雑草園のような我が家の庭、アップするような花がない。ようやく見つけたのが、この野菊ノコンギクである。雑草の中であちこちに咲きだしてくれた。野菊と言っても何種類もあるが、この花が代表格といわれるのは、清楚なその美しさからであろう。色合いがなんともいえない。
昨日の話し合い、展示物に膨らみが出来た。国定教科書や出征兵士の写真など「湖畔の轍」に関わるものも展示することになる。
雑草園のような我が家の庭、アップするような花がない。ようやく見つけたのが、この野菊ノコンギクである。雑草の中であちこちに咲きだしてくれた。野菊と言っても何種類もあるが、この花が代表格といわれるのは、清楚なその美しさからであろう。色合いがなんともいえない。
昨日の話し合い、展示物に膨らみが出来た。国定教科書や出征兵士の写真など「湖畔の轍」に関わるものも展示することになる。
同じ町内に住む傘寿を迎えた兄の庭にはみかんの木が2本ある。例年だと交互に豊作の木とそうでない木になるのだが、今年はどうしたことか2本とも大豊作、生りすぎて木がしなっているのもある。傘寿を祝って気(木)を利かしたのかな。
さて、今日は、出版した「湖畔の轍」を共に編集した方々に集まってもらって町内作品展出展の準備をする日である。経過なども含めて展示方法を話し合おう。忙しいぞ。
外気温が低くなってきたので、ブーゲンビリアや風鈴仏桑華などの木々・サボテンや洋ランなどの鉢物を室内へ取り込んだ。その中の一つ、あまり手のかからないオンシジュームの一株が早くも咲いてくれた。洋ランは花期がないので暫らく愉しめそうだ。
ところでシャコバサボテン、どうしたことか未だ花芽ができない。葉先の小さな葉を摘むと花芽がつくとネットには書いてあったような気がしたのですべて摘んでみた。はたして、、、。
この三日ほどスッキリしない日が続くが、秋は確実に深まりを見せている。庭のセンリョウの実は色づき、間もなく真っ赤になるだろう。枝垂桜は黄葉し日毎散り始め、実生のモミジも紅葉してきた。
季節の変わり目は、体調を崩すことが多いといわれる。寒暖の差は、喘息持ちは特に気を付けなければならない。体調維持のためには、適度な運動と食事、そして快眠といわれる。前者はともかく睡眠は、このところ安定してない。齢のせいかもしれないが、そうかといって薬にも頼りたくないし、、、。自力で解決策を見つけよう!!
雨の中庭掃除をしていると車庫の上で、小さなヤモリを見つける。準絶滅危惧種といわれるこのヤモリ、留守中我が家を守ってくれたのか等と思うとグロテスクな姿でも愛おしくなる。
どんな生活をしているのか知らないが、寒さに向かって冬眠場所でも探していたのかもしれない。物置の床下にそっと置いてやった。朝の一コマである。
さて今日は、町内の作品展への出展について準備をしよう。例年、盆栽を出展しているが、今年はめぼしいものがない。未だ作製中のサツキの古木を出すか、松にするか迷っているところである。
尚、老人会で出版した「湖畔の轍」については来週、編集委員の知恵をお借りして展示方法など話し合おう。
三泊四日の富士への旅、すっかりお世話になり愉しく過ごすことができ感謝の気持ちでいっぱいである。ありがとう。
今日は、午前中の行事社協主催の歩け歩け大会と午後の集いの「秋を愛でる会」があるため、山中湖を早暁出発、7時過ぎに帰宅した。2時間余りで着いたことになる。
昔、富士講で何日もかけて出かけた人々には想像もつかない時間である。 途中リニア中央新幹線の陸橋下を通ってきたが、スピードを求める人間の飽くなき欲求は尽きることがないのだろうか、、、。
旅のゆとり、楽しさがスピードを求めるがために失われることがないようにしたいものである。
さて、ブログを書いていると社協より歩け歩け大会は、雨天中止との電話があった。ゆとりを持って、「秋を愛でる会」の準備をし、楽しいひと時を持つこととしよう。
6時起床、今朝の富士山は?ということでカーテンを開けると、雲海に浮かぶ見事な雄姿であった。じっと眺めていると神々しささえ感じる。
昔の人々は火を噴く山、激しく吹き上げる火焔に畏れ慄き神と信仰の対象としたであろうが、その美しさだけでも充分、神が宿る山として崇め奉る心が湧いてくる、、、。素朴な信仰心とでもいうのかももしれないが大切にしたいものである。こうしてブログ記している間にご神体はすっかり霧に覆われ姿を隠してしまった。
朝カーテンを開けると、すそ野をいっぱいに伸ばした実に雄大な富士山が、誇らすげにその姿を見せている。昨日から、山中湖に来ている。婿殿が務める会社の保養所は実にロケイションのいいところにある。
子供の頃、富士山など見たことはないが文部省唱歌に ♪ 頭を雲の ♪♪、、という歌で想像しよく富士山の絵を描いたものである。目の前の富士を観てそんなことを想い出した。富士山ほど日本人に愛される山はないだろうな。改めてそう思う。当に歌にあるように富士は日本一に山でる。
こうして記している間にも雲の流れが刻々と変わるが深雪をかぶった山頂は泰然自若としている。吾もそうありたい願うが、煩悩具足の輩故むりかな。
可愛がっている吾妻五葉、昨年の葉が「後を頼む!」と言っているかのように役目を終えて黄葉し、散ろうとしている。
カラマツの様に芽だけ残してすべて黄葉し散るのではなく、青葉と黄葉が連なっている姿をしばらく見せるのである。青葉は「この一年間、本当にご苦労様でした。]と言っているように秋の陽射しを精一杯浴びて来たるべき冬の寒さに向かって樹力を蓄えているようである。老木を守るために、、、。
こんな見方をしてみるのも、時には面白い。
久しぶりに眉刷毛万年青(マユハケオモト)が花をつけた。どうしたわけか葉の中心からではなく横の方から花茎を伸ばし咲きだしたのである。ちょっとへそ曲がりなのは誰かに似たのかな。
刷毛のように見えるのはすべて雄蕊、雌蕊の姿が見えない。万年青はあまり手のかからない園芸種だが、この株も無精者にとっては最適な種である。葉はこれから生育期少しは目にかけよう。
さて、今日も町内パトロール出かけることにしよう。