場所で学んだのである。一時は疎開児が増え130人ぐらいまでなったこともあったが、数年前に児童数人となり廃校(平成27年)となってしまった学校である。
また、あの忌まわしい原発事故により設置されたこの放射能測定器であろう。その測定値の如何によって校庭での運動も制限されることもあったのだろうか。今は知るよしも無いが、原発の安全神話が崩壊した今、改めてその事故の恐ろしさを思い知らされる一時であった。