差塩と趣味の世界

故郷 福島差塩の想い出と徒然なる盆栽奮闘記

桃栗三年というが、、

2016年01月11日 | 日記

 蝋梅の香りが街のあちこちで漂い始めている。我が家の実生の蝋梅は木が大きくなっているが、なかなか花をつけてくれない。実生だと咲くまで相当の年数がかかるというので今年も花はあきらめていた。

 ところが、今朝見ると枯葉の間になんと咲いているではないか!! しかも蕾も5,6個ついている!! 期待していなかっただけに歓びも一入、大儲けしたような気分となる。

 蒔いてからかれこれ10年かかったということになる。「桃栗3年柿8年梨の馬鹿野郎16年」というが、実生の蝋梅も随分かかるものである。これからは毎年咲いてくれるだろう。


暗い朝

2016年01月10日 | 日記

 早寝早起きの後期高齢者にとって明るい朝が待ち遠しい。日の入りがどんどん遅くなっているのに、日の出は一向に早くならない。いつまでも暗い朝である。

 しかし、暦を見ると週末あたりがピークで来週あたりから分刻みで早まるという。暫しの辛抱か、、、。旧正月の頃は朝が早まっているだろう。当に春節か、春が待ち遠しい。


歯数年齢は

2016年01月09日 | 日記

 昨日は、久しぶりに歯医者に行く。今度は大掛かりな治療をとのご託宣、患者は唯々諾々止むを得ん、俎上の鯉となり1時間30分我慢の時となる。

 残存歯数からみれば60代ということだが1本1本と失うことは淋しい限りである。残り20本、いや19本大事にしなくてはと痛みを抱えながら帰宅となる。


神様を送る

2016年01月08日 | 日記

 正月7日も過ぎ、我が家に降りてきた歳神様も御帰りになった。正月飾りも処分しなくてはならない。近くの神社に初詣を兼ねて納めてこよう。まるめてごみとして収集日に出す家庭もあるが、時代の流れか。

 郷里では、家の裏にある氏神様を祀る小さな神社の横に例年納めていた。そこは神聖な場所と子供心に思ったものである。納める大人の姿を見て素朴な宗教心が培われたのである。


静かな林

2016年01月07日 | 日記

 風林火山に言う徐かなること林の如しならぬ丘陵の林は静かである。時おり木を叩く音がする。音のする方を振り向くとコゲラが見え隠れをしている。まるでかくれんぼを愉しんでいるかのようでもある。

 今年も、体力維持のため日に4㎞のウォーキングを目標に、時折コースを変え愉しみながら頑張っている。狭山丘陵ではコゲラを、空堀川ではカワセミをと野鳥観察には見通しが良く今がいい季節である。昨日はオオタカの番が甲高い声で鳴きかわしながら上空を舞っていた。


やぶらこうじかぶらこうじ

2016年01月06日 | 日記

  何時植えたのか忘れてしまったが敷石の狭いところにヤブコウジが赤い実を付けていたのでアップする。別名十両とも言われるセンリョウやマンリョウ等とともにヤブコウジ科の仲間であるが、赤い実がとてもかわいい。

 落語の「寿限無」の中で「やぶらこうじかぶらこうじ、、」というのは十両のことであるそうだ。あとは百両はないが、今度店で求めよう。すべてそろうので金満家になれるかな。


西洋桜草

2016年01月05日 | 日記

 有難いことに季節外れのような陽気が続いていたが、どうやら今日までらしい。人間勝手なもので、こうも暖かいとビリッとした寒さが恋しくなる。

 ところで、西洋桜草、庭のあちこちで咲き始めている。適用力のある草花である。一般に西洋という名のつく植物はタンポポ始め帰化する能力が高いようにおもう。一部では本来の固有種が絶滅危惧種になっている所もあるという。

 春の息吹を感じさせる可愛い花を見て、そんなことを想うのは野暮かな、、。そうではない積極的に守らなければ。


仕事始め

2016年01月04日 | 日記

 今日から仕事始めか。何となくお正月が、終わったように感じるが、歳神様はいらっしゃるようなので7日までは正月飾りも飾っておかねば、、。ただ、正月の宴をともに愉しんだ床の間に飾ったお気に入りの黒松は陽の光を欲しがるのでに出そう。

 ところで、子供の頃お祝いした旧正月、今年は今月の27日になるそうだ。陽の光も明るくなっている頃か。草花も花も木々も動き始める。待ち遠しい。愉しみは次々と巡ってくる。


早くも三日か

2016年01月03日 | 日記

  今は和スイセンの季節、庭のあちこちでいい香りを放っている。そのうちの一株だけ八重咲きの花も咲いていたのでアップする。

 ネットで調べてみるとそう珍しい事ではないらしい。昨年も同じように感動したの想い出した。まあ、そうしたことにこだわらずその時々を愉しめばいいのだが、、、、。

 天候にも恵まれ穏やかな三が日だった。孫たちも帰り、亦日常生活に戻る。


一筆添えて

2016年01月02日 | 日記

 お正月の愉しみに年賀状がある。新年の挨拶、近況報告、旧年中のご厚誼への感謝など記されている。年々その枚数は減っているが、60年以上の賀状の交換のみで一度もお会いしていない貴重な賀状もある。

 正月早々淋しいはなしだが、大先輩の方より「まもとに勝手ですが本年を持って年賀状を終わらせて頂きます」という賀状が2通ほど頂いた。出会いあれば別れがある。年賀状も然りか。一つ財産を失ったような気分となる。

 前にも記したが、プリントだけ出なく一筆添えて有ると、なお温かいものを感じる。一行でもいい、、、贅沢か?